第六章 ロキとオーディン

 オーディンは約束通りにイロハが遊べるものを用意していた。手には大きなクマのぬいぐるみとスケッチブック、クレヨンを持っていた。それを無愛想なままベッドに放った。

 イロハはそれらを見て、


「あう?」


 と、不思議そうに覗いた。それからクマのぬいぐるみを抱えてみた。ふわふわしていて、それを確かめるように何度も触る。よく見ると所々に傷が付いている。誰かのお古のようだ。オーディンはその様子を一瞥すると、いつもの自分の定位置である椅子に腰掛けた。それから腕を組んでじっとしている。

 イロハはベッドの上にあるスケッチブックを手に取った。中を開くといつもミルコが使っている絵を描くものだと分かったようで、そのスケッチブックとクレヨンを持つとオーディンの傍に向かった。


「みるこ! え、かく! あう!」


 言って、笑顔でクレヨンの一本を探す。オーディンは、ミルコ、という固有名詞を耳にすると、


「ミルコ? お前はミルコっていう名前なのか?」


 イロハに目線を移し、そう訊ねると、イロハはかぶりを振り、


「いろは。いろは、え、かく!」

「は? イロハなのかミルコなのかどっちだ……。お前、ナンバーはいくつなんだ」


 言われて、黄色のクレヨンを探し当てると、


「なんばあ、いちろくはち」


 言って、スケッチブックに絵を描き出した。オーディンは、ふん、と鼻を鳴らすと、


「だからイロハってことかよ。はん、ビーナスに名前を付けるとか本当に下らん野郎だ。あいつは」


 言って、目を伏せた。ビーナスに名前を付けるなど、愚かしい。そう言わんばかりに顔を歪める。


 イロハはじっとオーディンの顔を覗いていた。それからスケッチブックに黄色で顔のようなものを描いていく。しかし、ある程度描くとオーディンの顔が影になって見えない部分があるからか、顔をオーディンに近づけた。

 すると、オーディンは、


「邪魔だ」


 言って、それを制しようとしたときにパシンと顔を叩いてしまった。オーディンははっとするも、イロハは叩かれた頬に手を当てると、笑った。


「おーでぃん。え、かく」


 言って、また絵を描き出した。オーディンはふいっと顔を背ける。更に腕も強く組んだ。それから「チッ」と舌打ちをした。


 イロハは手をグーの状態でクレヨンを握って描いているため、幼児並の絵でしかない。それでも、オーディンとスケッチブックを交互に見つめ、一生懸命に絵を描いている。今にも鼻歌でも歌い出しそうな喜びに満ちた表情でスケッチブックの上にクレヨンを走らせている。オーディンはその様子が視線の隅に見えるのせいで胸がざわめいていた。


 しばらくしてイロハの絵が完成したようで、その一枚の絵をオーディンに見せた。それは黄色一色で描かれたカカシのような絵だった。要所要所に虎柄の模様も入っていないでもない。


「おーでぃん。おーでぃん」


 と、腕を引っ張った。おずおずとオーディンがそれを見ると、


「下手くそが」


 と一蹴した。それからすぐにまた目を逸らす。イロハはその描かれた紙をスケッチブックから外すとオーディンの手に置いた。


「おーでぃん。え。おーでぃん」


 言って、満面の笑みでそれを渡す。オーディンはぐいぐいと何度も必死に渡そうとしてくるイロハに、はあ、と深く嘆息した。

 オーディンは絵をじっと見た。初めて人に絵を描いて貰った。心がざわついて仕方がなかったオーディンは、再び、


「下手くそが……」


 そう呟くと、笑顔でそこに座っているイロハの頭に手を置いていた。イロハは満足そうに、


「あう!」


 イロハは顔を赤く染めたように見えた。それを見てぱっとオーディンは手を離した。すぐにその絵を四角に折り畳んだ。それからそっとズボンのポケットに入れた。

 イロハは一通り満足したのか、ベッドに行き、クマのぬいぐるみを抱きしめた。それからクマの頭を撫で、


「ろき。ろき」


 と呼んでいた。オーディンはそれを耳にして、唇をぎゅっと噛んだ。



 ロキたちはカンザスの家で作戦会議を行っていた。


「ということで、どこから侵入するかだが」


 カンザスが告げた。それを聞いてロキが地図の中に描かれた雑な木の絵を指し、


「森から入るのがいいと思います」


 言うと、カンザスも頷き、


「そうだな。わざわざカチ込むのに管理者のいる正面突破をする必要はない。車でG地区まで行ったら森へ行こう」


 言うと、今度はアディーが、


「父さん、車なんか持ってるのか?」


 言うと、カンザスはかぶりを振り、


「いや、俺は持ってないが、F地区の友人に借りる。きっと貸してくれるだろう」


 今度はミルコが、


「でも、僕のファイアは二メートルもあるから、普通の車じゃ無理だけど……」


 言うと、カンザスが、「ファイア?」と訊ねると、


「僕のAI付きロボット。対ビーナス用だけど」

「ああ。そうか。うーん。うーん……。うん、まあ、なんとかするわ! うん、なんとかなるだろ!」


 がはは、と呑気に笑うと、ミルコはいつものアディーを見ているようで、呆れ顔で嘆息した。それからロキが、


「とりあえず、G地区まで行って、そのあと地下シェルターに入ってからは、カンザスさんの先導で本部まで行くわけですが、中ってどんな感じなんです? なんというか、武器を振り回せるような広さがあるとかそういう」


 言われて、笑っていた顔をもとの真剣な顔に変えたカンザスが、


「広さは問題ない。まず、入口に警備の人間が立っているが、あとは居住区だ。入口付近は俺たちのような種馬が生活しているし、女の居住区もある。それから子どもたちの施設があって、更に奥に進むと、上層部の居住区。そして研究所、立入禁止区画と続く」

「立入禁止区画……」


 ロキが繰り返した。カンザスが、うむ、と頷くと、


「立入禁止区画は上層部でも一部の人間しか入れないと聞いた。その奥に本部があるらしい」


 ロキはそれを聞き、その立入禁止区画には自分の出自が関わっているような気がした。それを思うとぞくぞくと背筋が凍るようで悪寒さえした。目を背けられない。ここからは自分の全てを受け入れる覚悟で臨むのだと思うと、自然と拳に力が入った。


 カンザスが、


「地下シェルターは迷路のようになっている。少しずつ広げていっているからか、道が入り組んでいるんだ。それに監視カメラがあちこちに付いている。動きは全て本部に筒抜けだと云うことを忘れちゃいけない」


 言うと、ミルコが顎に手を当てて、


「例えば、その監視カメラなんだけど。電気室みたいなところへ行けばシステムをハックしてダウンさせることは可能なんだけど、場所分かるの?」


 言われて、カンザスはうーん、と少し考えると、地図を裏返しにして地下シェルターの地図だと思しき線を描き記した。


「多分、電気系統は古い地区にあるだろうな。わざわざそんな場所に行ったことないが、探せば見つかるだろう」


 朧気ながら、地図を描き足していく。ロキが、


「となると、その監視カメラさえなんとかなればほとんど自由に中を走れるってことですか?」

「いや。まず、入口で騒動を起こした時点で内部は警戒態勢になるだろう。そうなるとビーナスやそこにいる人間が俺らを排除しに来るからな……。全員があちこちに離れないようにしないといけない。道に迷ったらそれこそ戦闘して消耗するだけだ」

「そうですね……」

「でも、監視カメラが無い方が良いに決まってる。まずは電気室に行くか」


 言うと、全員が頷いた。そのときだ。ミルコのパソコンに通信が入った。ミルコはそれに気付き通信を開いた。相手はジェイドだった。


「ジェイド。どうしたの? 何かあった?」


 ミルコが答えると、画面いっぱいにジェイドの顔が表示された。ジェイドはどこか焦った様子で、


「ミルコ! 無事だったかい! 君たちにアマテラスプロジェクトから懸賞金が懸かったんだ! 君たちを捕まえたら五百万ポイントだそうだよ! 今どこにいるんだい!? 」

「なんだって!?」


 ミルコはパソコンを落としそうになる。それから全員が息を飲むとパソコンを覗いた。それからミルコが、ごくりと生唾を飲み込むと、


「今はF補給地区の協力者の家にいるよ。なんとか、アマテラスプロジェクトの本部に行けそうなんだ」

「そうかい! それは良かった。でも、とにかく逃げて! 僕のところにもひっきりなしに人が訪ねてくる。街中の人達が君たちを血なまこになって探してる!」

「分かったよ! すぐにでも補給地区を出るよ。ジェイドありがとう」


 言うと、青い顔をしたジェイドがやっと少し笑って、


「うん。君たちならきっと出来るって信じてるよ。武運を祈ってる! 本当に気を付けてね、ミルコ」

「うん」


 言うと、ジェイドとの通信が途切れた。ミルコが顔を上げると全員が硬い表情を浮かべていた。それから、


「有無を言わずに今すぐ出ることになったね」


 全員が頷いた。それからカンザスは武器庫を開けると、


「車はなんとか用意しておく! いるものがあれば持って行け!」


 叫ぶと、ロキは立ち上がり、


「ありがとうございます! みんな、宿の荷物を取りに行こう!」


 言われて、アディーが、武器庫からマシンガンを取り出した。


「父さん、これ借りるわ!」

「ああ。持っていけ!」


 言うと、拳をお互いに合わせ、アディーは外へ出た。ロキもそれに続こうとしたとき、カンザスに剣を渡された。リーチの長い片手剣だった。


「殺戮の英雄なら剣か? 良かったら持っていけ」


 言われて、それを受け取ると、ずしりと重みが腕に伝わった。それをぎゅっと抱きしめると、頭を下げ、


「はい……。お借りします」


 言って、アディーに続き外へ出た。ミルコは鞄の中にパソコンを入れると、スケッチブックを開いた。それから、一枚の絵をそこから切り外した。


「あの。これ絵……」


 言って、その絵をカンザスに差し出した。そこには笑顔のアディーとカンザスが描かれていた。カンザスはそれを受け取ると勝手に涙腺が緩み、絵が霞んで見えた。鼻を少し啜ると、


「ありがとうな、ミルコ」


 言って、その絵を優しく抱きしめた。ミルコはフードを被り直すと、


「じゃ、あとで」


 短く告げると、ロキたちの後を追った。ひとり残されたカンザスはその絵をじっと見つめると涙を拭い、武器庫を漁った。アディーのためにも、自分が役に立とうとそう誓ったのだ。

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