(3)
現在、二十二時。D地区、補給地区に辿り着く前の戦闘フィールドにロキたちはいた。B地区の戦闘フィールドに似通った廃墟で、ビルに囲まれた街にいる。
ここに辿り着くまで、ビーナスに何度も遭遇していたが、ロキはそのたびに、感情を殺したまま、ビーナスを殺し続けた。服は返り血で汚れ、次第にロキの目も虚ろになり始め、機械的に排除していた。
補給地区まであと少しのところだが、夜になって目も利かないのもあるし、アディーの身体も心配なのもあったが、何より、ロキをこのまま戦わせることをアディーやミルコがさせたくなかった。だから、この廃墟で急遽休むことにしたのだった。
休むのにちょうど良さそうなビルを見つけた。シャワーも出るようで、ベッドもある。電気は通ってないが、ミルコが持ってきた、小型バッテリーのお陰で、電気ランタンを灯すことが出来ていた。
「ロキ、シャワー浴びてきたら?」
ミルコが、アディーに打ってやるための鎮痛剤の用意をするとロキに勧めた。ロキは、じっとその場で座っていたが、こくりと頷き、
「……うん」
と、端的に零すと、ゆっくり立ち上がった。それからのそりのそりと歩きだすと、シャワーがある部屋まで暗い廊下を辿り、向かった。
その影をじっと見ていたアディーが、心配そうな面持ちで、ミルコに話す。
「なあ。ロキ、大丈夫かよ。なんか無理させたよな、俺ら」
そう言って、ミルコに腕を差し出し、そこに注射された。ミルコも針を抜くと、眉をハの字にして、
「うん。ロキがあんなふうに戦うなんて知らなかったから普通に頼んでたけど……。僕はなんの躊躇もせず、ビーナスを殺してきたから。ロキは本当にビーナスと戦うのが辛そうだったね」
「まあ、そうだな。あいつ、俺と会ってからも、戦うのを嫌がっていたし、しかもビーナスが母親だって知ってから、余計に怖くて堪らんかったんだと思う」
二人はそう言ってから、しばらく重い沈黙が流れた。
ひとり、ロキの向かった方をじっと見ているイロハ。ずっとバイクの後部座席でロキの様子を見ていた。ロキがビーナスを倒すたびに、どこか心が壊れていっているのを一番感じていたのだ。ロキのことが心配で仕方ないといったふうに、ロキがこちらに戻ってくるのを待っている。そんなイロハが微動だにしないのをアディーが心配して、
「イロハ、飯食えよ。ちゃんとロキの分もあるからさ。お前が食べないとロキも心配するし」
「……」
イロハは声を掛けられても、ロキの向かった方をずっと見ている。アディーの声が聞こえていないようで、それだけイロハもロキの身を案じているようだった。
アディーはそれを見て、胸が締め付けられてしまい、イロハの目の前にジャーキーとチョコレートを置くと、ミルコの方へ行き、座った。ミルコもジャーキーを齧るも、ただ硬い石でも食べているかのようで、なかなか喉に通らなかった。ミルコもアディーもそのまま食事を摂ることだけをして言葉を交わさなかった。
ロキは、シャワーを浴びていた。温水でない水だけのシャワーが、身体に冷たく流れていく。身体を洗うというよりは水浴びをしているような姿で、頭からただ水をかけ流していた。
「……あ。服。洗わないと……」
頭の中が靄にかかったような状態で、ふとそんなことを思った。傍に置いてあった服を手に取ると、血が付いていた。暗いからしっかりとは見えないが、窓から月明かりに照らされて、赤い色がすうっと浮かびあがっていた。
ロキはそれを見ると、ゴシゴシ、と擦った。擦ると、少し色が落ちるような気がした。ゴシゴシ、ゴシゴシ、と徐々に強く擦る。ゴシゴシ、ゴシゴシ。何度も何度も強く擦っているうちに、ロキは涙が溢れてきた。
「母さん……」
と、ぼそりと零すと、ロキは洗っていた手を止め、服を抱きしめると、その場で嗚咽を繰り返した。シャワーの水が頭に落ちる。このまま水が全部、洗い流してくれたらいいのに、そう、ロキは思った。見た覚えのない母の姿を心の中で追いかけていた。
ミルコとアディーは、なんとか自分たちの食事を摂ることができた。イロハは相変わらずじっとしたままだった。
三十分近く経つのに、ロキはまだシャワーから帰って来ない。
「ロキ、大丈夫か、あいつ」
言って、アディーが立ちあがると、シャワールームの方へと歩きだした。それを見て、イロハも立ち上がると、
「あで、ろき」
とアディーの腕を引っ張った。アディーはイロハの顔を見ると、薄明かりの中、病み上がりの自分の顔色よりも悪いような、青白い顔のイロハが見えた。アディーはイロハの頭をポンと叩くと、
「俺が見に行ってくるから、イロハは飯食ってな」
言って、アディーはイロハの手を放すと、ロキのところへ向かった。イロハは「あう……」と零すと、その場で座った。目線は未だロキの帰ってくる方を見ていた。
「ロキ? 大丈夫か?」
シャワールームに行くと、ジャバジャバと流れる水の音が静かに響いていた。中を覗くと、ロキが自分の服を抱きしめたまま蹲っている。アディーはそれを見て、そっと肩に触れた。
「ロキ」
言うと、ロキはびくりと肩を揺らした。それからゆっくり顔を上げると、
「母さんはどこ……」
と、虚ろな目で呟いた。それを見たアディーは腹の底から込み上げてくる熱いものが抑えられず、その場でロキを抱きしめた。
「ロキ、有難うな」
言って、冷え切ったロキの身体を立ち上がらせた。それからバスタオルで身体を拭いてやると、
「とりあえず、飯食おうぜ。ロキ、服は俺が洗っておいてやるから。貸してみ」
「……うん」
ロキはなんとか言葉が分かったようで、アディーに自分の服を渡すと、バスタオルを腰に巻き、イロハたちの待つところへ戻って行った。
「ロキ。戻ってきたんだね。寒くない?」
ミルコはのそりのそりと帰ってきたロキを見ると、声を掛けた。イロハもロキの姿を見つけ、
「ろき! ろき!」
と、抱き着いて行った。ロキはイロハをじいっと見た。先刻まで倒し続けていたビーナスと同じ顔をしている。抱き着いてきた身体が妙に温かくて、ロキはまた涙を流しそうになった。鼻を啜ると、ロキはイロハの分と自分の分の食事が置いてあるのを見つけ、
「……イロハ、ご飯食べよう。こっちにおいで」
「あう!」
言って、イロハはロキの隣に座ると、チョコレートを口に頬張った。初めて食べる甘いお菓子にイロハは顔を綻ばせ、
「ろき、ちょこ」
言って、ロキの口にもチョコレートを入れた。ロキはチョコレートを噛むと、口の中が甘さで満たされた。口の中で全部溶けるまでそれを舐めていると、どこか安心するような気がして、さっきまでの凍っていた気持ちが解かれたように思えた。イロハはそれを見ていると、ロキの顔がさっきより穏やかになったような気がして、もうひとつロキの口にチョコレートを入れた。ロキはただそれを受け入れていた。
「ロキ、ちょっと話があるんだけど」
ミルコがパソコンを広げ、言った。ロキはミルコの方を見ると、
「何?」
「あのね。アディーとイロハの戦闘中に通信を傍受してたデータなんだけど。一応、取れてはいるんだ。で、どこからなのか解析してみたんだけど、場所の特定だけしかできなかった。場所は恐らくG地区付近。G地区付近からの電波をキャッチしていた。これってさ、ロキが記憶を無くしてプロトタイプを倒した地区でしょ? やっぱりG地区には何かあるんだと思う」
「G地区に……」
「うん。あとはもっと解析しないとわからないことばかりなんだけど、もう通信は出来ないし。G地区に向かってみるのが一番の手だと思う。ロキも早く、自分のこと、知りたいでしょ……」
じっとロキの目を見て言うミルコに、ロキはそっと視線を落とすと、
「……早く片付けたい。自分のことが分からなくなる前に」
「……そうだね。制御装置も欲しいんだよね。とりあえず、D補給地区まで行けば、制御装置は作れるから。でもさ」
ミルコがそこで言葉を区切った。ロキはそれを聞いても、じっと目を伏せたままだ。ミルコはフードを被り直すと、
「バーサーク状態になってた方がロキには良いのかもしれないね」
ロキはそれを聞いて、身体をびくりと硬直させた。確かに、記憶が無くなっていたほうが自分にとって好都合なのかもしれない。でも、それはやはり、人間らしくない自分を肯定するだけであって、なんの解決にもなっていないことは分かる。優しさで言ったミルコの言葉なのは分かったが、ロキはそれだけ、心配をかけてしまったことに落胆した。ロキが、
「ううん。大丈夫だよ。俺はちゃんと人間として戦いたいから。制御する」
「……分かったよ」
言って、ミルコはパソコンを閉じると、横になった。
丁度アディーがロキの服を洗って、シャワーも浴び終わったようで戻ってきた。
「ロキ、服、乾かしておくからな。飯、食ったか?」
アディーはにこりと笑って言う。ロキはそれを見て、頷くと、
「うん。イロハにチョコ貰った」
「マジで? 俺、イロハ用だって云われてたから食ってねえんだよな。イロハ、俺にもちょーだい!」
「あう!」
イロハはアディーにもチョコレートを口に入れてやると、アディーは咀嚼し、
「うめえ! やっぱ、甘いものもたまには良いよな~! D地区はなんか名産とかないの?」
「名産かどうかは知らないけど、D地区は科学者が多いからか、ケーキとかそういう甘いものは結構売ってるよ」
ミルコが寝ころびながら言うと、アディーは軽くステップを踏むと、
「マジか! 俺、ケーキって名前しか知らないんだよな! ビスケットとかは食ったことあるけど、ケーキは食ったことねえんだよ! ミルコ、観光案内してくれよ!」
「観光ねえ……。そんな余裕あるかわかんないけど」
「たまには、良いだろ! な、ロキ!」
「うん、そうだね」
「じゃ、そういうことで! 案内頼むわ!」
「はいはい。じゃ、僕もシャワー浴びてくる」
言って、ミルコはバスタオルを握りしめ、シャワールームへと向かった。アディーはロキの隣に座ると、
「ロキ、落ち着いたか?」
低い優しい声で言う。ロキはアディーを見て、苦笑すると、
「うん。もう、大丈夫だから」
言うと、アディーはまだ乾いてないロキの頭をがしがしと撫でた。
ロキは窓を見た。さっきまで月が出ていたのに、雲に隠れてしまっていた。雨がしとしとと降りだしているのが見えた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます