明智光秀、柴田勝家をも見下す
七月四日、柴田勝家が前田利家・佐久間盛政・金森長近らと共に三万の兵を引き連れて近江に到着した。
「三介様と三七様にお会いしてくる」
勝家は信雄と信孝に会うために自らが安土城東方に構えた陣を出て、南方に位置する信雄の陣に入った。
「修理、よく来てくれた、礼を申す」
「あっ、ありがたきお言葉」
すると信雄より先に、信孝が勝家に対し礼を述べ、歴戦の勝家も慌て気味に頭を下げた。
「これで逆賊光秀の首を刎ねる事もできよう」
そして信雄が重みのある声で勝家の武勇を褒める言葉を妙な早口で口から出したが、信雄が爆発寸前の苛立ちを抱えている事は誰の目にも明白だった。
(これは、二人の仲が最悪の所に来ており、修復させるのはもはや不可能に近いな)
信雄の天幕には信雄と滝川一益、信孝と秀吉、そして勝家の五人がいた。信孝と秀吉は明らかに勝家を出迎えるために信雄に呼ばれて来た格好であり、信雄が真っ先に礼を述べるのが当然であった。
抜け駆けとも言うべき形で礼を述べた信孝に対し、当然ながら信雄は悪い感情を抱く。そして信孝の側から見たとしても、兄である信雄を出し抜いたと言う己の不遜さを示すだけの不利益な行動である。
それがわかっていてやっているとすれば二人が歩調を合わせた行動を取るのなどもはや不可能であり、二人が歩調を合わせねば光秀を討つなど絶対に無理である。わかっていないとすれば信孝に織田家の棟梁となる器量などないと言う事を証明するだけである。いずれにせよ織田家にとって良い事ではない。
「いやー、修理殿、本当に感謝しております。この羽柴秀吉といたしましては、是非とも修理殿に、十万にもなった織田軍の指揮をとっていただきたい訳でございまして」
重苦しい雰囲気に挑むように、秀吉がいつもの調子で言葉を発した。
「何……わしに指揮を執れと申すのか」
「はい、修理殿の武勇があれば柔弱な明智などたちまちにして木っ端微塵に」
勝家の怪訝そうな返事にも構う事無く、秀吉はゴマをするように勝家の武勇をほめたたえた。
「待たれよ筑前殿、三介様や三七様の意志はどうなる」
「わしは元より修理殿ご到着の際には指揮をお任せいただくようにと三七様に申し上げておりました」
「なるほど、三七様はよしとしよう。しかし三介様は」
「三介様とて修理殿の武勇はよくわかっていらっしゃるはず」
一益の度重なる疑問も秀吉は軽く受け流し、勝家の武勇を改めて褒め称えた。
「権六(勝家)、わしからも頼みたい。そなたの武勇で、光秀を打ち砕いてもらいたい」
「承知いたしました、微力を尽くしましょう」
信雄が今度こそ信孝に先を越されまいとばかりに秀吉の案に賛意を示し、勝家がこれに応じたため、織田軍十万の指揮権は事実上勝家に移行した。
(まったく……この筑前と言う男はどうにもわからん。まあとりあえずおとなしくしてくれるのならばそれに越した事はないが)
勝家が改めて四者の顔を見ると、信孝が表情を変えず、信雄がわずかに笑みを浮かべながらも引き締まった表情なのに対し、一益は苦虫を噛み潰したような顔であり、秀吉はどこかこちらの怒りを解きほぐす様な、それでいて媚びの少ない笑みを浮かべていた。
元々織田家の譜代の家臣であり重臣である勝家に取り、秀吉は小才とおべっかだけで成り上がって行ったような鼻持ちならない人物であり、どこか得体の知れないそれ以上の力があるのがわかっていても、その力の正体がわからないだけに理解しがたい存在であり、わずかながら不気味でもあった。
※※※※※※※※※
「よし、例え一枚でもよいから安土の門を破るのだ!」
そして総大将となった勝家は、自らの手勢全てを率いて南門に突撃を開始した。
「忠次殿や忠勝殿なんかに遅れを取るなよ!」
先鋒には勝家の甥である盛政が立ち、中心に勝家、後方に利家が控えている。
一方で、勝家の命を受ける格好で秀吉も自らの手勢と宇喜多軍、合わせて二万五千の兵を繰り出して西門への攻撃を開始していた。
「お館様の無念、ここで晴らしてくれる!!」
秀吉軍の先鋒は徳川軍一の猛将、本多忠勝。忠勝らの光秀に対する怒りが羽柴軍と宇喜多軍の兵に乗り移ったように、西門からも激しい攻撃が始まっていた。
「さすがに今日は厳しいか。だが、まもなく勝因が敵の方から飛び込んでくる!うつけの息子の大うつけが勝因をこちらに運んできてくれるのだ!」
だがそれでも、光秀の自信は全く揺るいでいない。
さらに、兵士たちもここ数日信雄と信孝の内輪もめ同然の、戦とも言えないつまらない攻撃が相手とはいえ連戦連勝していた事もあり、士気はかなり高かった。
勝家さえも、信雄と信孝のここ数日の情けない戦いを聞いた時には呆れざるを得なかった事を光秀は知っている。
信雄も信孝も自らの手勢数千で何の意図もなく城門に攻撃をかけては、明智軍の防備に跳ね返されていたのだ。二人とも休みなく攻撃をかけることによって敵を疲弊させてやるのだと言い触らしているが、そんな弱い攻撃をかけた所で敵を疲弊させる効果はなく、むしろ士気を上げさせてやっているだけである。そして秀吉なり一益なりがやめるように、または支援したい旨を信雄および信孝に申し述べても、自力で落とすと突っ撥ねるだけであった。
「北条が大敗を喫したのは予想外だったが……とすればどうするか、お前の答えはわかっているぞ、尾張のうつけの子よ」
今の光秀に律義者の影はなかった。あるのはただ、怜悧にして冷酷な智略家としての顔だけである。
※※※※※※※※※
光秀の秘策など知る由もない勝家は必死に攻撃を仕掛け、申の下刻(午後四時ごろ)になって遂に城門を一枚破ることに成功した。
「遂に手をかけたぞ!」
勝家は後方にいてさほど疲弊していなかった前田利家を先陣に据え、一挙に破壊した城門を突破。安土城に入城する事に成功したのである。
「よし今日はこれまでだ!」
長時間に及ぶ攻撃で明智方にはもちろん自分たちにも少なからぬ被害が出た上に、生き残った兵も疲れ果てている。勝家は城門を破ったを良しとして攻撃を停止させた。そして城内には一万の兵と共に自分が残り、残る兵は盛政や利家に率いさせて城外に置いた。
「申しあげます。三介様が一万三千の後詰の兵を送ってくださるとの事、故に城外に留めるはもっと少なくても構わぬと」
「何と……一万三千もの大軍を送ってくださるとは……しかしそれは一体?」
その勝家に対し、信雄から思わぬ指令が飛んだ。
信雄直属軍は一万、滝川一益軍も一万、その他が五千と言うのが信雄軍の内訳である。一万三千と言う数字の出所が勝家にはいまいちわからなかった。
「関東にて北条が大敗を喫した故に」
「だからそれがどう後詰と関係するのだ」
使いの男の要領を得ない言葉に、勝家は苛立ち始めた。
「三河の徳川軍が大久保殿に率いられて明日にも近江にたどり着くとの事」
徳川。思いも寄らなかったその名前に勝家も思わず目を剥いた。
「北条の大敗により徳川家に対する東からの脅威は失せました。この機に乗じ徳川殿の仇である光秀を討ち果たすべしとの三介様の勧めを受けた大久保殿が、一万三千の兵を率いて駆け付けて下さったのです」
「……そうか。精強なる徳川軍が駆け付けてくれたとあればありがたい。ところで、この事を三七様や筑前、筑前の下にいる連中は知っているのか?」
勝家の疑問に対し、使いの男は首を横に振って去って行った。
確かに精強な上に意気高い徳川軍の参陣は大きいが、果たしてそれでいいのだろうか。やはり信孝や秀吉、せめて秀吉の下にいる徳川重臣たちにぐらい伝えておくべきではないのだろうか。一万三千の葵紋を掲げた軍隊が来れば、察さないはずがないと言うのか。どうにもどこか、いやあからさまに信孝を出し抜いてやろうという信雄の意図が見える。
「とにかく北条を当てにしていた光秀に与える衝撃は少なくあるまい……三介様の言葉に従い利家に後詰を任せよう」
とは言え情報を知る人間は少ないに越したことはないと思っている勝家は結局信雄の言葉を聞き入れ、利家率いる五千を城外に残し、残る二万五千を突破した城門の内側に入り込ませた。
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