第二章 補給地区

 ロキは安心したのか、イロハの手を握りしめたまま、また微睡の中へと落ちていった。薄っすらと入眠時に見えたイロハも、目をまた閉じたように思えた。



 次に起きたのはもう日が高くなった頃だ。暑さと闇商人の大声とともに身体を揺すられ起きた。


「おい! 小僧! もう昼じゃぞ! 謝礼がまだ済んどらんのじゃ! さっさと払え! わしは次の地区に行きたいんじゃ!」

「……あ、お爺さん。また寝てしまったんだな。うん、お礼はちゃんとします」


 言って、のそりと身体を起こすと、まだ自分の左手がイロハと繋がっていて、手の温度が温かくなっていることに安堵した。それを「ごめんね」と呟きながら放すと、自分の鞄の中から大量の札束を取り出し、数えた。


「はい、十万ちょうど。本当に助かりました」


 闇商人はそれをもう一度自身で指に唾を付けながら確認し、


「ふむ。で、おぬしらこれからどこへ行くのじゃ。このビーナスはどうするつもりなんじゃ」

「……そうですね。できれば、一緒に連れて行きたいと思っています。もうサーマルセンサー装置もこの子は付けていないし、どこか安全な場所まで一緒に行くのが良いのかもしれないと思って。おい、アディー、起きてくれ」


 言って、ロキの隣でぐうぐうといびきを掻いているアディーの身体を揺すった。すると、アディーはお構いなしにその手を振り払い寝続けているから、ロキは頭をぱしんと叩いてやった。


「いで! な、なんだ!? 敵襲か!? って、ロキかよ。なんだよ、人が心地よく寝てるってのに」

「あ、いや。見張りは本当に有難う。あのさ、アディーのバイクにまた乗せて欲しいと思って。イロハと一緒に」


 隣でまだ寝息を立てているイロハの頭を撫でながらロキは言うと、アディーはきょとんとして、


「は? 名前まで付けてんのかよ。まだこのビーナスを連れまわすってのか? そうしたら、俺、いつまで経っても補給地区入れねえじゃないか」

「いや、俺も補給地区を目指すつもりなんだ。このイロハも一緒に」


 言うと、アディーと闇商人が一緒になって、「はあああああっ!?」と大仰なリアクションをとった。


「いやいやいや、女がいないこのユートピアにビーナスなんか連れてったらすぐにバレるって! 嫌だぞ、俺処刑されたくない!」


 言って、慄くアディーに対して、ロキはうーんと頭を抱えると、何か思いついたようで、ポン、と手を叩く。


「そうだよ。男装させればいいんだ。顔を見えにくくさせて、髪も切ってさ。服も男物着てたら、少年のように見えないかな。おい、イロハ起きて」


 ロキはイロハの身体を揺すって起こした。イロハは「あ、う……」と言いながら、身体を起こすと、


「ろ、き」


 と、呟いた。相変わらず無表情なのに可愛らしい顔だ。それから、ロキはイロハに微笑み、


「イロハ、俺たちと一緒に補給地区に行こう。イロハも何も食べてないだろ? 俺も腹減ったし、色々買いたいし。君ひとり、こんな戦闘フィールドに置いておきたくない。まだ怪我だって完治してないしね」

「あ、う?」


 イロハは、不思議そうな顔をしているが、出会った頃よりも少しずつ表情が読み取れるようになったような気がする。


「大丈夫、髪切ってしまったり、服替えたりするけど、君の安全は俺が守るから。ね?」


 言うと、イロハのお腹からぐう、と間抜けな音が鳴った。それと共鳴するかのように、アディーとロキもぐう、と鳴らす。


「やべ、マジ腹減った。……本当にこの子連れて行くのかよ。うーん……」


 アディーがしげしげとイロハを見ていると、イロハがアディーを見て、


「あ、で。あ、で」


 と、言った。アディーは途端、顔が熱くなって、「ああもう!」と髪をバサバサとかき混ぜると、


「わかったよ! 乗りかかった舟だ! こうなったらとことん付き合ってやるよ! どうやらこのイロハって奴はもう好戦的じゃないみたいだしな。仕方ねえ! だけど、ロキ! お前は別だ! 補給地区に入ったら飯奢れよ!」

「有難う、アディー!」


 言って、ロキは感極まったかのようにアディーに思いきりハグをした。「やめろおお! 男に抱きしめられても嬉しかねえっ!」と、言いながら、アディーはもがく。ロキはただただ喜びが溢れて、アディーを抱きしめ続けていた。このままじゃ頬刷りまでしそうだ。


「じゃあ、ほれ、ハサミじゃ。髪、切るんじゃろ?」


 闇商人もハサミを持って来てくれ、ロキに渡した。ロキはそれを手に取ると、イロハの美しい白い髪に触れた。


「イロハ、バッサリ切るからね。俺、素人だけど、頑張って切るよ」

「あ、う」


 ロキはイロハの髪に一直線にハサミを入れた。ザクリと云う音がして、長かった髪がおかっぱ程度の長さになる。お構いなしに、ロキはザクザクとハサミを入れていった。隣で見ていたアディーが何か思い付いたように、


「そういや、俺のツナギなら予備があるな。大きいかもしれねえけど、体形は隠れるよな」


 言って、外にあるバイクの方へ行き、何やら荷物の中をごそごそと荒らしている。ロキはそれを聞きながら、鼻歌でも歌うように、髪を切り、すべての髪の量を同じにしたくらいになって、イロハをこちらに顔を向けさせた。


「できた! うん! うん……。ま、まあこんなもんだよね。ハハハ」


 言って、そこに現れたのは、不ぞろいのおかっぱになったイロハの姿があった。顔に切った髪が残っている。イロハは頭を撫でながら、


「あ、う」


 と、今まであったものが軽くなったのを確かめるかのようにかぶりを振った。ロキは優しく頭を撫でてやった。


「おーい! あったぞー! ツナギ!」


 アディーが外からモスグリーンのツナギを持って走ってきた。


「これ、着たらいいと思うんだけど。イ、イロハだっけ。ほら、着てみなよ」

「あう?」


 言われて、ツナギを受け取ると、イロハはそのままワンピースを脱ごうとした。白い柔肌が露わになっていく。ロキとアディーは同時に、後ろを振り返り、目を覆い隠した。


「着替えたら教えて!」


 ロキがそう叫ぶと、「あう」とイロハが答えたように思えた。……こういうモラルも教えないといけないのか、とロキは改めて、大変な子を拾ってしまったと思った。


 しばらくして、ロキのシャツを引っ張るイロハ。


「あう」

「着替えた?」


 後ろを振り返ると、そこにはまさに美少年と形容できる少女が佇んでいた。しかし、手と足がツナギのほうがかなり大きくて、だぶだぶに身体が隠れてしまっている。お陰で胸のあたりはしっかり隠れ、もともと豊満とはいえない小さな胸ではあったが、それもしっかり隠れていた。

 ロキは萌え袖になっているのは可愛いなと思ってしまったが、それを捲ってやり、足も長さを整えてやった。アディーがそれを見ると、


「うん。まあ、こういう少年もいるって感じにはなったな」

「だけど、顔が見えてしまうからなあ。帽子はないの?」

「帽子はバイク乗りにいらねえからなあ」

「そうかあ……」


 言って、二人がうんうん唸っていると、背後から闇商人がのそりと出てきて、


「これでよかったらやるぞ。前に拾った帽子じゃ。ツケといてやる」


 ロキはその黒いキャップを渡されると、「有難う、お爺さん!」とハグをした。ロキはどうやら感動すると誰彼構わず抱き着きたくなる癖があるのかもしれない。闇商人は「やめろ! 気色悪い!」と唸ると、ロキはキャップを手にして、それをイロハに被せてやった。


 すると、どうだろう。キャップが大きいのも手伝って、鍔の部分を下げると顔がちょうど陰になるではないか。

 ロキは、顔を綻ばすと、


「よし! これで、堂々と連れて歩けそうだぞ! レッツ、補給地区だ!」


 おー! とロキはイロハの手を握って、拳を二人で上げる。アディーは苦笑しながらも、


「そうと決まれば、さっさと行くぜ。腹減って仕方ねえ」

「うん! お爺さん、有難うございました! また、どこかで会ったときには酒でも持っていきます」

「おうおう、最高級のワインが飲みたいのう。まあ、変わりモンのお前さんたちなら、なんとかしぶとく生きてそうだからのう。またの、小僧たち」


 言って、手を振る闇商人。ロキたちはアディーのバイクに乗り込み、電子方位端末を操作すると、ビル街を駆け抜けていった。イロハは帽子が飛ばされないように抑えて、闇商人の姿を見送っていた。

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