第五章 徳川vs徳川
前田利家、兄弟を糾弾する
天正十年七月八日、安土城炎上から三日後。まだ焼け跡も痛々しい安土城下で軍議が行われた。
列席者は北畠信雄、神戸信孝、羽柴秀吉、丹羽長秀、前田利家と酒井忠次の六名である。
「兄上、なぜあんな大事を我らに伝えなかったのですかな?」
開口一番、苛立ちを露わにして信孝が信雄に噛み付いた。
「敵を欺くにはまず味方から、だ!」
信雄も負けずに言い返す。
「そうですか?兄上は修理(柴田勝家)を利用して自らが織田の跡目を継ぎたかっただけでは?」
「何を!」
「いや、もし我々、特に酒井殿が知っていれば、徳川軍を敵に回す事もなかったでしょうに」
「ふざけるな!お前は、家康殿の仇である光秀に徳川軍が従うなどと考えた事があるのか?」
「まったくありえない話ではありますまい」
「屁理屈は大概にしろ!」
そしてまもなく、軍議は信雄と信孝の口喧嘩に成り下がった。残る四人にしてみれば予測の範囲内の展開とは言え、あまりにも情けなかった。
「もうやめられよ!!」
そんな時、床机に両手をバンと叩き付けて立ち上がった人間がいた。
前田利家である。
「大事なのはこれから先のこと!どうやって光秀を討つかではないですか!」
「その前に先の戦を清算せねばなるまい」
「そうでなくては次の戦などできるものか」
だが信雄も信孝も耳を貸そうとしない。
「いい加減になされよ!!」
「いい加減も何も!」
「お二方はもしや、光秀と内通しておられるのでは?」
その二人に向けての利家の思いも寄らぬ嫌味ったらしい言葉に、二人は無論秀吉も長秀も驚いた。
「こうやって無駄に時間を過ごし無駄に口を動かしている間に、光秀は着々と軍備を整えております。お二方は我らが時間を浪費させるように光秀から頼まれたのではございませんか?」
「戯言も大概にせい!!」
「いいえ、お二方がそんな無駄な口喧嘩をなさっている事実が、光秀にとって利益でなくて何だというのですか!何としても光秀を倒さなくてはいけない今、光秀にとって利益になることをするなど、内通していない人間のやる事ではございません!」
利家と言う人物はかつて、信長が寵愛していた茶坊主を斬って一時期織田家を追放されていた事があったが、その時から相手が主君であろうと怯まない性格は変わっていない。無論、主君が正しいと思えば黙って付いて行くが、そうでないと判断すれば一歩も引かずに言葉をぶつける。
もちろん四十四歳ともなれば多少なりともおとなしくなってはいるが、この天下の一大事に情けない口喧嘩を繰り広げている信雄と信孝を面前にして、遂に堪忍袋の緒が切れたのである。
「利家、詰まる所わしにどうせよというのだ!」
「三介様も三七様も後方に留まっていただければよろしいのです。指揮を筑前守にお預けして」
「何だと、筑前に任せてわしらは傍観していろと」
「はい、筑前守の知謀ならば問題ありますまい」
利家は秀吉に指揮権を預け、二人は黙って後方で見ていればいいと提案した。こんな戦で主を危険にさらす必要はない、と言うより事実上の厄介払いである。
「越前守(丹羽長秀)……、そなたはそれでよいのか?」
信雄の言葉に対し、長秀は黙って頷いた。織田家での席次は長秀、秀吉、利家の順であり、長秀が反対すれば秀吉に指揮を預けると言う利家の提案は成立しにくくなるが、長秀は肯定した。
これにより、織田軍の指揮権は秀吉に渡った。
「しかし、徳川が本当に光秀に与するなど、わしは未だに信じられん。筑前、酒井殿を通じて何とかならぬのか?」
「なりませぬ」
「なっ……」
それでも必死に主導権を取るべく動いた信孝だったが、秀吉ならばともかく忠次に当然とも思える言葉を真っ向から否定され言葉を失った。
「単純な事です。この後間もなく、織田軍と明智軍の大決戦が起こるでしょう」
「待て、すると何か?大久保忠世は我らが負けると思っているのか!?」
「恐れながら」
「要するに、我らが勝てばそなたらが、負ければ忠世殿らが徳川を保てると言う事か?」
「いかにも」
激高した信雄の叫びにも、秀吉の冷静な問いにも淡々と忠次は答える。
「こりゃもう仕方ありませんわ。手持ちの兵だけで何とかするしかないでしょう」
秀吉も、諦めたように呟く。そして長秀も利家も、秀吉の言葉を否定する素振りがまるでない。
なおも何か言おうとした信雄であったが、四人の諦め顔を見て言葉を飲み込み、そして心を落ち着けてから再び口を開いた。
「では筑前、そなたはわしらにどうせよと言うのだ」
「三介様は一万の兵でこの近江に留まって下され。近江に残った明智の軍勢や丹後をよろしくお願いいたします。三七様は一万で伊勢へ向かって下され。滝川殿が病の床に伏せっている今、伊勢は大和や伊賀の光秀方勢力にとっても格好の標的になってしまっております。故に三七様のお力で何とか」
秀吉の言葉に信雄は胸を躍らせた。近江にはほとんど焼け落ちているとは言え織田の本城である安土があり、更に明智光秀に与している細川藤孝の領国、丹後を攻めると言う機会まで与えられている。
それに対し信孝は一益が復活すれば戦争など起こるはずのない伊勢の守備に回されている。ここで細川や近江の光秀方勢力を駆逐すれば、跡目争いで有利に立てるだろう――――。
「おおわかった、是非とも光秀の首級を見せてもらいたい」
「無論です。ですが織田の御旗を掲げてこそ将兵たちも力を発揮できるものゆえ、是非とも池田殿に三法師様をお任せいただきたいのですが」
「池田?」
「摂津は未だ安全な状態。勝三郎(恒興)殿ならばどんな困難に直面しようとくじける事なく守り抜いてくれましょう。そして、我らには三十郎殿をお貸しくだされ」
――――そして、その目論見が甘かった事を、信雄はすぐに思い知らされた。
自らの手でひそかに庇護していた兄信忠の子三法師、彼こそ信雄にとっての切り札であったのだ。いざとなれば三法師こそ織田家の正統後継者であり自分はその庇護者と言う立場を取り、間接的に織田家を相続するつもりであったのだ。
無論信孝も信雄が三法師を秘かに庇護している事を知ってはいたが、何せあまりにも重い存在だけにさすがの信孝も踏み込めなかった。
そして三十郎こと織田信包である。信長の八つ下の弟であり、目立った成果は上げていないものの紛れもなく織田の血筋であり、「織田家が総力を挙げて謀反人を叩き潰す」軍勢の指揮官に据えるには十分である。
しかも当然の如く信雄・信孝より年上であり、その分だけ貫禄もあった。と言っても信長とはまるで性格が違い、温厚で篤実な好人物で苛烈に大軍を指揮すると言う事は器量と言うより性格的にできない性質である。
そんな人間が大将になった所で果たして光秀と戦えるのだろうかとなるが、しかし信包はその性格からして秀吉の策に異を唱える事はないだろう事も確かだった。これが信雄や信孝だったら、無用に口を挟みそうだ。もう一人、信包と同じ信長の弟として源五郎長益がいるが、信包より五歳年下だし、真相はともかく甥の信忠を見捨てて二条城から逃げたと言う噂が立っており、大将に立てるとむしろ兵たちの士気が萎えてしまう危険があった。
それで確かにまもなく光秀残党軍や細川軍と戦を起こすであろう信雄のいる近江や、一益の負傷を狙って攻撃をかけられる危険性の高い伊勢に、織田家の正統後継者と言うべき三法師を置けない。
かと言って、北陸の盟主である柴田勝家が失われた今、北陸に移動させるのも危険すぎる。無論、これからの決戦に赴く秀吉の下にも連れてはいけない。となると、安全な場所は摂津ぐらいしかない。摂津を守る池田恒興は信長の乳兄弟であり、絶対逃げたり寝返ったりしない織田家の絶対的な忠臣である。例え自分たちが全滅しても三法師を守るために命を張ってくれそうな人物であり、三法師を守るのには絶好の人物だった。
(人好しの叔父上を傀儡に織田家を我が物にする気か…)
「断る!筑前、貴様の目論見は分かってお」
「三介様、大概になされよ!!」
だが全然別の思考を働かせてしまった信雄がそこまで言った所で利家が立ち上がり、信雄の陣羽織の首根っこをつかんだ。
「何をする……!!」
「それはあなたです!筑前が織田家を乗っ取るとでも思っているのですか!!」
利家の言葉に信雄は首根っこを掴まれたまま固まった。
その信雄の様子を見た信孝は笑うでも蔑むでも驚くでもなく、震えた。
「それがしと丹羽殿と池田殿、揃いも揃って筑前と親しいのが不安なのですか?」
「あ…う……」
完全に図星を突かれた信雄は何も言えないまま、変な声でうめいた。
「ご安心ください、邪な野心を筑前が抱いた場合、この利家が止めますゆえ。その為にも織田への大恩を踏みにじったものがどうなるか、見せ付けねばなりませぬからな」
「わ、わかった……筑前、そなたの好きにするがよい…三七、お前もそれで良いな」
利家はそう言うと信雄の首根っこから手を離し、完全に顔面蒼白となった信雄も力なくそう呟いた。そして信雄と同じ勘ぐりを働かせていた信孝も、沈黙の頷きをもって肯定に代えた。
「ご安心くだされ、必ずや光秀めの首をお持ちいたします」
最後に秀吉のその言葉によって、軍議は終わった。
かくして、信雄・信孝は各々一万ずつの兵をもって近江・伊勢を守る事となり、残る五万の兵は織田信包を総大将に実質的指揮を羽柴秀吉が執り、丹羽長秀・前田利家・酒井忠次らを将として光秀征伐に向かう事となった。
三法師は、摂津を守る池田恒興の下に送られた。
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