(7)
ロキは夢を見た。いつもの妄想のような夢ではなく、自分の中に眠っていた記憶の欠片。
目の前には、プロトタイプのビーナスの群れがロキ目掛けて次々に襲い掛かってくる。右手に握られた剣を振りかざし、リーチに入ってくるプロトタイプを次から次へと殺していく。血飛沫が舞い、ビーナスの断末魔が降りかかり、それでもロキはその場に立って、剣を振るう。戸惑いなどなく、それが自分の成すべきことのように、機械的に排除していく。
万もの軍勢が残りわずかになったあたりで、ロキが剣を振るった最中、ひとりのビーナスがロキの腕に倒れ込んできた。どさりと倒れ込むビーナスを振り払おうとしたとき、そのビーナスは悲しみに溢れた表情で、
「ロキ。愛してるわ」
そう呟いて、血を吐いた。ロキはその言葉の意味がすぐに理解はできなかったが、頭がズキンと痛んだ。
「ぐっ! やめろ、やめろおおお!」
言って、そのビーナスにとどめの一撃として剣を胸に突き刺した。そのビーナスは残った力を振り絞り、倒れ行く最中でロキの顔に触れた。それから甲斐もなく、だらりと腕は垂れ、その場で散った。
「うわああああああっ!!」
ロキは絶叫と重い頭痛と共に、飛び起きた。目の前がまだ生々しい赤い戦場にいる感覚がする。血の匂い、ビーナスが触れた手。全てがリアルで、汗をびっしょりかいて簡易ベッドで目を覚ました。
「ろ、き?」
鈴のような声が鳴る。ロキははっとして、隣を見ると、心配そうな顔をしてロキの顔を覗き込み、手を握りしめているイロハの姿があった。夢で見ていたあのビーナスの声をもっと幼くして、でも同じ目をした少女。ロキはその姿を見ると、また頭痛がひどくなるような気もした。
「い、イロハ……」
ロキは呼吸を整えるように、ふう、と息を吐いた。それからどことなく目の前にいるイロハを抱きしめたくなり、ぎゅっと強く抱き寄せた。
「ろき、だいじょぶ?」
いつも同じ言葉を繰り返し問いかけてくるイロハに「うん。大丈夫」とだけ言うと、何故か涙が止まらなかった。
しばらくイロハの体温を感じていると、頭痛も治まってきて、辺りの音が耳に入るようになった。なにやら、カチャカチャと機械を弄る音がする。ロキはイロハから離れて、ベッドを降りると、地べたに座って、サーマルセンサー装置を弄っているミルコの姿を捉えた。
「ミルコ。おはよう。それって、もしかして俺らが拾ってきたサーマルセンサー装置じゃないか?」
言うと、ミルコはやっとロキが起きたことに気づいたようで、集中していたその手を止めた。
「……うん。昨日、アディーに貸してもらった」
「なんで、そんなもの弄ってるの? 何か誤作動でも起こしたら何が起こるか……」
不安げにミルコに近づくと、ミルコはにやっとどこかいたずらな笑顔をして、
「……今、通信を辿れるように僕の発明した器具を取り付けたんだ。これで僕のコンピューターに通信中になれば相手のデータが取れるようにできた」
「なんだって? じゃあ、誰がビーナスに指示を与えてるか辿れるってことなの?」
「そういうこと」
言って、サーマルセンサー装置をイロハに渡した。イロハはそれを手にとると「う?」と不思議そうな顔をした。ミルコが、
「じゃあ、取引の続きなんだけど。今から戦闘をしてもらうよ。えっと、そ、イロハに……」
ミルコは言いにくそうにイロハを一瞥して言った。それからまだソファーでいびきを掻いているアディーの尻を蹴り上げると、
「いだ! なんだ! ビーナスか? てか、ミルコかよ! ケツを蹴るな!」
アディーがソファーからやっと飛び起きると、ミルコはアディーを見下げながら、ジト目を向け、
「……アディーのせいで僕は床で寝るハメになったんだから、今日は仕事してよね……」
淡々と告げるミルコに、アディーはぽかんとして、
「仕事? なんか俺がやれることあんのか? 指名手配犯だぞ? 買い物とかならミルコが行けば……」
言うと、また尻をバンと蹴ると、
「いだ!」
「違う。取引の話。今日はイロハの身体テストをするから、イロハとアディーが戦ってほしいわけ」
「え? 俺が戦うの? ロキじゃなくて?」
「当たり前。普通の人間との戦闘だからこそ正しい数値がでるんだよ。僕じゃ非力だし、データも取らなきゃいけないから。だからいつまでも僕のソファーにいないでよ……って言ってる」
ミルコはイライラした様子でまたアディーの尻を蹴ろうとしている。それをぴょん、と躱してソファーから飛び降りたアディーは背伸びをしてあくびをひとつすると、
「おっけー。まあ、俺にできることならするけど。つか、戦うっていってるけど、それってガチにやるってことか?」
「そりゃガチでやってくんなきゃ正確なデータ取れないでしょ……。死を覚悟して戦ってくれないと」
「はー! なんじゃそりゃ! 俺、そんなん殺されるだろ! それに、イロハをもしも殺すかと思ったらなんもできねえよ!」
アディーが大仰に言うと、ミルコは腰から一丁の拳銃を取り出すと、素早くそれをアディーに向けて発砲した。
バシュン、と弾がアディーの額を撃ちぬいた。
「ぐは! ……うん? あれ……。生きてる?」
アディーは自分の額を押さえると、何が起こったのかいまいち理解が出来なかったが、周りにいたロキが、「ぷっ」と噴き出して笑った。
「あははは! アディー、頭、頭見てみなよ! あははは! ウケる!」
「え、なになに、なんだっていうんだよ!」
アディーが鏡を探そうとしていると、ミルコも含み笑いをしながら、手鏡をアディーに渡した。アディーは鏡を見ると、そこには「バカ」とペンキで書かれた文字が浮き上がっていた。
「なんじゃこりゃあ!」
言うと、ロキとミルコはまた声に出して笑い、アディーはそのペンキを何度も拭ってみるが落ちない。アディーはミルコの服を掴むと、睨み付け、
「おい、ミルコ……。これはなんだ……。俺をバカにしてんのか……」
「ぷぷ。お似合いだよ、アディー。まあまあ、ちゃんと説明するから。あと、そのペンキ、専用の除光液でしか落ちないから。ぷぷ……」
「アディー、まあまあ。ミルコの話聞こうよ。ふ、ふ……は、ははは!」
「ロキ、てめえまで! くそ! なんだってんだよ!」
言って、顔を真っ赤にして憤慨するアディーは掴んだミルコの手を放すと、まだ額の文字を消そうと必死になっていた。今度はミルコがちょこんとソファーに座ると、もう一丁同じ拳銃を取り出し、
「これは所謂ペイント弾だよ。それをちょっと僕がお茶目にしてあげたやつ。こっちのが可愛いでしょ」
「で!?」
「察しが悪いな、アディーは……。つまり、実弾で戦闘をしてくれってわけじゃない。このペイント弾を互いに持って全力で戦ってもらう。被弾した場所にはこうやって文字が浮かぶから、その被弾の場所次第で戦闘は終了。例えば、いきなり心臓を一抜きしたらそこで即戦闘終了だし、片手や片足に打たれたら、続行。とにかく、致命傷になりえる場所に互いのどちらかが撃つまでデータを取らせてもらう。あと」
ミルコがイロハの方を向いて、
「イロハには、そのサーマルセンサー装置を付けて戦闘してもらう」
言うと、ロキが目を丸くして、
「え? それって、ビーナス本部との通信をしたまま、アディーと模擬戦をするってこと? さっき言ってた通信先を特定するため……とか?」
ミルコがその言葉に頷くと、
「そういうこと。その間、通信先の特定も行う。そのためには、イロハには演技をしてもらわないといけないんだけど。できるのか不安なんだよね……。そもそも、まだ僕は全部を信じているわけじゃない。もし、変な通信をしだしたら、ファイアでイロハを殺すよ」
冷たい視線をイロハに向けるミルコ。それに対して、ロキがイロハの肩を抱くと、
「イロハにしか出来ないことだろ? 前もそのNo12の持っていたサーマルセンサー装置で本部に俺たちを守るために通信してくれたんだ。イロハならやってくれるさ。ね、イロハ」
「あう?」
未だ理解が出来ていないイロハに対して、ロキはしっかりと目を見つめて、
「この通信機を使って、これからアディーと戦闘するんだ。いつもの戦闘と同じ方法でボスに通信して欲しい。わかる?」
言うと、イロハは、「……ボス」と零すと、サーマルセンサー装置を顔に付けてこくりと頷いた。
「つ、う、し、ん。たた、かう。ボス。あう」
どこか目がぎらりと光った気がした。ロキはその目をするイロハをどこか悲しく思い、抱き寄せると、
「……本当の戦闘じゃないから。アディーとどっちが強いか試すゲームみたいなものだから。そんな真剣な顔しなくていいんだよ。辛い思いさせて、ごめん」
言うと、イロハは言葉を理解したのか、ロキの耳元で、「い、ろは。だいじょぶ」と言った。言うと、ロキはまた強くイロハを抱きしめた。
「……ちょっと。マザコン兄さん。あんま見せつけるのやめてくんない。ここ、僕の家」
ミルコにジト目を向けられて、ロキはぱっと手を放した。それから苦笑すると、
「ごめん。なんか俺、人に抱き着くの安心するんだよね」
「そういや、俺にも抱き着いてきやがったよな。ロキ。きしょくわる……」
アディーが身体を震わせると、ロキは照れたように、
「なんだろうね。あはは」
笑った。人の温もりを感じるのは嫌いじゃない。そうすることによって人の生きている命を感じられるからかもしれない。そのとき、そんな風にロキは思った。
「じゃあ、始めるよ。外に出てやるから。もし、本当のビーナスに探知された場合なんだけど、そのときは僕のファイアとロキ、あんたで駆除してもらうから」
「俺が、駆除……」
「戸惑ってらんないよ。この数値と通信傍受で、アマテラスプロジェクトを潰せることが出来る一歩になるんだから」
ミルコの重たい言葉で、ロキはごくりと唾を飲み込むと、ゆっくり頷き、
「……分かった。何かあったら排除する」
「うん。お願い」
言って、四人はシェルターの外へ出た。外は朝の空気で満ちており、新鮮な緑の匂いがした。少し肌寒い。
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