終章 秀吉、弔う
羽柴秀吉、織田家を握らず
天正十年八月八日。近江長浜城に織田の血族と重臣たちが集った。
織田の血族としては北畠信雄、神戸信孝、織田信包、織田長益。
そして重臣たちは羽柴秀吉、丹羽長秀、前田利家、池田恒興。
更に徳川家の代表として酒井忠次も列席していた。
「今後の織田家をどうするか」
と言う名目で秀吉に集められた一同であったが、大体展開は分かっていた。
秀吉が光秀を討滅した関ヶ原の戦いで総大将であったと言う事実を振りかざし、三法師の後見の立場に就いて実権を握るだろう。
信雄や信孝は甚だ不愉快だと言う表情であったが、長秀・利家・恒興の三人はそれで仕方がないと考えていた。実際、利家などはそれがこれからの織田家のために最良の手段だと考えていたほどである。
大体、長浜城は秀吉が最初に信長から拝領した城であり、それに秀吉の元に世話になっていた酒井忠次を徳川代表と言う形とは言え列席させるなどそうした意図が見えている、と判断されても仕方がない面があった。
確かに安土城は完全に焼け落ちているし清州城や岐阜城では恒興が抑えねばならない摂津や河内からは遠すぎたのだが、それにしてもと言わざるを得ない場所である。
「では、これからの織田家についての忌憚なき意見を窺いたい」
織田の血族の中で最年長である信包が第一声を発したが、誰も続く者はいない。
「それでは困るではないか……筑前、何か意見はないか」
「では、これからの織田家についてそれがしの愚見を申し述べたいと思います」
信包が半分既定路線と言った調子で秀吉に話を振った。信包も長秀らと同じように秀吉が織田家の実権を握っても仕方がないと考えていたのである。
「三法師様を早急に元服させ、織田の跡目を継いでいただくべきかと存じます。そして、後見人は引き続き三十郎様に務めていただきたく存じます」
この秀吉の発言に、一同は拍子抜けと言う表情に変わった。後見の座は信包のままで構わないと言うのだ。
「それで、筑前守。そなたの功績は大きい。それ相応の報酬が必要であろう」
「それならば、丹波と丹後をいただきたく」
そしてこの秀吉の発言にまたも、いや先ほど以上に驚きが広がった。確かに丹波と丹後は謀反人明智光秀と細川藤孝の領国であるが、両名の政治は基本的にうまく行っており、住民は両名にかなり懐いていた。
秀吉は光秀討伐軍の実質的大将であり両名を殺したも同然の人物であり、秀吉がこの地を治める事は正直困難であった。いや、秀吉でなく利家でも長秀でも恒興でも、織田家直轄領だとしても面倒な地であった。それを秀吉が引き受けてしまおうと言うのである。
「ならばそれで構わぬが」
「それから、池田殿には摂津・河内・和泉を、丹羽殿には越前と若狭を、前田殿には能登と加賀をお与えいただきたく」
秀吉は播磨を既に領国としており、丹波・丹後を加えれば大体九十万石ぐらいになる。だがこの秀吉の案がそのまま通れば、恒興・長秀・利家は全て六十から七十万石を擁する事となり、秀吉が不遜な野心を抱いたとしても三人が力を合わせれば簡単に潰せそうである。
「我らはどうなるのだ」
それに対し信孝がいささか喧嘩腰の体で秀吉に問い掛けた。
確かに四人の領国としては大体それで均整が取れていたが、恒興や長秀や利家が秀吉のおかげで領国を拡張できたとばかりに不遜な野心を起こし、いや起こしてなくとも秀吉に同調する可能性があり、その場合織田家はどうなるのだと言わんばかりであった。
あまりにも秀吉に対し礼を失した言い方であり信雄の隣に座る長益は信雄を思わずにらんだが、秀吉は平然と言葉を続けた。
「三法師様には近江と美濃を、三介様には尾張を、三七様には伊勢を治めていただきたく思います。そして三十郎様は山城をお願いいたします。そして源五郎様には心苦しくはありますが大和を川尻殿と二分して治めていただきたく」
信雄はその言葉に内心胸を躍らせた。この案ならば織田家の領国は尾張・美濃・伊勢・近江・山城・大和半国と言う事になり、およそ二百五十万石となる。
誰かが不遜な野心を抱いても易々と覆せる規模ではない。更に言えば、自分が織田家の本国である尾張であり信孝が伊勢である事も信雄の機嫌をよくした。
「よかろう、筑前守、そなたの忠義うれしく思うぞ」
信雄はここぞとばかりに秀吉を賛美した。信孝は苦々しい表情になり、長益はあからさまな変心に呆れたと言う表情に変わった。
そして川尻秀隆の旧領である甲斐は徳川家への報酬として割譲され、伯耆も同様に宇喜多家への報酬とされた。
また、徳川広康による徳川家の相続も、ここで初めて公式に認められた。そして但馬は、斉藤利三を討った堀秀政の領国となったのである。
一方で光秀討伐に全く関与できなかった佐々成政には何の沙汰もなく、越中一国そのままであった。滝川家は伊賀一国に追いやられ、柴田家に至ってはほとんどの領国が前田と丹羽に分割されてしまい、遠く因幡まで移されて辛うじて命脈を保つに過ぎなかった。
この両家、特に柴田家は当主の勝家を含め主戦力のほとんどを安土城と共に失ってしまい、滝川家も関東からの敵前逃亡、光秀による安土脱出を許した失態、そして何より一益の死により昔日の影響力はもはやなくなっていたのである。
「だが問題がまだ一つだけございます」
「まだあるのか」
まあとにかくしばらく秀吉の意見と言う形の構想を信包が認可し他の将たちが賛同すると言う形で会議は進んでいたが、最後の最後で秀吉が止まった。
「真田でございます」
ああ真田がいたか、と言ういささか嫌な空気が流れた。確かに北条軍を大敗せしめ関ヶ原で光秀にとどめを刺した功績は小さくないのだが、それでも真田に大領を与えるのは気分的にどうもすっきりしない。
もし真田に現状のまま、関ヶ原で動員した兵力の額面通りの石高を与えるとなると五十万石近くになり、ここにいる四人に次ぐ領国になる。確かに功績からすればそれぐらいの価値がありそうなのだが、どうにも合点が行かない。
「とりあえず真田の現在の領国は安堵し、南信に忠三郎殿を置くのがよろしいかと」
「どれぐらい与える」
「十五万石ほど」
信州は一ヶ国で四十五万石ぐらいである。その内三分の二と現在真田が支配している上野の領国を取り分とし、残る信濃の三分の一を信長の娘婿である蒲生賦秀に支配させよと秀吉は提案した。
「何かしてやられた気分がするが」
「ですからそれがしとしても申し上げにくく」
「真田昌幸、恐るべしか」
実際には飛騨の三木自綱にも昌幸の息がかかっているから、真田の支配地域はかつての滝川一益の関東における領国を上回っていると言ってよい。
織田の親族である賦秀を南信に置いて昌幸を牽制したつもりになったものの、秀吉もまた諸将と同じように昌幸の恐ろしさを実感せざるを得なかった。
「やむを得まい、その条件で話を持って行ってくれ。他に何もなければ散会とする」
信包の言葉に問い返す声はなかった。この会議の主役と言うべき秀吉の顔には、厳しさだけが漂い、普段の陽気な面相は微塵も感じ取れなかった。
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