(2)

 イロハは虎柄の男に連れられ、暗くて長い廊下を歩いて行くと、大きな趣味の悪い装飾が施された金色の扉が現れた。虎柄の男はそれをノックすると、


「ボス、連れて来ました」


 と声を掛けた。すると、扉は自然に開き、虎柄の男はそこで一礼すると、中へと入った。イロハは途端恐怖が襲ってきて、足を止める。虎柄の男はイロハの架せられている手錠を引っ張ると、無理やり中に通した。

 そこは思ったより無機質なスペースで、壁にモニターがびっしり詰まっているだけだった。なにやら大仰なコンピュータに囲まれており、如何にも人工的な空間だった。そこに仕立ての良いガウンを纏ったボス、と呼ばれる男は、ビーナスとは違う人間らしき女を傍に置き、椅子をこちらに向けた。


「来たか、オーディン」


 オーディンと呼ばれたのは虎柄の男だった。オーディンはそこで跪くと、


「はっ。ビーナスを風呂に入れ、新しい服も着させました」


 言うと、ボスと呼ばれた男は、にたりと嫌らしい顔つきになり、オーディンの後ろで怯えた表情で立っているイロハに近づいた。それから短い髪をさらりと手に添えると、匂いを嗅いだ。


「……髪を短くしおって。長い方が似合うと云うのに」


 言って、身体を触ろうとする。が、イロハは耐えられなくなり、身体を逸らして、壁際に逃げた。


「うー……!!」


 言って、思い切り反抗する。手錠をガシャガシャ云わせて、外そうとするも、手錠は解けない。かなり頑丈な作りになっている。イロハはなんとか出来うる限りの抵抗をする。

 ボスと呼ばれている男は、それを見ると、冷ややかな目に変わり、


「面白くないな。洗脳されているならどうして従順にならない……。ロキじゃないといけないとでも云うのか。おい、サーシャ、こいつの脳波データを取ってくれ。あいつがどう洗脳を施したのか監視する」

「かしこまりました、ボス」


 サーシャと呼ばれた、女は、さっき風呂場で会った女と同じ格好をしていた。黒いパンツスーツの上に白衣を着ている。制服だろうか。成熟した女のようだが、耽美な顔つきである。サーシャはイロハに近づくと、


「こちらに来てください。痛いことはしません。安心なさい」


 言って、イロハに微笑んだ。イロハは初めてここに来てから笑みを向けられた。そのせいか、今まで張り詰めていた緊張が弛緩するかのように、その場でへたりと座り込んだ。サーシャはそれを見て、そっとイロハを抱き抱えると、


「では、検査ルームに行って参ります」

「頼んだぞ」


 ボスは、端的に言うと、モニターの監視に戻った。残されたオーディンは、


「本当にあのビーナスを迎えるのですか?」


 どこか冷たい声色で言うと、ボスが、


「そのつもりだが、何か納得ができないのか?」

「いえ……。仰せのままに」


 言って、オーディンは部屋から出て行った。ボスは、ふん、と鼻をを鳴らすと、


「どいつもこいつも、生意気な目をしやがる」


 それからおもむろにデスクに広がったキーボードを操作していた。


 イロハは検査ルームという小さな部屋に連れて来られていた。そこには色んな器具がぞろりと揃っており、コンピュータは勿論、電極がぶら下がっている。

 イロハを簡易ベッドに横にならせると、電極をイロハの脳や胸に貼り付けていった。イロハは始終、サーシャの顔を見ていた。イロハはその顔をどこかで見たような気がしていた。

 すると、その視線に気付いたサーシャは、どこか悲しげな顔をして、


「……あなた、ミルコに出会ったことがあるでしょう。ここに来る前までにミルコといたのかしら」


 言われて、イロハは、咄嗟に、


「あう! みるこ!」


 と、言った。すると、サーシャはまた悲しそうな微笑みを浮かべ、イロハの電極にまみれた頭を撫でた。


「そう。ミルコにね……」


 言って、コンピュータを操作すると、


「しばらく待ってなさい。すぐにデータは取れるから」


 言うと、さっきまでの表情とはうって変わって、冷たいものとなった。イロハはどこか居心地が悪くなり、その場で目を閉じた。


 ひとしきり、コンピュータが吐き出すデータを取ると、サーシャはイロハに付けた電極を剥がし、ボスのいるモニタールームへと戻った。


「ボス、データが取れました。しかし、一般的なビーナスの脳波となんら変わりがありません」


 サーシャはボスに告げると、ボスは顔をしかめ、


「なに? ……では、何か他の方法でこのビーナスに技巧を凝らしたのか……」

「そうかもしれません。実は先刻、このビーナスが言っていたのですが、ミルコという少年科学者がロキと同行していたようです」

「ほう?」

「もしかしたら、その科学者の少年が、我らの技術を掻い潜った方法で取り込んだのかもしれません」

「ふむ。ならば、そのミルコという少年はアマテラスプロジェクトにとって重要なポジションとなり得る可能性があるのか」

「はい、ミルコという少年は、アマテラスプロジェクト統治下以前の天才博士だったジェームスの弟子と記憶があります」

「流石女天才科学者といったところか、サーシャ。その方面を熟知しているようだな」

「恐れ多いお言葉です、ボス」


 言って、恭しくお辞儀をするサーシャ。ボスはイロハに目線を移すと、イロハは後ずさりをした。それを見て、興が覚めたと言わんばかりに、


「オーディン! いるならこいつをとっと部屋へ戻せ!」


 言うと、扉が開き、オーディンが入って来た。


「かしこまりました、ボス」


 言って、イロハの手錠を掴むと、オーディンはまた長い廊下を歩いて行った。イロハは、扉が閉じる間、サーシャの顔をじっと見つめていた。



 翌日、ロキたち一行はキャンピングカーに乗り込んだ。中はシートが並んでおり、座った頭上に小さなベッドがある。アディーの肩を支えながらロキはベッドに横たわらせると、ミルコは助手席に、ロキは、アディーの傍のシートに座った。

 ジェイドが、ガレージのシャッターを開けると、運転席に乗り込み、


「じゃあ、出発するよ!」


 言って、ガレージの施錠をすると、D地区の外へと走らせた。


 D補給地区を出ると廃墟が続いていた。今はまだ昼前で、閉鎖的な空間でも日が十分差している。

 ロキは初めて乗る車に少し高揚して、窓を眺めていた。


「俺も運転できるようになっていれば良かった」


 ぼそりとロキが零すと、アディーが首だけロキの方へ向けて、


「まあ、そんなことも考えられなかったくらい毎日と戦ってたんだろ。この世界を潰してからゆっくりドライブでもしようぜ」

「うん!」


 言って、子どものように笑った。アディーは、ロキのことが心配ではだったが、何より、自分がまた怪我をしてしまい、心配させているのは自分だと思うと、やり切れない。もっと自分に力があったら、と拳をぎゅっと握った。


 運転席の方からミルコの声がした。


「結局サーマルセンサーをシャットダウンする装置を乗せれなかったから、ビーナスが襲ってきたら、僕のファイアでなんとかするつもりだけど。それでいいよね?」


 その言葉はロキに掛けられている。ロキは頷くと、


「うん。でも、野営するときは俺が監視するから」

「分かったよ。まあ、ジェイドによると、森みたいな場所は通らないみたいだし。ただ砂漠地帯には入るみたいだけど。でも砂漠地帯で野営なんかできないし、とにかく走れるだけ走るよ」

「分かった」


 言うと、運転席でジェイドがカーステレオを弄っていた。しばらくすると音楽が流れ始めた。その音楽はアップテンポで、歌が入っているのだが、英語の歌詞で、明るい曲だった。

 ロキは町で、人がたまにギターを持って歌っているのを聴いたことはあったが、こんなにも多くの楽器を鳴らしている曲を聴くのは、久しぶりだった。B地区の肉バルを思い出す。あのときかかっていた音楽とはまた違うテイストの音楽だったし、聴きなれない音楽に耳を澄ました。


「良い曲ですね」


 ロキが忌憚ない意見を言うと、ジェイドが、歌うように、


「この曲は、ユートピアが作られる以前に作られた曲なんだ。昔、闇商人から買ったんだよね。僕も好きだよ」


 言って、鼻歌を鳴らす。アディーもそれに聴き入っているようで、


「たしかにかっけー曲だな。B地区でもよく音楽は聴いていたけど、こういう曲は初めてだ。なんか明るい気持ちになるな」


 B地区、と言われて、意識しないようにしていたロキだったが、イロハのことを想った。


「イロハ、無事にいてくれると良いんだけど……。酷い目に合わされてないかな」


 窓に目線を移して言う。アディーは、しまったと思うも、


「大丈夫だ。イロハああ見えて、本当に強いしな」

「……そうだね」


 車内はその音楽に包まれ、ガタゴトと軋む車体の音と共鳴するかのように、廃墟を進んで行った。



 夜になった。今は九時。砂漠地帯の手前で止まった。まだ廃墟に囲まれている。ここの辺りは廃墟が続いているようで、ここからE地区方面へ向かうと森に出るらしい。その分岐路のようだった。


「ここで一夜を過ごそう」


 言って、ミルコは後部座席の方に来た。ここに来るまで、なんとかビーナスに探知されても、避けて進むことが出来た。それでも、ビーナスがここに来て出現率が減少しているのは確かなようだった。

 車を隠すことは出来なかったため、電気の通っているテナントを見つけ、その前に駐車した。ミルコは自分の小型バッテリーの充電をロキに任せると、シートに蹲った。


「じゃあ、外見てるね。充電もしてくるよ」

「うん、よろしく」


 言って、ミルコはふわあとあくびをすると、シートで眠った。アディーはなるべく早く身体が戻るように、自分も眠ることにした。ジェイドはひとり運転席で、一日運転していた身体を休めるように、シートにもたれかかった。


 ロキは外にでると、テナントに電気を灯した。それからコンセントを見つけると、充電バッテリーを刺した。併設してあるトイレに寄ると、外へ出た。

 外は月が薄く出ていた。今日は三日月のようだ。雲が多い。もしかしたら、明日は雨かもしれない。くん、と匂いを嗅ぐと確かに湿気の匂いがした。

 この廃墟とテナントを見ていると、イロハを救った場所にとても似ていた。ロキはしばらく辺りを見ていた。


「イロハ……。ごめん、俺がすぐに助けるから……」


 そう呟いて、テナントの壁をゴンと蹴った。それから思い切りため息を漏らすと、背後から、影が近づくのが見えた。


「誰だ!」


 ロキは振り返りざまに叫ぶと、


「おうおう、やめてくれんか。って、お主、あのときの小僧じゃないか」

「あれ? あなた、闇商人のおじいさん」


 言って、両手を上げて、荷車を引いている黒い外套の鷲鼻のじいさんが立っていた。あのときイロハを救った闇商人だった。


「やっぱりしぶとく生きていたか」


 ほっほっほと笑う闇商人に、ロキは眉を八の字にして、


「生きてはいましたが、あのとき救ってくれたビーナスをアマテラスプロジェクトに連れ去られてしまいました」

「なんじゃと。アマテラスプロジェクトに?」

「ええ……」


 ロキは、闇商人とテナントの中に入ると、今まであったことを話した。闇商人はその話を何度も頷きながら真剣に聞いていた。


「そうか。大変じゃったのう。お主がビーナスと人との息子だという話にも驚いた。息子か。わしにも息子や孫がいた」

「息子さんもお孫さんも知ってるんですか」

「もちろん、愛した妻のことも忘れておらん。息子の嫁のこともな」


 闇商人は空を見つめ話す。ロキは固唾を飲んでそれを聞く。


「アマテラスプロジェクト統治以前に、わしと妻は息子を授かった。息子も当時の地主様の恩恵ですくすく育ち、大人になると、愛する人を見つけ、子どもをもうけた。だが、その孫が生まれたばかりのときに、アマテラスプロジェクトが統治するようになり、わしら男はIDを渡され、この地に放り出された。わしの妻や、嫁、孫はアマテラスプロジェクトに連れ去られてしまった。孫は男の子じゃったのう。それからというもの、わしは、妻がどこにいるかしばらく探すようになった。それで、もともと医者をしていたわしは、人を救いながら彷徨ってるうちに闇商人となっていた」


 闇商人の寂しそうな瞳が、潤んでいるのが分かった。ロキは、そっと月を見た。


「やっぱり、許せない。俺らのことを何かの実験台にしているこの世界が許せない。老若男女問わず、ただ自分たちの利益になることしか考えていない、アマテラスプロジェクトを壊さないといけない。おじいさん、もし、奥さんやお孫さんに会えるとしたらどうします?」

「そりゃ、そんなことをしてくれた人にどうやっても恩義を返そうとするじゃろうな。わしはもう身体も老いておる。いつ死ぬかわからんのなら、もう一度、あいつに会いたいのう……」


 その言葉を聞いて、ロキは、


「では、ここからが取引です。もし俺が奥さんやお孫さんを見つけたら……」


 ロキは闇商人に耳打ちした。闇商人はそれをじっと聞いていると、頷いた。


「……よかろう。乗った。そのときはお前さんにわしの持っている力の限り、手を貸そう。報酬は今度こそ旨いワインで頼むぞ」

「ええ。そのときは、泥酔するくらい旨いワインをたんまり持ってきます」


 言って、闇商人の皺だらけの手をロキは握った。ロキたちはまた空を見つめた。すると、テナントの外は雨が少し降ってきていたようだ。

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