第二章 徳川広康

本多正信、吠える

 明智光秀自らの振るった薙刀により、蓋世の雄・徳川家康は伊賀加太峠にてその命を散らす事となった。




「信長の眷族たる徳川家康めは討ち取った!皆、引き揚げるぞ!」





 光秀の号令と共に、七人組たちは態勢を崩すことなく徳川の将たちから離れ、光秀に従い酒井忠次らの目の前から走り去って行った。


 忠次らは、それをただ呆然として見送る事しかできなかった。



 そしてある意味恐るべきことに、徳川の死者は家康一人であった。








「ぐっ…!」



 愕然として、口から言葉をおろか声さえも発することができなかった諸将の中で、最初に無念の呻き声をあげたのは井伊直政であった。

 見れば、腰に挿しているはずの刀がない。


「もう少し…………ほんのもう少し早く刀を投げていれば……」


 ほんの少しでも刀を投げるのが早ければ、少なくとも光秀の薙刀を一太刀ぐらいは凌ぐ事ができたかもしれない。


 あわよくば、光秀の胸を貫くこともできたかもしれない。自分のせいで家康は死んだのだとばかりに、直政の心に凄まじい悔恨の念が湧き上がって来た。


「光秀め……」


 続いて榊原康政が主・家康の仇の名を忌々しげに言い放ったが、どうにもこうにも声に迫力がない。


 何があっても仇を討ってやると言う様な強い意志を示した決意ではなく、もちろん仇は討ちたいがどうしたらいいのかと言う絶望に打ちひしがれた康政らの心を映し出すような嘆きであった。


「平八郎殿と……半蔵殿はどうした!」

 気力を振り絞るように声を上げたのは石川数正である。確かに、あの二人がいれば何とかなったかもしれない。


 だが光秀の言葉どおり、あの二人は山賊の格好をした明智軍の攻撃を受け、家康の下にたどり着くことはできなかった。


 討たれているか、それとも振り払ったか。二人の力量を考えると後者であったと思いたいが、また別の可能性もあった。

(まさか……すでに腹を)

 あの山賊が明智軍だとすれば、作戦の成功すなわち家康の死を光秀なりその部下なりからすでに知らされている可能性が非常に高い。


 当然、彼らは自分たちの戦意を高揚させ忠勝や半蔵、そして忠次らの心をくじくために、家康の死を大声で呼ばわるであろう。

 その結果、心のくじけた忠勝や半蔵が「自害」と言う答えを取った所で、不思議はなかった。


「あ、あのお二人に限って……」


 大久保忠隣の答えに対し、数正はなかなか言葉を返さない。と言うより返せない。先ほどまで混乱した頭を抱えながら何とか思考を進めていたのだが、半蔵と忠勝は自害しているかもしれないと考えた所で精神力が限界に達してしまっていた。


「お、おそらく、あの偽善者の事だ、我らと同じように……」


 目的を達成したと知るや「目標は家康ただ一人。それ以外の人間には害を加える気はない」とでも言わんばかりに自分たちを置き捨てて撤退を開始した光秀を、数正は偽善者と断罪した。

 その伝でゆけば、二人も自分たちと同じように見逃されているだろう。混乱する頭を抱えながら、数正は必死に喉から声を絞り出した。


「そうだ、二人とも流言飛語に耳を貸すはずはない、そうに決まっている!」


 同じように沈みきった心を無理に奮い立たせて叫んだ榊原康政の声に応えるように、二人の男が姿を現した。

 紛れもなく、本多平八郎忠勝と服部半蔵正成である。

「平八郎殿、半蔵殿、ご無事か!」

 康政の声が聞こえていないかのように、あれだけの明智軍兵士と戦いながらほぼ無傷の二人は一つの方向に向けて歩を進めていた。


「お屋形様、お屋形様は!」


 まもなく、忠勝と半蔵は首を失った主君の遺体を目の当たりにする事となった。


 質素倹約を旨とする家康であったが、さすがに三ヶ国を治める大名であるだけにその装束は家臣たちとは一線を画する豪華なものであり、その事がかえって家康の死を力強く証明する結果になっていた。



「お屋形様…!!」



 主君の死を確認させられた忠勝と半蔵は双眸から涙をほとばしらせ、それに反応するかのように愕然としていた他の徳川家臣たちも涙に濡れはじめた。


「お屋形様……!」

「申し訳ござらぬ…日頃の大恩に報いるべき時に……!」

「光秀め……!」


 六十個ほどの瞳から、等しい重みと情念を持った液体が流れ落ち、血に染まった袴を洗うように家康の遺骸を濡らし始めた。


 そんな時間が十分以上も続いた。


「これから……どうするのか…………」

「どうするもこうするも……我らに道があるのか……」

「例え無事に三河に帰り付いた所で、大久保殿や於義丸様に合わせる顔はない…」

「元はと言えばそれがしのせいなのだ!それがしが、それがしがお屋形様にあんな事を申し上げねば……!」

「いや、賛同した我々も同じだ、平八郎殿!」

「せめて……お屋形様と同じ場所で生を終える事としよう…」

「……それしかあるまいな」


 ようやく涙が涸れた忠次の嘆きから始まった「この後」どうするかと言う絶望的な問いは、忠勝の家康の後を追うべしと言う答えで固まろうとしていた。






「ならぬ!!」







 だがそこに、ありえないほどの大声が響いた。皆が驚いて周りを見渡し、更に声の主に気が付いて二度びっくりした。


「こんな所で……我らが死んで誰が悲しみ、誰が笑う!!悲しむのは於義丸様であり大久保殿であり徳川に付き従う兵士たちであり、笑うのは我らがお屋形様の仇、明智光秀ではないか!!」

「ま、正信……」




 大声の主の名は、本多正信。


 若き時一向一揆に加担して一時家康の下を離れ、姉川の戦いの少し前に徳川に再帰参。その後、家康の謀臣として家康の傍らにはべり続け、武功派の家臣たちから軽視され続けていた男である。

 実際に体躯は康政や直政に比べると一回り、忠勝と比べると二回りも小柄であり、自然と言うべきか声の音量も小さかった。大体、この男がこんな大声を出すのを、家康さえも聞いたことがなかったのである。


「考えていた……なぜ穴山殿の行方が知れなかったのか、なぜ茶屋殿の力が役に立たなかったのか……」


 真剣な正信の口調に、日ごろ正信を軽視していた忠勝らも真剣に耳を傾け始めた。


「おそらく、光秀は我らを襲う前に穴山殿を殺していたのであろう。いかに優秀な間者であろうと、あの数で押されては逃げる事はできない。穴山殿共々、光秀に切り刻まれたと考えるべきであろう。

 また、光秀自ら兵を率いて到来したと言う事は、光秀めが率いている兵卒が直属の旗本であり、精鋭であると言う事でもあろう。だから、茶屋殿がいくら資金を撒いても彼奴らは見向きもしなかったろうし、あるいはその上に茶屋殿が撒いた以上の額を近隣の民に渡し、彼らの口を塞がせたのかもしれない」


 半蔵は、ようやく納得した気分になった。考えてみれば、柴田勝家や羽柴秀吉らに比べれば戦功には乏しかったとは言え、光秀もあの徹底した実力主義者の信長の下で、一角を担い続けてきた男なのだ。


 家康が、わずか数十名で敵地同然の伊賀を通り抜けるという決断を取った場合、どうすべきか。家康が一番当てにしているのは何か。


 それは、忠勝や康政と言った猛将たちではなく、正攻法の通用しない、「武士」とは違った存在だろう。いくら彼らが猛将でも、千や二千の兵を凌げるはずがない。だとすれば、その千や二千の兵の攻撃を受けないようにするしかない。


 ちょうど家康の下には二人の「武士ではない」協力者、忍者の服部半蔵と商人の茶屋四郎次郎がいた。元は伊賀の出である半蔵の人脈、四郎次郎の金の力、家康はその二つの力を借りて三河へ帰らんとするだろう――――光秀は全てを読み切っていたのだ。




 半蔵の人脈の力を大軍の力で押し潰し、四郎次郎の金の力にはそれ以上の金の力をもって押さえ込み、そして家康を大軍で討ち取ったのだ。


「私がその事に気付かず、そしてお屋形様に我々は二の次であるなどというふざけた進言を為してしまった事がこの結果を生んだのだ……」


 ここでいつもの忠勝や康政であったら貴様のせいでお屋形様はと激昂して正信に迫っただろうが、今の彼らはそんな元気すらなかった。


「確かに……普通に考えれば光秀はまず第一に朝廷の協力を得ねばならず、それに織田家の重臣たちに備えなければならない上に、その重臣たちに圧迫されていた大名の協力も取り付けねばならない……」

「ああ……だから、私は内心ではどこかこの伊賀越えを甘く見ていた……どうせ、光秀が本腰を入れてかかってくる事はないと………………だが、なればこそ……なればこそ私は死ねない!少なくとも、光秀の首級を目の当たりにするまでは!

 そして、お屋形様を死に追い込んだ責務を背負い、残る命すべてを振り絞って徳川家を盛り立てる!だから、こんな所で死ぬわけにはいかない……!」

「なれど……」

「確かに、今更三河に戻っても於義丸様や大久保殿に合わせる顔はない……なれば元の摂津に帰り、羽柴殿なり丹羽殿なりの力を借り、光秀の首級を得てから三河に戻る、それが、私なりの答えだ……」

「それしかなかろう」

「私もそう思います」




 正信の案に、忠次と数正が相次いで賛成した。

 と言うか、徳川の筆頭家老と言うべき両名が賛成すれば事実上の決定である。


「では、これよりお屋形様の遺骸を徳永寺に運ぼう」


 涙を涸らし真っ赤な目を抱えた徳川の忠義の士たちは、加太峠にほど近い徳永寺に主・家康の遺骸を葬り、光秀への復讐と徳川に対しての不断の忠義を誓い合った。




「お屋形様、必ずや我らが手により、光秀の首をお届けいたします!」





 本能寺の変から四日が経った天正十年六月六日。徳川の忠臣たちは堺の町に戻って来た。

 主を失うと言う最悪の結果になっても、彼らの魂の輝きは増しこそすれ鈍る事はなく、ましてや消える事などなかったのである。

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