羽柴秀吉、葬儀において出しゃばらず
八月十五日。京都大徳寺に六つの輿が向かっていた。
六つの輿には全て、豪華絢爛に飾られた棺が眠っていた。そして輿その物もまた、中に眠る人間が貴人であるかを示すが如く煌びやかに飾り付けられている。
その輿を見物する町衆は見とれながらも、様々な事をしゃべりあっていた。
「またものすごい葬儀だなあ……」
「そりゃそうだろ、天下の総見院(信長)様のご葬儀だからな」
「そうか?何かおかしくないか」
「何がだよ」
「織田家の葬儀だろ?あの旗は何だ」
町衆の一人が後方に視線を送ると、織田家の「木瓜」「黄絹永楽銭」とは違う旗が翻っている。
「ああ柴田様だろ」
「いやそうじゃなくて」
「あれは確か滝川様だ」
「だからそれでもなくてな」
柴田勝家の輿である事を示す「二つ雁金」の紋を掲げた旗の後ろには、滝川一益の家紋である「丸に堅木瓜」の旗が翻っていた。
だが町衆の男が関心を示したのはそのどちらでもない。確かに織田の一族ではないが織田の重臣である勝家や一益ならば信長や信忠と一緒に葬られてもおかしくはない。
「なんで葵紋の旗があるんだよ」
「ああ、確か羽柴様の強い希望だそうだ」
「まあな、徳川様も光秀にひどい殺され方されたからな」
五番目にやって来た輿は徳川家康の物であった。
もっとも、信長の長年の同盟者であり光秀により非業の死を遂げた家康ならば、織田家の葬儀に入っていても不思議はなかった。
しかし、その次の旗を見た町衆は一様にその目を剥かざるを得なかった。
「何だあれは……」
「あれはどこのお家だよ」
「俺の記憶に間違いがなけりゃ、ありゃ大久保様だぞ」
一人の町衆の言葉に、京の町がざわめきたった。
柴田勝家、滝川一益、徳川家康。ここまではわかる。
しかし、なぜ大久保忠世なのか。
光秀に与して安土や関ヶ原で織田家に多大な損害を与えた人物ではないか。
「いやなんでもさ、広康様っつったっけ?徳川様の息子を光秀に人質に取られてたらしくてな」
「ああなるほどな」
誰かが勝手な憶測を口にするとその憶測を信じたのか勝手に合点する者が続出した。もっとも、秀吉が本当の理由を説明した所でどれだけの人間が納得するか極めて疑わしいのだが。
とにかく、「上り藤に大文字」の旗を掲げた忠世の輿も家康に続いて大徳寺へ向かって行く。
六つの輿が通り過ぎるたびに香しい香りが漂う。信長と勝家の遺体はついぞ見つけられず、信忠・家康の遺体はすでに埋葬されている。
一益と忠世の棺には本当に両名の遺体が入っていたが、さすがに死後かなりの時間が経っているだけに死臭があった。遺体のない四つの棺の中には沈香で作られた像が収められ、一益と忠世の棺にも沈香が大量に使われていた。
荘厳な楽曲と共に六つの輿が大徳寺の門をくぐり、火屋へと向かって行く。六つの輿から棺が運び出され、それぞれ二人ずつの手で担いで火屋へと運ばれて行く。
信長の棺は信包と長益、信忠の棺は信雄と信孝、勝家の棺は長秀と利家、一益の棺は恒興と賦秀、家康の棺は酒井忠次と石川数正、そして忠世の棺は忠隣と本多正信により。
そして火屋に火が灯され、六つの棺が火に包まれ、魂は天に上って行った。
織田と徳川の将たちは立ち上る煙を見ながら祈りを捧げていたが、僧侶や楽人、町衆たちはどこか素直に死を悼む気分にはなれなかった。
彼らの理由は皆同じであった。
(なんで羽柴様が……)
関ヶ原にて光秀討伐軍五万を率いて光秀を討滅した功績は決して小さくない、いやそれ以前に挙げた功績もかなり大きいだろう。長秀や利家、恒興の上に立っていても決しておかしくはない、いやそうでなくとも同格として振る舞う資格はあるはずだ。
にもかかわらず、秀吉は脇に控えているだけで葬儀を取り仕切る事も棺を担ぐ事もしない。
やった事と言えば家康と忠世を信長らと一緒に弔う事を信包に要請しただけである。
謙虚、と言うにも度が過ぎているのではないかと感じずにいられなかった。
その秀吉がようやく口を開いたのは、火屋の煙が尽きた時であった。
「三十郎様、次なる儀式へと……」
「筑前守、そうだな」
秀吉の言葉は極めて遠慮がちであった。まるで、羽柴秀吉と言う大名ではなく、昨日仕官した雑兵のような印象さえ与えそうなほどである。
信包はその秀吉の言葉を受け、この大葬の喪主である三法師を先頭に、京の町を再び進み始めた。無論、秀吉らも付き従った。
「これより、三法師様元服の儀を執り行う」
そしてまもなく、二条城にて三法師元服の儀が執り行われた。二条城は信忠が討たれた際に焼けたものの、この時はすでにある程度復興していた。
その二条城にて三法師は大叔父である信包を烏帽子親として元服の儀を執り行い、曽祖父と同じ名、信秀を名乗る事となった。
この場でも秀吉はじっと控えているだけであった。
そしてすべての儀式を終えた秀吉は、自らが宿舎として割り当てられた寺に入った。
「ご苦労様でございました」
居室に戻った秀吉は、軍師であり寵臣である黒田官兵衛と二人っきりとなった。
「すまんのう官兵衛、わしには無理じゃったわ」
「何、殿の意志ならば」
秀吉の顔には、また屈託のない笑みが戻っていた。
「あの時……わしに言ったな。天下を取る好機だと」
「ええ……」
実は秀吉が本能寺の変の報を受けた際、官兵衛は秀吉にこれは天下を取る好機だと進言したことがあったのである。
「備中から京にまで一気に兵を返し、光秀が態勢を整えない内にこれを討ち果たし、あとは三法師様、いや信秀様を立てて対抗勢力を排除していけば……じゃったな」
官兵衛は黙って頷く。
「じゃが…天下を取るっていうのは天下で一番強い者になるって事じゃろ……」
「…………」
「わしにはその一番強い者になる自信がないのじゃ……」
「やはり大久保殿ですか」
秀吉は深くうなずく。
「わしには子はできとらんが、実際に子供と戦う事になって、あんな風に笑って死ねるなど……わしには理解できんわ。おぬしはもし吉兵衛と戦う事になったら耐えられるか」
「とても……」
「いやそれ以前に、主の仇の策略にはめられてその友軍にされるなど、屈辱などと言う生易しい言葉では済ませないだろうに。それをまあ、無論心の中ではものすごい葛藤があったろうが、平然とその主の仇の軍勢として戦場に立ち、ましてやあれほど必死に戦う事ができるなんぞ……わしにはまるでわからぬわ」
「………………」
「わしは武士じゃないからわからんのか?」
「それがしにも、理屈ではともかく現実的にはとても……」
「じゃろうな」
秀吉は情けない笑みを浮かべた。
「確かに、わしが信秀様の守役となり、天下を得る事はできるかもしれん。けど、わしがいなくなった後羽柴家が天下を守る事ができるかと言うと、全く自信がないのよ」
「………………」
「忠世殿のような、主の家を守るためならば他の全てをかなぐり捨てる事の出来るような人間がいなくば、わしみたいな地盤が急ごしらえの人間が天下を取った所で続かない。利家や池田殿、丹羽殿など多くの人間が支えねば天下は続かん」
「………………」
「わしはもう、一刻でも早く天下から争乱を消したいのじゃ。毛利にも、長宗我部にも譲って譲って譲りまくるつもりじゃ」
秀吉は伯耆については宇喜多家への報酬とすべしと信包に進言したが、備中については何の発言もしていない。
備中の半分は織田家が抑えているのにである。
「すると備中は毛利へお返しになりますのか」
「ああ。備中と出雲より西には手を出さぬと言う条件で毛利に話を持って行く。長宗我部についても淡路を犯さねば四国は切り取り次第と言う条件でな」
「ですが瀬戸内は難しいですな」
「その国境についてはわし自ら骨を折らねばならんじゃろうし、そのつもりじゃ」
仮に毛利と長宗我部がそれで納得したとしても、まだ西には九州がある。島津・大友・龍造寺の三家が激しくしのぎを削っており、島津やや優勢とは言えまだどうなるかわからない。
東国では北条家が真田に対しての屈辱をばねに弓馬を磨いており、越後の上杉も簡単に屈する家ではない。さらに東の奥州ともなるとどうなっているのかすらよくわからない。要するに織田の天下統一はまだまだ先なのである。
「わしにできる事は上様の為に犬馬の労を厭わぬ事だけじゃ。官兵衛、それでよいか」
「殿のお言葉ならば」
官兵衛が頷くと、秀吉は居室の戸を開け、空の星を眺めた。
「おお……上様、織田の天下はこの猿めが成してみせますぞ。上様の思い描く形とは異なる物になるが必定なる事はどうかお許しくださいませ」
信長なら、毛利も長宗我部も、上杉も北条も、武田のように根絶やしにしただろう。だが、それは自分にはできない。自分が信秀と織田家の為にできる事は、ただ織田家を真の天下人と人々に認めさせる事だけ。
それでも、この秀吉を見守っていてくださいませ。その代わり我が目的を成し遂げるまで、決して歩みを止める事は致しませぬゆえ。
ただそれだけが、今の秀吉の望みであった。そして秀吉の言葉に諾と言う返事を下すかの如く夜空の星が強く瞬き、秀吉の瞳に輝きをもたらした。
烈風本能寺~もしも徳川家康が伊賀越えできなかったら?~ @wizard-T
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