(4)

 ロキはまだ残っていたビールをぐいっと飲み干すと、感情も一緒に飲み込んだようにつらつらと話した。この先一緒に旅をする仲間のアディーには話さなければならない話だとロキは思ったからだ。

 アディーは固唾を飲んでロキの話に耳を向けた。


「二年前のある日。俺は突然知らない場所に立っていた。頭が痛かったし、以前の記憶が全く無くなっていたんだ。多分、事故かなんかで記憶を無くしたんだと思うんだけど、ちゃんとIDはあったし」

「……確かに事故かもな。俺たちはこのユートピアにいるけど、自分の幼少期をみんな覚えている。どこかの施設みたいな場所で男も女も混合で育ってた。皆、15歳になるとこのユートピアに送られる。親の顔は覚えてないけど、記憶はちゃんとある」

「そう、なんだよね。俺も聞いたんだ。皆記憶がちゃんとあるって。それに施設っていう場所があるってことも。二十年前まではこのユートピアには普通に人が住んでいたけど、それ以降のアマテラスプロジェクトが統治されてからは、アディーの言った通りだって聞いた」

「で、よくそんな記憶障害の状態でどうやったらプロトタイプを万もの数、倒すことが出来たんだ?」

「うん……。俺もなんだか記憶に靄がかかった状態で、プロトタイプが群れを成している場所に剣ひとつで立っていてさ。襲い掛かるプロトタイプに剣を向けていたら、辺りはもう血まみれになっていたって感じで……。何をどうしたっていうのはあまりよく覚えていないんだ」


 ロキは、右隣にいるイロハを見た。まだ肉の塊と格闘しながら必死に食べている。ロキはイロハの頭を撫でてやると、優しい声で、「肉、美味しい?」と尋ねると、イロハは、「に、く。お、い、し、い」とまだ口の周りを脂でてかてかさせながらもぐもぐと咀嚼しだした。

 すると、ロキとアディーの話を聞いていたマスターが、新しいビールを二人の前に置くと、


「サービスするわ。あなた英雄じゃない。あのプロトタイプの異常発生は二年前突如として現れて、G地区で大量に処分されたと聞いたわ。“殺戮の英雄”なんて揶揄する人もいるけど、あのまま発生が止まらなかったら人間が大量に殺されていた。プロトタイプは名前だけ初期って名乗っているだけで、知能も高いし、身体も今のビーナスより大きいから殺傷能力は高かったし。私もその当時は店じゃなくて、戦地で戦っていたから。その強さはよく知ってる」


 マスターがそこまで言うと、ロキは目を伏せた。殺戮の英雄。たしかにG地区ではそう呼ばれていた。記憶も無くなってしまっているし、どういうふうにこの世界で生きていけばいいのかも分からなかったロキは、しばらくG地区に留まっていたが、何かとビーナス関係で男たちに大金を持っているのと同時に、その強さに嫉妬され、居場所を無くしていた。

 だから、旅に出た。それにロキには信じたいことがあった。


「なあ、アディー。やっぱり、この世界の外には別の世界が存在するんだろうか?」


 ロキはずっと考えていたひとつの仮説を話出した。


「だって、そうだろ? 皆は育った施設があるんだ。でも、このユートピアにはそんな場所存在しないんだろ? だったら、俺たちが知っているこの島以外に、女たちや子供たちが住んでいる場所があってもおかしくないよな?」


 言うと、アディーは顎に手を当てながら、


「……まあ。そうなんだよな。それが妥当な意見なんだけどよ。俺が賭場で聞いた話だと、その場にいたある男がこのB地区をずっと南下してみたんだって。そうしたら海に出たらしい。そう、何もなかった、ってことなんだ。他にも、この島を一周した奴がいて、どこにもその施設らしい場所はなかったという話だって聞いた。だから、今や都市伝説みたいな話になってる」

「でも、だったらどうやって俺たちは生まれて育ってきたっていうんだよ」

「まあ、そうなんだよな。ただ」

「ただ?」

「ひとつだけ確かな場所がある。それはアマテラスプロジェクトの本拠地だ。そこがどこにあるか分からないけど、確かにそこは存在するだろうし、そこなら安全な場所だって云えるんじゃねえか?」


 言われて、ロキも頷いた。


「確かに、本拠地が存在しなければ、俺たちがその支配下に置かれているはずがないもんな……。この島にないのなら、もしかして、アマテラスプロジェクトの情報規制で、別の島が存在していて、そこが本拠地になっているのかも……」


 ロキがじっと考える姿勢を取る。アディーはその真剣な眼差しに何か深い理由があるような気がして訊ねた。


「ロキ、お前、何を企んでるんだ?」


 端的に尋ねると、ロキは、目線をアディーにそっと移し、


「俺は、この世界を終わらせたい。だからアマテラスプロジェクトを壊したいんだ。このイロハだけじゃなく、多くのビーナスも救いたいんだ」


 今まで見たことの無い、ロキの熱い眼差し。その目の奥には計り知れないほどの悲しみと苦しみを抱えているかのような真っ黒な瞳が鈍く光っていた。アディーはそれを聞いて、「そうか」と呟くと、ビールをごくりと飲み、


「わかった。わかったよ! ロキの気持ちはよく理解した。俺もこんなところでずっと暮らすのは嫌だ。慣れって怖いな。これが当たり前の日常で、ずっと続くと思ってた。俺はこのB地区にもずっといたから余計に何もかも手に入る場所だったし、逃げ出したいなんてとっくに忘れかけていた。だけど、ロキ。お前がいるんだ。これも運命かもしれねえ。俺らがこの世界を変えるためにできることがあるなら、やってみるのも面白いかもしれねえな!」


 言って、残ったビールを一気に飲み干した。ロキはニカっと笑うアディーを見て、言葉を溜めながら、


「アディー……。もしかして着いてきてくれるのか?」


 さっきまでの鋭い瞳はもう無くなっていて、少し瞳は潤んでいるように思えた。アディーは嬉しそうなロキの顔を見て自分の胸ををドン、と叩くと、


「乗りかかった舟って言っただろ? な、マスター! 俺、英雄と友達になれたんだ! このB地区から出ていくよ。今まで沢山サービスしてくれてさんきゅな。またB地区に来たら旨い飯食わせてくれよ!」

「わかったわよ。武運を祈るわ。私たちも早く平和な場所で暮らしたいもの」


 言って、アディーとマスターはお互いに握手を交わしていた。ロキは湧き上がる熱が身体を帯びていくのが分かった。それから少し目を伏せて、顔を手で擦ると、隣のイロハをそっと抱き寄せて、


「イロハ。もうイロハが傷付かない世界に絶対するから」


 そっと耳元で囁くと、イロハは、


「ろ、き。に、く」


 と、フォークに刺さった肉をロキの口に持って行った。ロキはそれを一気にかぶり付いた。今まで食べたどんな食事よりも、旨く感じた。

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