明智光秀、嘲笑を浮かべる

「まったく、予想していたとはいえ無茶な速度で来るものだな……しかし毛利がこれほど当てにならないとは……」


 天正十年六月十五日、安土城天守閣で光秀は溜息を付いていた。




 安土城を攻め落とした斉藤利三も、秀吉の早すぎる帰還に溜息を吐かざるを得なかった。利三は、毛利の実力ならばひと月位は秀吉を釘付けにできると思っていたのだ。それが秀吉の中国大返しを、指をくわえて「見送った」のである。



「上杉が動いてくれただけでも、よしとせねばなるまい」

「流石は稀代の謀将。忌々しいぐらい見事な家訓を残してくれたものだ」


 毛利の先代の当主元就は死の間際に当たって、領土を固く守り版図の拡大を望んではならないと言う遺言を遺していた。

 確かに、ここで秀吉と和を結んで秀吉が自分たちを破れば、天下の仕置きは秀吉に握られる事になり、和を結んだ毛利は安泰となる。見事なものだ、と利三は皮肉交じりに感心した。


「だがこの安土は見た目通りの、いやそれ以上の堅城。長引けば有利になるはこちらばかり。案ずる事はない」


 確かに毛利は秀吉と和を結んだ、だがそれは和睦であって、織田や羽柴に臣従した訳ではないだろう。

 明智討伐が長引けば、毛利の中にも秀吉の手腕に疑問を抱き、和睦を破棄して秀吉を討つべしと考える者が出て来ても一向におかしくない。例えば、元就の次男吉川元春は秀吉に好感を抱いていない、との噂も光秀の耳に入っている。


「ですが、どんなに損害を受けていようが、丹羽も柴田も滝川も、いずれこの安土に来る事には代わりがありませんぞ」


 光秀の楽観的な言葉に、利三は少し語気を強めて反論した。


 既に柴田勝家は越中にて上杉の攻撃を受け敗北したが、敗走の形とは言え近江の隣国である越前まで戻って来ようとしている事は間違いない。

 いくら強兵と名高い上杉とは言え、軍神上杉謙信の死、謙信の後継をめぐる御館の乱とその後遺症の新発田重家の謀反で力が落ちており、佐々成政あたりをあてがっておけば十分守りきれる存在に成り下がっていた。

 勝家の率いる兵は寄子の前田利家の軍勢を加えれば、佐々軍を差し引いても四万近い。いくら秀吉との仲が良くないとは言え、猛将柴田勝家の率いる四万の兵は脅威である。


「案ずるな。城攻めには十倍の兵が要るのが常識だ。筑前と修理の軍勢が合わさってもせいぜい七万、三七や丹羽の軍勢が加わった所で九万、すなわち三倍に過ぎぬ」


 その上で、光秀はあまりに脳天気だった。


 確かにこの安土には光秀直属軍に加え筒井軍、細川軍、旧幕臣や牢人を含め三万近い兵がいるが、光秀は柴田勝家の様な猛将ではないし、秀吉のように目から鼻に抜けるような知略が働く性質ではない。

 確かに家康を襲撃して首級を得、筒井や細川を味方に付けた作戦は見事であったが、それも本能寺襲撃以前から練られた計画の一部に過ぎず、言うなれば筋書きをたどったに過ぎない。




「それに、また面白い話が飛び込んできた」


 また溜息を吐こうとしていた利三に、光秀は屈託のない笑みを見せた。


「三河に残っていた徳川の家臣・大久保忠世が、家康の次男を当主に祀り上げたのだ」

「ほう……」




 とやる気がなさそうにつぶやいた利三であったが、光秀の目を見て口の中でぎょっと言う声を上げた。


「筑前の行動は大体想像が付いた。すぐにこのわしを討てないとならば、まずは安土を占拠するために大量の兵を動員し空白となっているであろう丹波を狙う。その際、主を討たれ意気上がっている徳川の猛将の内誰かを大将に任命するはずだ。そこに、大久保忠世が勝手に徳川の新たなる当主を決定したと言いふらしたらどうなる?」

「しかし……」

「問題はない。すでに十人ほど近江や大和で筑前の間者を捕まえている。忠世も三介(織田信雄)も徳川遺臣の動向はおろか、生死さえ知らない」


 光秀の目が爛々と、そして妖しく輝いている。光秀の側近中の側近である利三をして見た事のない目の輝きであった。



 利三も明智秀満も、この真っ正直すぎた主人の物とは思えない目の輝きに完全に射竦められてしまい、まともに声を出せなくなった。



「つ…………つまり、家康の遺臣に……」

「そう。大久保忠世が勝手に当主を立て徳川を私物化したと喧伝する。そして三河の大久保には、徳川の本拠浜松城にて正式に擁立した徳川広康を、酒井忠次らが認めていないと言いふらす。さすれば徳川の結束にくさびを打ち込める」

「ですが……その……」

「案ずるな。先にも述べたように三河には何の情報も入っていない。こういう時は初めに飛び込んだ情報の重みが莫大な物となる。後から筑前が何を言おうとも、ただの言い訳にしかならない。徳川遺臣にしてもまたしかりだ」

「………………」

「よいか。ここで安土を楯に筑前らを叩けば、毛利も考えを改めよう。さすれば、安泰を望む毛利は自領の備後に隠棲する上様を我が元に差し向けよう」


 人間と言う物は、目標があるのとないのと、いや正確に言えばわかるとわからないのでは働きが全然違う。


 これが動物ならば、ただ二点空腹を満たすのと子孫を繁栄させるという極めてわかりやすい目標のため、常に行動を起こすから働きの力は変わらない。




 光秀にしてみれば究極の目標はただ一つ、足利尊氏公より二百年以上に亘って続いて来た伝統ある室町幕府を盛り立てる事であった。

 織田信長を盛り立てたのも、信長に室町幕府を支える柱になってもらいたかったからであり、信長を討ったのも、比叡山焼き討ちだけでなく信長が武士として主であるはずの十五代将軍・足利義昭を蔑ろにするやり方を採った事が許せなかったからである。

 信長が義昭を京より追放した時に兵を起こさなかったのは、一に力が足りず、二にまだその時は信長が義昭に代わって伝統に則り、先人の遺徳を重んじてくれる政治をしてくれる事を期待したからである。

 しかし信長は確かに壊すべきであった「旧弊」のみならず、あらゆる旧き物を叩き壊した。後世に残すべき先人の偉大なる功績の証に対しても、信長は旧弊の烙印を押し、破壊した。光秀にはそれが耐え切れなかった。


 この主に仕えて、先に安寧の二文字があるのだろうか?

 目標を見失った光秀は自然やる気を失い、結果的に丹波攻略に随分な時を要し、信長の評価を低下させた。更に光秀の統治方法も既得権擁護の古臭いやり方であり、旧弊打破を掲げる信長にはこれもよく思われていなかった。もっとも、そのやり方で丹波の国人層はすぐ光秀になついたのだが。



 とにかくこの結果、光秀は力を得、更に戦が下手という思わぬ隠れ蓑も転がり込む様に手に入れた。もし光秀が丹波を攻撃なり調略なりで秀吉並みの速度で手中に収めていたら、おそらく家康を討つ事はできなかったであろう。

 あるいは、信長すら逃がしていたかもしれない。傍目から見れば失態であり醜態であった丹波攻略の遅延が、今の光秀には大きな財産となっていた。もっとも、今やほぼ完全に使い果たしていたが。



「筑前は丹波を旧き秩序が残った国と馬鹿にしているだろうが、それゆえによき事もあると言う事を忘れていよう。欲しければ取るがいい」


 光秀は家康の首を得て安土城に入るや否や、丹波の城にあった兵糧や金銀を兵たちに持てるだけ持たせて安土に向かわせ、持てない分は周辺の住民にくれてやったのである。

 今や丹波の城には、兵も兵糧も金銀もない。民から強引にむしり取れば、秀吉のほうが大損をするだけである。これは明智軍が、信長軍のように身分のわからぬ者を金でかき集めた様な軍隊ではなく、丹波の古くからの豪族や土着の農民たちで兵が構成されていた事に由来している。

 そういう人間たちは戦とあれば武器を取り兵となって戦うが、そうでない時はただの土豪であり、農民である。ただの土豪や農民に暴力を振るった所で、損をするのは振るった方だけなのである。

 しかも彼らは自分たちに優しくしてくれた光秀の恩を忘れているわけではないので、丹波に入った秀吉軍の情報を密かに伝えてくれるかもしれない。あるいは、戦になった際に後方かく乱を企み秀吉軍を攻撃してくれるかもしれない。

 さすがにそれをやれば秀吉に抑え込まれるだろうが、それでも秀吉にとって痛い打撃である事に何の変わりもない。




「筑前、稀代の功績を挙げたと今の内に誇れるだけ誇っておけ。最後に勝つのはわしであり、室町幕府なのだ」


 光秀は、不気味に笑った。利三すらひるみそうな声で、笑っていた。




※※※※※※※※※




 果たして。


 丹波に入った本多忠勝と福島正則、大久保忠隣率いる軍勢は、城を攻め落とした、と言うより放棄された城を接収すると言うだけの退屈な戦に終始していた。


「うちの殿の策が完璧に読まれてたって言うのかよ、あーあ」


 丹波に入ってから三日余り、戦らしい戦もまともに起こらず退屈しきっていた正則は真っ昼間だと言うのに馬上で大あくびをしていた。


「福島殿、油断は禁物です」

「あーはい、よくわかりました。しかしこれじゃ本多平八郎殿の手並みを学ぶ事すらできやしない……」


 忠隣の言葉にも、正則はああいやだと言う表情を変えようとしない。


 実際、正則はこの丹波攻略軍には加わりたくなかった。安土に籠もる敵の総大将、明智光秀を討ちたかったのだ。しかし秀吉直々に本多平八郎の手並みを学んで来いと言うお達しを受け、それならばとばかりに勇んで丹波行きを決めたのである。その結果がこれでは、不満が募るのもむべなるかなと言う所である。


「本多平八郎殿、この調子だと今日中に亀山城に着きますよ。そこにはさすがに敵がいるんでしょう?そうですよね」

「さあ……物見が戻って来ぬと」


 歴戦の忠勝もそれしか言えない。まだ三十四歳ながら百戦錬磨と言っていい経験を持つ忠勝であったが、その忠勝をしてこの戦は不可解であった。


「とにかく、気をつけなされよ。この丹波はまさに光秀の本国。どこに伏兵がいるかわかりませぬ故」

「あーまあ、そうですよね。だいぶ兵を置いてきちまいましたからね」


 丹波は光秀の本拠地であるだけに、放棄されたとは言えそのまま置き去りにする事は危険であり、各地にある程度の兵を残しておかねばならなかった。

 その結果、現在亀山城に向かわんとしている兵は当初の三千から、およそ二千前後にまで減少していた。


「申し上げます」

「ご苦労であった、亀山城の様子は」

「守備兵、およそ千」

 物見の報告に、正則の目が輝いた。

「よっし、好機到来だ!光秀の本城を完膚なきまでに叩きのめす!そうすりゃ、光秀の評判は地に落ちるぜ!」

「また中途半端な数だな……」


 一方で忠勝は慎重だった。これまでほとんどの城を放棄しておきながらなぜ亀山城だけに兵を残したのか。

 いや、他の小城から兵を集め亀山城に集中させたのならばわかるが、千とはあまりにも中途半端である。


「平八郎殿、ほとんどの兵は安土に行っちゃったんでしょ?だから、本気でそれ位しかいないんじゃないですか?それも多分、年寄りか子供ばかりの弱兵じゃないですかね?」

「確かに、いささか年を取った兵が目に付きましたが……」


 物見の言葉に、正則はますます意気を上げた。


「やっぱり!こりゃ今日中に亀山城は落とせるんじゃないですか?平八郎殿、お手並みを見せてくれますか?」

「う、うむ……」

 何となく腑に落ちない気分の忠勝であったが、正則の気概に押される格好で亀山城攻めを決行する事になった。



 幸いまだ辰の下刻(午前九時ごろ)、城攻めを行うにはまだ十分な時間が残っている。


「では一つ提案なんですが、俺がとりあえず千を率いて正面から派手に攻撃しますんで、その間に平八郎殿は残り千を率いて後ろに回ってくれますか?」


 平凡な策ではあるが、意気上がる正則の口から出たため説得力が増しており、正直な話これと言った策もない忠勝は、正則の策に従う事となった。


 実の所、家康は合戦上手ではあるが城攻めはあまりうまくなかった。忠勝や忠隣も猛将ではあるが基本的に正統派の戦法しか取れない人物であり、秀吉のように奇策を繰り出せる人柄ではないのである。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る