(7)

 バイクは廃墟ビル街を駆け抜けて行った。するりするりと路地を進み、その間、ロキはNo168の止血に集中していた。しばらく走らせていると、大きな通りに出た。アディーはそこでバイクを停めた。


「おーい! じいさーん! さっきショットガン買ったモンだ! どこにいるー!?」


 アディーはビルのコンクリートで反響するくらいの大声で叫んだ。


「多分、夜だし、移動はそんなしてないと思うんだよな」


 言って、アディーはまた「おーい!」と叫んだ。しばらくそうして叫んでいると、通りの先からのそり、のそり、と黒い外套を被った爺さんが近づいてくるのが分かった。


「なんじゃ。もう寝床も決めて寝ようとしていたのに。まだ何か用か小僧」


 その小柄の爺さんは白い髭に、鷲鼻でいかにも胡散臭い様が見て取れる。アディーはその闇商人を見つけると、手を振り、


「ああ、ちょっと野暮用を引き受けてくれないかと相談しに戻ってきた。これを見てくれよ」


 言うと、バイクの後ろを指さした。闇商人はそれをのっそりと覗き込んだ。


「なんじゃ! ビーナスではないか。こいつを売りたいってことなのか?」

「いや、違うんだ。このロキって奴がビーナスを治療したいんだとよ。爺さん、医療にも詳しいだろ。ビーナスの売買だってしてるんだからさ」


 アディーが言うと、ロキは心臓が逸った。今なんとかしないとどうしても命を守ることができない。闇商人はふむ、とNo168の身体を触ると、No168もびくりと身体を揺らしたように思えた。


「……いいじゃろう。だが、高いぞ? こやつはかなり衰弱しておる。銃で撃たれておるな? 弾丸を取り除き、それを塞いでいる間、輸血も必要になるじゃろう。ビーナスはみなA型なんじゃ。あんたらA型の人間はおるんか?」


 言うと、すぐさまロキが反応し、


「俺、A型です! IDにもそう書かれています! だから、俺から輸血してくれればいい!」

「……ふむ。金の方はどうじゃ? 一応、大掛かりな手術になるゆえ、十万ほどは欲しいのう」

「それでいいなら払います!」

 

 ロキは即答すると、隣でアディーが目を丸くして、驚いた。


「ロキ、あんた、十万もこんなビーナスに払うっていうのかよ! 信じらんねえ! マジで変わりモンだぜお前」

「……金なんて別に俺はいらないんだ」

 

 ぼそりと呟くと、闇商人は親指をくいっと後ろにやると、


「そこにわしが今日の宿にしているテナントがある。そこに連れて来い。交渉成立じゃ」

「有難うございます!」


 ロキは顔を綻ばした。これでNo168が助かる。救いの神がそこに現れたような気がして、ロキはさっきまでの緊張がほぐれてきた。

 アディーはバイクを走らせ、闇商人の宿にしているテナント前に停車させると、二人がかりでNo168を中へと運んだ。


 テナントに明かりが点き、中へと運ぶ。闇商人はそこに大きなビニールシートを敷いた。


「ここにビーナスを置け。それとお前さん、その横に横たわってくれ。輸血の準備をする。直接流しこむんじゃ。あとビーナスよ。一応麻酔を使うが、局部麻酔しかない。痛みがあんたらには無いようだからいいだろうが、我慢するんじゃぞ」


 どことなく柔和な表情を浮かべる闇商人。ビーナスの扱いもお手の物というところなのだろう。No168は意味が分かっているのかどうかわからないようで、ロキの方をじいっと見た。


「大丈夫だよ。君を助けてくれるんだ。怖くない。安心して、横になればいいから」


 ロキは優しくNo168に言うと、「あう」と返し、その場で静かに横たわった。ロキも横たわると、No168はロキの方を見つめ、そっと怪我をしていない右手でロキの腕を掴んだ。


「じゃあ、俺は外を警戒しておくよ。爺さん頼んだぜ」


 アディーが言って、ショットガンを携え、テナントの外へ出た。

 闇商人がチューブをロキとNo168の手に繋ぐと、白いビニールの手袋をはめた。


「じゃあ、始めるぞ」


 言って、No168の手術を開始した。ロキはじっと見つめてくるNo168の顔を見ていたら、安心したのか、急に睡魔に襲われた。



 ――夢を見た。また母がいる。母はロキを腕に抱いているようだった。昼間に見た夢より自分自身が小さくて、母が子守唄のようなものを歌っていた。しかし母の顔はぼんやりとしか見えない。でも、どこかで見たような親近感が沸く。

 自分にもこんな母が本当にいたのだろうか。自分が産まれたのだから、産みの母親は必ずいるだろうが、こんな顔だったのだろうか。今は何をしているのだろう。そんなことを思いながら、温かな腕の中で美しい歌声とともに眠りに就く心地よい夢だった。



「……キ、ロキ! 目が覚めたのか?」


 ロキはうとうとと微睡の中、聞こえてくる声で目を覚ました。目の前にはロキの顔をじいっと覗き込むアディーの姿があった。


「……俺、寝てたのか」

「うん。もう明け方だぞ。俺は見張りで一睡もできなかったんだからな。感謝しろよ」


 ふわあ、と大きなあくびをするアディー。それを見て苦笑しながらロキが、


「すまない。有難う」


 言って、ロキは隣を見た。隣でNo168が眠っているようだった。


「手術は無事終わったのか?」

「ああ、終わったよ。爺さん、すっかりへとへとで寝ちまってる」

「あとで、ちゃんとお礼しないとな」


 言って、身体をゆっくりと起こし、隣のNo168の顔を見た。……血色がよくなっている。ロキは胸を撫でおろした。そっとNo168の髪を撫でた。サラサラと指の隙間を通り抜けていく。

 すると、No168が「う、ん……」と言葉を零して、目を開けた。


「あ、ごめん。起こしちゃったね」


 ロキが素早く手をどかそうとすると、No168はその手をそっと握りしめて、


「ろ、き。ろ、き」


 と、ロキの名前を発した。ロキは身体の奥から込み上げるものが押し寄せておきて、涙が出そうになった。ぎゅっと手を握り返すと、


「そう、俺はロキだよ。君の名前も必要だよね。No168だから、イロハっていうのはどうだろう? 君にとても似合うと思う」

「……い、ろ、は?」

「そう、イロハだ」


 言うと、イロハはどことなく、微笑んだような気がした。それを見て、ロキはやはり涙を流してしまった。もう外は朝の茜色に染まり始めていた。

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