燃える安土城

「天守には近付くな?あの腰抜けめ、たわけた事を!」




 勝家は秀吉の進言を一笑に伏した。


「光秀は天守に逃げたのだ!いかなる犠牲を払おうとも天守を落とし、光秀を討たねばなるまい、それが当然の事であろう!」


 勝家はそんな戯言を聞くのも時間の無駄だとばかりに槍を振るった。


「むぅ……筑前が臆病な故に敵に侮られているではないか」




 柴田軍の後ろからは徳川軍が突っついており、前には明智軍が予想外に厚い防備を固めている。秀吉がもう少し派手に攻撃をかけていればそちらに兵を割かねばならなくなってこちらの防備は薄くなるはずなのにと勝家は秀吉の弱気を呪わずにいられなかった。


 ちょうどそんな時である。

「佐久間盛政様、お討死!」

 徳川軍に対し一時の怒りで攻撃を仕掛け、徳川軍を明智側に追いやってしまった張本人、佐久間盛政が徳川軍の反撃を受け死んだと言う報が勝家の耳に入り込んだ。


「盛政め……もう雑兵など知った事か!光秀だけを狙え!!」


 遂に勝家は、光秀のみを目標とすると言う宣言を出したのである。






「ええい、どやつもこやつも戦う気がないのか!」


 そうやって突っ込んだ勝家だったが、明智軍の動きに妙な苛立ちを覚え始めた。


 確かに数はかなりたくさんやってくるのだが、こちらが光秀以外に関心がないのを見極めたのか、どうも真剣に戦う様子がない。まるで、こちらの軍勢を避けているように見える。


「ふん、肝心要な時にこれでは、どんな小手先を弄しても無駄だと言う事だ」


 明智軍の行動がよくわからない勝家は、明智軍が本丸にいるはずの光秀を見捨てて逃げ出したと判断し、また自軍の士気を高めるためにそう声高に叫んだ。




 果たして。柴田軍が凄まじい勢いで突撃を敢行し、明智軍がそれを避けるように進んだため、柴田軍はあっと言う間に天守閣に達した。


「進め!配下に見捨てられた謀反人を叩き斬れ!!」


 大久保軍や明智軍の攻撃を受け脱落する兵もいたものの、柴田軍はおよそ二万四千の手勢を保ちながら天守閣に突入した。それだけの手勢がいれば本来ならば二の丸、三の丸などにも向けて振り分けるものだが、勝家はそのような用兵を行わず、二万四千の大軍をほぼ一本の矢と化して天守閣に突っ込ませた。




 光秀さえ討てばすべてが終わる。そのつもりでここまで来た。

 いくら天下の安土城とは言え、二万四千の兵が入れば本丸はすし詰めである。

 それに、三千ほどしかいなかったとはいえ明智軍もまだ残っていたのだ、その残っていた兵は必死に抵抗してくるため進行は鈍った。



「端武者に構うな、狙いは天守の光秀のみ!」



 それでも柴田軍は勝家の檄に背中を押されるように天守閣に向けて歩を進める。


 やがて二十分も経つと、抵抗していた明智軍の兵士も他の兵たちと同様に柴田軍の横をすり抜ける形で撤退を始めた。


 もはやこれまで、とばかりに勝家は自らが先頭に立ち、遂に天守閣に入った。




「光秀め、そっ首叩き落としてくれる!!」


 勝家は天守閣に残っていた兵を叩き斬りながら階段を上り続け、柴田軍の精鋭たちもそれに続いた。そして、勝家はついに最上階に達した。


「光秀、この上悪あがきはすまいな!」


 彼らしくと言うべきか、甲冑は身にまとっているもののおとなしく座っていた光秀に対し、勝家は槍を突き付けた。

 それに対し光秀は無言のまま佩刀を抜き、立ち上がりながら勝家の突き出した槍を払った。


「おのれ、最後まで無駄な抵抗をするか!部下にも見捨てられたこの謀反人が!」


 怒りを力に変え次々と繰り出される勝家の突きに、光秀も受けるのが精いっぱいと言う状態であった。

 しかし、まさに勝家が光秀の刀を弾き飛ばした時――――。







 この世の物とは思えないような音が鳴り響き、天守閣が激しく揺れた。


 いや、天守閣のみならず、安土の城自体が揺れだした。この凄まじい揺れに光秀は刀を落とし、勝家すら尻餅を突いてしまった。







「ふふふふ……はっはっはっは!!我は明智光秀にあらず!!」






 そして、勝家の面前にいた「光秀」は突如高笑いを始めた。光秀にあらずと言う言葉に動揺した勝家だが、確かによく見れば光秀ではなかった。


「本物はとっくの昔に逃げ切られた!柴田勝家、お前は私と一緒にここで死ね!!」


 光秀の影武者はたまたま傍に刺さっていた佩刀を抜いて、勝家の膝目掛けて投げ付けた。


「うっ!」


 勝家は今なお揺れの止まぬ城内の中で避ける事ができず、膝に深々と刀を突き刺されてしまった。


「おのれ光秀……」


 だが目前にいる光秀の影武者を斬っても何にもならない。今なすべきは何か、その答えは明白だった。逃げるしかない。だが、足がまともに動かない。


「第六天魔王の築きし悪魔の城安土……その安土と共に暴虐なる織田家は消えてなくなれ、そして織田の寵臣である柴田勝家、貴様も共に……」


 そう言うと光秀の影武者は勝家に飛びかかって抱き付いた。絶対に逃がしはしない、お前はここで死ぬのだと言わんばかりに。







 そしてまもなく、業火に包まれた安土城天守閣は断末魔の叫びを上げて崩れ落ちた。













「あ…安土が…安土が…」




 信雄も一益も、信孝も長秀も利家も、ただただ唖然とするしかなかった。あれほどにまで荘厳にして素晴らしい威厳を保ち、新たなる時代を象徴するはずであった安土の城が、わずか三年でこうも無残に焼け落ちようとは……しかも、織田に叛旗を翻した謀反人・明智光秀の手によって、織田の宿老・柴田勝家を滅ぼす道具として…………。



「光秀…これがお前さんの望みか?将軍様を踏みにじった奴の、末路を見せる事がか?」


 ただ一人、秀吉だけはわずかに冷静さを保っていた。明智軍の抵抗の弱さを見て、勝家を城内に誘い込み安土城諸共に屠る気ではないかと考え、勝家に急使を出したのであるが残念ながら間に合わなかったらしい。



 最初に天守閣が轟音を立てて崩れ落ち始め、それとほぼ同時に本丸・二の丸・三の丸を初めとする各地から火の手が上がり始めた。

 おそらく、ありったけの火薬を注ぎ込んだはずだ。安土と言う城を灰燼に帰すまで炎は燃える事をやめないだろう。



「ひ……秀吉~!ど、どうすりゃいいんだよ、親爺殿(勝家)は…」

「安土と運命を共にした、としか言いようがないじゃろう…」


 ようやく自我を取り戻した利家の言葉に、秀吉は淡々と答えた。


「なら、すぐに親爺殿の仇を!」


 利家の当然と言うべき言葉にも、秀吉は首を横に振るだけだった。


「この戦はもう無理じゃ。今わしらができる事は、何とか逃れてきた柴田殿の兵をしっかりと守る事だけじゃ」


 実際、織田軍にはまだ七万近い兵士がいたが、大将がそんな大混乱状態では兵士たちは推して知るべしであり、今向かって行っても討たれるのが落ちだろう。


「まだこれで終わったわけじゃない……そう思うしかなかろう、利家」


 落ち着いて考えれば、柴田軍が全滅し徳川軍が全て明智に付いたとしても、織田軍にはまだ七万の兵があり、明智軍は四万に過ぎない。


「次に備えるしかないのじゃ……わしらには」


 そういうと秀吉は、敗残の柴田軍を救出すべく動き始めた。



 その一方で明智軍は、徳川軍を先鋒にして東の方向に軍を進めていた。


「徳川が……徳川が光秀に絡め取られたのかっ!ならどうせ本気ではあるまい!一益に迎撃を命じよ!」


 信雄は彼にしては珍しく本質を言い当てた言葉を叫んだが、どうにも信雄と言う人間はそれがいい方向に向かわない。


 徳川軍ははめられたと言う気分に陥っており、おそらくやる気はないであろう、それなら撃退は難しくないはずと言う信雄の判断は、一見もっともであった。


 そして折悪しく、一益は信雄以上の思考停止状態に陥っており、そこに信雄の一見もっともな指示が飛び込んで来たものだから、一も二もなくそれを受け入れてしまった。


「落ち着いて迎撃すればそれで良い」


 一益は、辛うじて働かせた思考でそんな指示を出してしまった。


「来たぞ、迎え撃て!」


 一益の指示と共に、滝川軍自慢の鉄砲隊が火を噴いた。その結果、徳川軍の兵が百人単位で倒れたが、徳川軍は進軍を全くやめない。




「なぜだっ…!?」


 後方に明智軍が迫っているからか。それとも自分たちを甘く見ているのか。どち

 らかはわからないが、徳川軍がまるでひるむ様子がない事に一益は混乱した。


「た、立ち向かえっ!」


 一益は辛うじてその言葉を叫ぶも、兵士たちの反応は鈍い。


 一益以上の混乱状態に陥っていた兵士たちにとって、信雄の「徳川軍は本気ではない」という言葉だけが支えだったのに、それがものの見事に裏切られたのであるから。徳川軍一万三千とそう大差のないはず滝川軍が、まるで抵抗する事なく打ち砕かれていく。


「だ、誰か、誰か援護を!!」


 一益は恥も外聞もなくそう叫んだが、援軍が来る様子はない。信孝軍、丹羽軍、宇喜多軍は相変わらずの混乱状態だし、羽柴軍と前田軍は安土から脱出する柴田軍兵士を救出するために明智軍との戦いを繰り広げていて釘付けであり、信雄軍は一益と同じように徳川軍の戦いぶりを甘く見ていたため動揺しており使い物にならなかった。




「もはや我らにはこれしか道はない!進め、進め!!」


 忠世の信じ難いほど力強い声に、一益は完全に足がすくんでしまった。


「さ、さ、酒井殿に連絡を取れ!筑前守の下にいるはずだろ!?」


 こうなればもう、家康遺臣の力を借りるよりほかない。見栄も外聞も捨てて一益は震える声で叫んだが、帰ってきた言葉はあまりにも無情だった。




「酒井殿は大久保殿の裏切りに対し、直後こそ動揺したもののそれも致し方なしと……」




 一益は言葉を失った。と同時に、体がグラリと揺れ、倒れ込んでしまった。


「殿っ!?」


 呆然自失したのではない。鉄砲玉が三発ほど胴にめり込んでいたのだ。

 徳川軍かとも思ったが、すでに葵紋を掲げた徳川軍は大半が走り去っていた。どうやら明智軍であるようだが、そんな事は今の滝川軍にはどうでもよく、一益の容体こそが最優先だった。


「殿が危ない!全軍、引けーっ!!」


 滝川軍の副将は撤退を宣言し、兵士たちはこれで助かったとばかりに、蜘蛛の子を散らすように逃げていく。

 滝川軍を追い散らした明智軍と徳川軍は、信雄軍を無視して美濃の方へ走り去って行った。


 信雄は光秀を討てと命じたが、兵士たちにそんな気力は残っていなかったのである。










 織田軍はこの戦で、猛将にして宿老である柴田勝家を失い、滝川一益もかなりの重傷を負う事となった。更に、炎上し崩壊する安土城に巻き込まれる形で、柴田軍三万の内二万が討ち取られたのである。


 他にも滝川軍のほぼ半数が死傷し、さらに大久保忠世率いる徳川軍一万三千が丸々明智軍に寝返ってしまった。他の武将に出た損害と合わせると、およそ四万の兵が失われた事になる。一方で明智軍の損害は、千数百に過ぎなかった。




 こうして安土城包囲戦は、織田軍の惨敗と言う結果に終わったのである。

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