本多忠勝、徳川の事情を知らされる

 六月十五日午の刻(午前十時)、光秀の本城丹波亀山城に向け秀吉子飼いの猛将、福島正則率いる千の兵が攻撃を開始した。



「よっしゃ!なるべく派手に攻撃を掛けろ!」


 正則の言葉と共に、意気上がる羽柴軍の兵士たちは次々に亀山城に向けて歩を進めた。


「突撃隊は掛け矢で城門を叩き壊せ!鉄砲衆は敵の矢玉を封じ込めろ!」


 正則の指示と共に掛け矢を持った足軽が城門へ向けて突撃を開始し、それを支援するように鉄砲が火を吹いた。


 当然の如く城兵も福島軍に向けて発砲するが、福島軍と比べると音に迫力がない。


「さすがに鉄砲はそこそこ持ってるか……だが我が羽柴軍と比べるとな……!」



 羽柴軍は正則の部隊だけで百五十丁の鉄砲を持っており、忠勝・忠隣率いる千の中にも百人の鉄砲隊が混ざっている。更に言えば、亀山城にたどり着くまで置いてきたおよそ千人の兵の中にも、合わせれば五十人ぐらいの鉄砲隊がいた。


 それに対し亀山城の鉄砲は百丁を少し切るぐらいしかなく、福島軍と比べても貧相である。


「これはしてやったりだな!おそらく、あれが全部だろう」


 勘の鋭い正則は今自分の前面にある鉄砲がこの城に残された全ての鉄砲であろうとばかりに、思わず笑みをこぼした。


「さあ平八郎殿、舞台は整いましたぞ!天下無双の槍捌き、この俺と明智の老兵連中にとくと見せ付けてやってください!」







 一方その頃本多忠勝と大久保忠隣に率いられた千の軍勢は、亀山城の裏手に向けて静かに兵を進めていた。


「福島殿は派手に交戦しているようだな」

「筑前殿の家臣は意気盛んですな」


 そのおかげで亀山城は楽に取れそうだが、と忠勝は抑え気味ながら確かに喜色を顔に出していた。


「申し上げます、裏手に明智軍の姿がありました」

「何っ、どれぐらいだ」

「およそ百」


 物見の報告に一瞬目を泳がせた忠勝だったが、数を聞いて安堵の表情に変わった。


「まあ、百と二百の区別は楽ですが、九百と千の区別は難しいですからな」

「いずれにせよその程度ならば問題なかろう、よく調べてきた、大儀である」


 城攻めは正直得意ではないが、この数の差ならば厳しい戦いにはならないだろう。忠勝は物見に礼を言うと再び駒を進め、やがて裏門間際まで達した。


「よし、もはや城門は目前ぞ、ここからはためらう事はない、声を上げろ!」


 目標が見えたとあらばもはや躊躇いは必要ない。一気呵成に攻撃を掛け、敵を叩き潰すのみである。この辺の果断さはまさに正則が学ぶべき、そして学びたい物であった。


 忠隣を先鋒に、千の兵が一矢と化して亀山城に向けて突っ込もうとした、まさにその時。


 カッと城の櫓が赤く光り、そこに亀山城の城兵たちが照らし出された。



「これは大久保忠隣殿、良い所に来て下さった!」



 だがここで城兵の大将と思しき男はまるで味方に話しかけるように、忠隣に向けて親しげな言葉を投げかけた。




「何のつもりだ!」

「いえいえ、忠隣殿にどうしてもお教えしたいことがございまして。おお、そこにいるのは本多忠勝殿ではありませんか、いやいやこれは祝着」


 あまりにも間の抜けた言葉に、忠隣も忠勝も気勢を削がれてしまった。

 しかもよく見れば、松明に照らされた百余りの兵はいずれも老兵ではなく、意気盛んそうな若い兵たちばかりである。


「何を教えようと言うのだ!」

「いえ何、とりあえず忠隣殿と忠勝殿のご生存をですよ」

「冗談は大概にせぬか!」


 忠勝の怒鳴り声にも、大将と思しき男は平然とした様子で口を動かす。


 だいたいの問題として、「忠隣殿」と言うのはあまり礼儀のいい呼び方ではない。


 下の名前で人を呼ぶのは敵方か目上の人間だけで、○○殿と言うのはそれこそ慇懃無礼と呼ぶにふさわしい物言いである。


「いやいや、忠世殿も全く無駄な事をなさったものだと思いましてな」

「父がどんな無駄をしたと言うのだ!」

「そこに骨と肉がついているお方の、遺骨もなしで葬儀を行うとは。費用も人員も、時間も無駄ではありませんか」

「たばかりを申すな!」


 自分たちの葬儀。その言葉に忠勝と忠隣は衝撃を受けたようであったが、さすがにこの程度でぐらつくほど脆くはなかった。



「たばかりとは失礼な。第六天魔王に与した非道の主とは言え新田源氏の血を引く立派な武士。その死に殉じないお二方の方が面妖でござる」



 第六天魔王とは比叡山焼き討ちに始まる徹底した破壊行為を非難する書状を送った武田信玄に対し、信長自らが自分の事を指して書いた言葉である。

 そう言って信長を非難した上で、要するに主を目の前で討たれておいてそれに殉じずおめおめと生き恥を晒している二人の方がおかしい、忠世の方が正しい、だから今ここで生きているのは忠世の顔に泥を塗るような真似ではないかと目の前の男はほざいているのだ。


「ふざけるな!貴様の主、光秀に殺されたお館様の無念を晴らすまで、この本多忠勝は死んでも死に切れぬ!それだけの事だ!」

「お館様の無念?それは、築山殿に袋叩きの目に遭った事ですかな?」

「真面目に物を申せ!」

「それがしは極めて真面目でございます。忠世殿から聞き申した、広康殿は母上が身篭っていた際に、築山殿に殴る蹴るの暴行を受けたと……」


 これまで何とか動揺を抑え込んでいた忠勝と忠隣であったが、この言葉に深く心をえぐられかき乱された。







「大久保忠世殿は主君に忠義を尽くす立派な三河武士のはず。それが己が親族はおろか酒井殿や石川殿、はたまたそこにおられる本多殿まで無視して、勝手に家康殿の正妻より迫害を受けていた広康殿を擁立するとは、全くもって信じがたい行為にございますな。正妻と言えば家中の重みは当主と同じ。それが忌み嫌った子に家督を継がせるなど、家康殿に対する背信でなくて一体何なのでしょうか」

「於義丸様が……!?」




 大久保忠世が、自分たちに何も知らせる事なく於義丸こと徳川広康を当主に据えた。

 確かに家康の残された遺児の中では最年長であるが、正妻の子ではなく家康本人もさほど愛情を持っている訳ではなかった於義丸を。


「いやまあ、私としては立派な三河武士であるあなた方が真実を知らぬまま死んで行くのは可哀想なのでしてな。とりあえず、これで真相を知らせる事ができて祝着です、では、家康殿の下へどうぞ」


 明智軍の守将と思しき男が手を軽く振ると共に、銃弾の雨が茫然自失していた忠勝と忠隣の元に降り注いだ。



「うわっ!」


 そしてそれと共に、両名が率いる羽柴軍から次々と悲鳴が上がった。その銃声と悲鳴に自我を取り戻した忠勝は、思わず間の抜けた声を上げた。


 話の内容にではない。


 銃声と悲鳴の大きさからすると、鉄砲は五十丁はあり、それにより二十人近い兵士が討たれたと言う事が、歴戦の忠勝にはすぐわかった。

 百人前後の軍勢となればせいぜい鉄砲などあって十丁であり、しかも前面では福島正則が激しく攻撃をかけているので、兵を回したとしても鉄砲隊を回す余裕まではないと忠勝も忠隣も思っていたのだ。


 もっとも、五十丁程度の火縄銃の火縄の煙では、よほど手だれた者でもない限り気付くのは難しいのだが。


「ええい、怯むな、敵は所詮百、我らは千ぞ!進め、進め!」


 しかし、徳川に起こった事実と、予想外に大量な射撃という二重の衝撃を受けた羽柴軍の兵士たちの動きは鈍い。




 光秀が丹波に加え近江を占拠し、大和・伊賀・丹後を事実上の支配下に置いたため、秀吉のいる播磨や摂津と、忠世のいる遠江及び織田家の本国である尾張や美濃は完全に分断されてしまっていた。


 それは、兵力や人材だけでなく、情報もであった。この時、秀吉すら家康の次男・於義丸が徳川広康として徳川家の当主の座に就いたと言う事は知らなかったのである。


 それに対し、明智軍の百名ほどの兵士は精鋭の名を名乗るにふさわしい実力の持ち主であり、正則や忠勝が想定していた二線級の老兵などではなかったのである。いくら羽柴軍が弱兵ではないと言っても、二重に動揺が重なっている所に明智軍の精鋭と戦う事になっては分が悪い。


 数は確かに十倍近いが城攻めには十倍の兵が要るというのが常識であり、しかも士気に大差が生じてしまっただけに、陥落は難しかった。


「やむをえん、撤退する!」


 二十分もしない内に、すっかり攻めあぐねた忠勝は撤退を宣言せざるを得なくなった。




「はははは、何が本多忠勝だ、こんな少数の相手も破れないとは」


 当然の如く、亀山城の将兵からは嘲笑の声が上がったが、忠勝はただ唇を噛んで悔しさをこらえるのみだった。


「はあっ!?平八郎殿が敗走!?冗談じゃねえよ、ったく!やめだやめだ、撤退だ!」


 そして忠勝の撤退を知った正則も、なんでこうなるんだと言わんばかりの捨て台詞を吐きながら、撤兵を開始した。







 結局この戦で、羽柴軍は百五十人ほどの死傷者を出してしまったのである。囮となって亀山城の兵を引き付けるべく激しい攻撃をかけていた福島軍の死傷者は百人を越え、忠勝軍も五十人近い死傷者を出した。


「よくわからないんですけど、とりあえずその明智の家臣とかがほざいてた世迷言をうちの殿に伝えなきゃなりませんね。誰か、使者の役目頼まれてくれないか」


 野陣にて忠勝・忠隣から広康が徳川家の当主に就いた話を聞いた正則は、とりあえず秀吉にその事を伝えなければならないとばかりに使者を放った。


「ですが、光秀は結局何をやりたいんですかね。俺は政略とかそういうことはてんで駄目なんで。大久保殿ってお方は、信長様からも名将、忠義の士って讃えられたお方なんでしょう?それが本気で徳川を踏みにじろうとするもんですか?」


 押し黙る忠勝や忠隣を前に、正則は口を動かす事をやめようとしない。


「とにかく、俺も広康殿ってお方が徳川家の当主になられたって聞いて、ちょっとびっくりしてるんですけど……」


 正則がそこまで言った所で、忠隣が手を叩いた。


「それだ!」

「えっ?」

「我々が父上のやった事を知らなかったように、父上や広康様も我々の事を知らないのだろう、いや知らないのだ!おそらく、今頃光秀は広康様や父上に向かって、我らは既に死んでいると言いふらしているに違いない!いや、あるいはお館様(ここでは家康)に殉じず生き恥を平気でさらし続けている不忠者と言いふらしているのかもしれん!」


 つまり、光秀の真の狙いは徳川の分裂にあるのだ、そう忠隣は言い放った。







 果たしてその頃、三河では酒井忠次らが主君の後を追わずのうのうと生存し続けているという噂が飛び交い、家内が大混乱に陥っていたのである。


「かぁーっ光秀ってのは本当にひどい野郎ですね!結束の固さで世に知られる徳川家をぶち壊そうだなんて!こりゃあ本気であのきんか頭野郎を懲らしめてやんないとな!」

「うむ……」

 光秀の卑劣なやり口に意気上がる正則に対し、忠勝はどうにも落胆を抑えられなかった。忠勝の耳に、光秀の嘲笑が聞こえ、振り払うように忠勝は首を振った。







 実際、安土城にて亀山城の合戦の顛末を聞いた光秀は高笑いをしていた。


「幕府に逆らうのがいけないのだ、将軍様を追放するなどという悪逆を為すのがいけないのだ、それに与する輩には、制裁を加えねばならないのだ、ハハハハハハハハ!」


 律義者の知性派という仮面の裏に潜んでいた光秀の黒き知略は、信長を屠り、徳川を引き裂き、今また新たなる標的を求めていた。

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