(5)

 サーシャはイロハが軟禁されている部屋へと向かった。そこに辿り着くと、自分のIDカードをカードリーダーに通す。すると扉が開いた。


「伝達事項があって来たわ」


 椅子に座っていたオーディンにそう声を掛けると、オーディンはすっと立ち上がり、怪訝な顔つきで、


「何か問題でも?」


 その言葉に、サーシャは首を横に振り、


「問題というよりは、連絡事項ね。F地区にロキたちがいるわ。ボスからの指示で、それを伝えるようにと」


 言われると、オーディンは深く嘆息し、


「……始末しろということだな。まあ、俺の手であいつを殺すことに異議はないが。あんな下等生物のために俺がわざわざ出向くことが腹ただしい」

「仕方ないわ。貴方は戦士なんですから。この世界に他に戦士はいないもの」


 戦士はいない、そこの言葉が何を指しているのだろうか。サーシャは神妙な面持ちで言った。オーディンはイロハをちらりと見ると、自分の手に視線をすぐに移した。そこには普通の人間には無い鋭い爪が生えている。


「……分かってるよ。ボスの仰せのままに」

「分かってるならいいわ。ロキを殺すことになったらまた伝令が来ると思う」


 そのとき、イロハは、ロキを殺すという言葉が耳に入ってきて、ベッドから飛び起きた。


「ろき! ろき! ノー!」


 言って、手枷の無いイロハはサーシャに向かって駆け出した。それからサーシャに向かって拳を突き立てようとした瞬間。オーディンが寸ででその手を止めた。ぎりりと力が入る。イロハは、


「うー!」


 と言って反抗しようとするも、オーディンに腹部を殴打され、かはかはとその場で蹲った。サーシャはそれを見て、


「このビーナスは、ロキのことになるとこうなるのかしら?」

「見ての通りだ。あとは飯を食うか、トイレに行くか、時々涙を流しているかだ」

「涙を流す、か……」


 言って、蹲っているイロハに目線を合わせてサーシャはしゃがむと、自分の胸に手を当てて、


「あなたはロキが好きなのかしら?」


 言われて、イロハは好き、という言葉とジェスチャーで理解した。苦しい息を整えると、


「ろき、すき」


 と、涙目になりながら言った。サーシャはふっと微笑むと、頭を撫でた。まるで母親がするように。イロハはまた殴られると思ってか目を瞑ったが、その撫でる手が優しいことが分かると、サーシャの顔をじっと見つめた。

 それからサーシャは立ち上がると、オーディンに、


「ボスはこの子を飼い慣らすことが出来ると信じてるわ。なんせ、不出来なビーナスに感情が現れたのはこの二年でこの子たったひとり。ボスが希望を賭けたいのは分かる。でも」


 言って、防犯カメラのある方をちらりを見た。それから素早く目を伏せると、


「でも、ロキだったから出来た可能性は高いわ。ボスには何かギミックがある疑いは捨てきれないと伝えているけど。オーディン」

「なんだ」

「もしかしたら貴方ならこの子の心を開くことが出来るかもしれないわね」

「俺が、ねえ……」


 言うと、けっと唾を吐き捨てるように、


「嫌だね。あんなロキと一緒にされたくない。それにあの下等生物と同じようなことをするつもりなどない」

「それがボスの望みでも?」

「……」


 オーディンは押し黙った。苦悩の表情を浮かべる。それから、はあ、と長いため息を漏らすと、


「分かった。できる限り努める……」

「そうして頂戴」


 言うと、サーシャは部屋から出た。残されたオーディンは、いつまでも床に座っているイロハの手を掴むと、


「だそうだ。お前のことを大事にしないといけないらしい」


 そういうオーディンはどこか悲しそうな顔をした。イロハはなんだかロキが泣いてしまっているような気がして、オーディンの頭を撫でた。


「おーでぃん。やさしい」


 イロハは笑った。さっき殴られたばかりなのに、何故イロハはこんなにも笑えるのかと、オーディンは撫でられた頭を触った。オーディンは、初めて人に頭を撫でられた。すると奥にあった熱いものが込み上げてきて、イロハから視線を移すと椅子に腰掛けた。

 涙が出そうになり、イロハから背を向けると、


「お前もこんなところで退屈だろう。今度何か遊ぶものでも持ってきてやる」

「あう?」


 言って、イロハはオーディンの傍に寄った。それからオーディンの顔を覗こうとすると、オーディンはそっと手を払い除け、


「ベッドにいろ……」


 言われて、イロハは素直にベッドに座った。そのあともイロハはオーディンをじっと心配そうに見つめ続けていた。



 アディーはカンザスの家に来ていた。ロキたちが泊まっている安宿から百メートルほど歩いた場所にあった。小さなレンガ造りの家で、庭が少しだけあった。そこには見たことのない白い花が咲いていた。


「この花なに?」


 アディーがクーラーボックスを手にしたまま訊ねた。カンザスは「ああ」と言うと玄関の鍵を開けながら、


「それはオレガノだ。昔、その辺に生えているのを見つけてここに植えた」

「へえ。おっさんって色んな趣味してんだな」

「まあな。退屈だしな」


 言って笑うと、アディーを部屋の中へ通した。カンザスは釣竿を立てかけると、アディーをキッチンに呼んだ。

 カンザスの部屋はベッドにローテーブル、ソファー。あとは雑貨類や生活製品がぽつんと並んでいるだけでこざっぱりしていた。床には青い麻の織物が敷いてある。キッチンも小さかった。


「今からお前の仲間のために魚を料理するぞ」

「おー! 何を作るんだ?」


 興味津々にカンザスの手元を覗くアディー。カンザスはクーラーボックスからアジ三匹を取り出すと、キッチンの上にあったトレイに入れた。ピチピチと勢いよく跳ねる。それから壁に掛けてあった鍋を取り出し、そこに油を入れた。それを火にかける。


「アジを揚げる。これが美味いんだ」


 言って、包丁を取り出すと慣れた手つきでアジを捌いていく。アディーはそれを見て感嘆の声を漏らす。カンザスは下ごしらえしたアジを、熱くなった油に投入した。パチパチパチという子気味いい音を立ててアジが油に浮かぶ。

 次第に油とパン粉が揚がる香ばしい匂いがしてきて、アディーはぐう、と腹を鳴らした。


「うまそー!」

「うまいぜ。アディーも一匹食えよ」

「え、いいのか?」

「お仲間は二人なんだろ? じゃあ、一匹余るしな。でもこれだけじゃ腹の足しにならねえし。なんか作るか。俺の飯もないしな」


 言って、冷蔵庫から食材を適当に選ぶと、次々と料理を完成させていった。アディーはそれをじっと見ていた。


「俺、料理ってしたことないからわかんねえけど、自分で作ったもんを誰かに食べて貰えるっていいかもな」


 アディーがそう言って、出来上がったパエリアのような焼き飯と、スープをローテーブルに運んだ。出来上がったアジのフライはよけてある。


「アディー、熱いうちに食べてみ」


 言われると、アディーは油を切ったアジフライをぱくりと口の中に放り込んだ。サクサクという音が口の中で弾けると、飲み込み、アディーは目を大きく開いて、


「うんめえ! なにこれ、絶対ロキたち喜ぶじゃん! おっさん、ありがとう!」

「どういたしまして。じゃあ、冷めないうちに持ってってやろうぜ」

「ああ!」


 言って二人はアジフライを小さな紙袋に入れると、安宿まで歩いて行った。


 宿に着くとフロントに、


「あの、ロキっていう奴がどこの部屋使ってるか教えて欲しいんだけど」

「ああ、ロキ様たちでしたら、大広間にお泊まりですね。ここの右の奥です」

「さんきゅ!」


 言って、アディーは軽い足取りで歩いていく。カンザスもそんなアディーを優しい目で見ていた。アディーは奥まで歩いていくと、ノックもせず、


「おーい! ロキ、ミルコ、飯の差し入れだぜ!」


 大きな声で言うと、ロキとミルコは各自のベッドにいた。隣同士のベッドで、何やらミルコのパソコンを広げて二人で見ているところだった。

 ミルコが、アディーの声を聞き扉を見ると、知らない男が立っているのに気が付き、パソコンを閉じた。


「何やってんだお前ら」


 アディーがしれっと中に入ろうとしたとき、ミルコが立ち上がってアディーを睨んだ。


「その後ろの人、誰」

「は? ああ。このおっさんはカンザスって云って、俺に釣りを教えてくれた人。釣った魚も料理してくれたんだぜ! これ、その料理」


 言って、紙袋をミルコに差し出した。ミルコはそれを思い切り床にたたき落とすと、


「そんな身の上も知らない人間の作った食べ物なんか口に出来るわけないでしょ……。アディー、ちょっとは警戒するとかないわけ?」


 床に落ちたアジフライをアディーはそっと拾うと、ミルコを睨み返し、


「お前が神経質なだけだろ! 人の好意を踏みにじるようなことが平気で出来るお前の神経の方がよっぽどおかしいわ!」

「なんだって? 僕は今だって色々やってたのに、その人が敵かもしれないんだよ? 釣りとかして、そうやって懐柔されてるかもとか思わないわけ!?」

「そんなこといちいち思って生きてたら俺は生きてはいねえんだよ! くそが!」


 言って、二人が白熱している最中、ロキが二人を割るように中に入ると、二人の肩を叩き、


「まあまあ。とにかく落ち着いて。えっと、カンザスさんでしたっけ。ちょっと今こんな状態なんで、お引き取り頂けますか?」


 眉を八の字にして言うと、カンザスも申し訳なさそうに頭を掻くと、


「いやあ、こっちもいきなり訪ねてすまなかった。じゃあ、アディーまたな」


 言うと、アディーは、ふいっと顔を逸らし、


「俺もおっさん家に行く。こんなとこいられるかってんだ」

「おい、アディー……」


 カンザスが心配そうに言うと、ロキは手をそっと上げて、


「アディーがお邪魔でないなら泊めてやって下さい。今ここにいたらまた喧嘩しそうなんで」


 ミルコの方を向くと、ミルコは自分のベッドにそそくさと向かい、布団を被った。それを見て、カンザスは苦笑いを浮かべると、


「わかったよ。アディーのことは責任持って預かるよ。俺はそれに不審者じゃない。ここから百メートルほど先にある家にずっと住んでる、しがない戦士だ」

「そうですか。戦士……。はい、もし何かあれば俺も貴方に何をするか分かりませんので。そこだけご理解を」

「ちょ、ロキまでそんなこと言うのかよ! 呆れた!」

「アディー、俺たちは仲間だ。アディーのことを心配するに決まってる。それに病み上がりなんだし。あんまり俺らのことも心配させないでくれよ」

「ちっ」


 言って、アディーは部屋を出て行った。カンザスはロキに頭を下げると、アディーに付いて行った。

 部屋に残されたロキは、ミルコの傍へ行って、


「アディーなら大丈夫だって」


 そう言葉を掛けたら、布団が少し動いた。

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