第3話 登校①
人は誰だって間違える。
間違いのない人なんていない。
「大切なのは間違ってしまった時、どんな行動をとるか……そう思わないか?」
「そうだね。それじゃあ、ゆーくんはさ――――」
季節は春。始業式を迎えた、麗らかな春の日。
クリーニングにかけて綺麗になっていたはずの制服の諸共、俺の全身はずぶぬれになっている。このポカポカ陽気が有難いぐらいには。
「――――遅刻が確定したこの状況で、私たちはどんな行動をとればいいと思う?」
新学期早々、俺たちはいつもの通学路から大きく外れた場所にいた。
「フッ……やれやれ。陽菜はそんなことも知らないのか? まだまだ何も知らない子供だなぁ。俺が大人の解決策ってやつを教えてやるぜ」
「よかったね、ゆーくん。日本に法律が存在してて」
「ん? ああ、そうだな……」
………………えっ? 法律がなかったら俺ってどんな目にあってたの?
「余計なことは考えなくていいから、早く教えてよ。ゆーくんの解決策ってやつ」
「仕方がないな……とっておきだぞ」
幼馴染のよしみだ。大人の解決策を伝授してやろうじゃないか。
「まずは地面に正座するだろ?」
「『土下座』でしょそれ!?」
「なっ……! なぜ分かった……! さてはお前、やはり異能力者……」
「サルでも分かるよ! むしろどこに大人要素が!?」
「大人ってのはな、頭を下げるのが仕事なんだよ」
「偏見だよ!」
「お気に召さないか。仕方がない……それじゃあ、解決策その二を教えてやろう」
「ロクな物じゃなさそうだけど聞いてあげる」
「フッ……そんな『どうせゴミみたいな解決策なんでしょ』とでも言いたげな眼が出来るのもそこまでだぜ」
今度のは幼馴染だからこそ話すとっておきだ。
「俺はこの解決策となる一連の動作を『
「ぶれ……なに?」
「やればわかる。ちょっと練習してみるか」
来るべき実践に向けての練習は必要だ。ひとまず立ち止まり、陽菜に『
「仮に遅刻を見つかり、目の前に先生がいたとしよう」
「その状況が既に手遅れだよね……」
「これはそうした窮地を脱するための技だからな」
めちゃくちゃ胡散臭そうな目で見られた。
「まずは相手の目を見た後、呼吸を整えて軸足に己の意識を集中させる」
「軸足に意識を集中……」
胡散臭い目で見ながらも、陽菜はなんだかんだ付き合ってくれる。
その優しい幼馴染に応えるためにもこの技はしっかりと伝授しなければ!
「そして相手の呼吸に合わせ、その隙を見極めた瞬間……軸足を中心に体を半回転させる」
「体を半回転……」
くるり、と陽菜はスカートを揺らしながらも軽やかに回って、後ろを向いた。
「この後は?」
「前傾姿勢になり、足に力を込めて……」
「前傾姿勢になって、足に力を込めて……」
「そのまま勢いよく地面を蹴る!」
「勢いよく地面を蹴る!」
陽菜は言われた通りに地面を蹴って、たったったっ、とリズミカルに走り出した。
「よし、いいぞ! あとは先生の視界から消えることが出来れば成功だ! これぞ、俺が編み出した秘技……『
「『敵前逃亡』の間違いでしょ!?」
ご丁寧に走った後に怒られた。時間差はズルいぞ。
「大層な名前がついてるから付き合ってあげたけど! 途中から薄々感じてはいたけど! ただ背中を向けて全力ダッシュで逃げてるだけじゃん!」
「ばっ……! 逃げるとは人聞きの悪いこと言うな! 『
「どの辺がブレイヴなのかさっぱりだし! むしろこんなにも名前負けした技は初めてだよ!」
「先生から堂々と逃亡しているところが
「そこまでするなら素直に謝った方がよくない?」
「……ははは。見ろ、陽菜。あそこに桜が咲いてるぞ。綺麗だなぁ」
「都合の悪い現実から目を逸らすのはやめなさい」
「知らないのか、陽菜。人間がもっとも見たくないのが現実なんだぜ」
「見なくても首を絞めてくるのもまた現実だよね」
「じゃあ現実さんはもう少し手加減してくれよ」
「あはは。それは確かにそうかも」
陽菜はため息交じりに言いつつも、どこか嬉しそうで。
「まさか、通学してる最中に迷子の子を助けたり、道に迷ったお爺さんや外国人観光客と出くわして道案内することになるとは思わなかったもんね。最終的には川に帽子を落としちゃった子のために帽子を取ってあげたりしたけど、盛大に足を滑らせて派手に転んでずぶぬれだし」
「まったくだ。事前に分かっていれば着替えの一つや二つは持ってきてたのに」
「ああ、転ぶことは避けられないんだね」
「ちょっとしたドジは可愛げに繋がり、そこからモテる秘訣にコンボが繋がるかと思って」
「繋がらないと思うけどね。むしろなんで繋がると思ったの」
そんな馬鹿な! 俺の信じていたものが全て裏切られた気分だ!
「ゆーくん、寒くないの?」
「ちょっとな」
春とはいえ川で転んで全身ずぶぬれになれば、流石にハンカチじゃあどうにもならない。かといって運動部でもない俺たちがタオルを持っているわけでもないし。
「えっと……それじゃあ、さ。温めてあげよっか?」
「どうやって」
「こう……ぎゅーってするの」
「お前ってたまに途方もないバカになる時があるよな」
「途方もなく鈍い人に言われたくないよっ!!」
やたらと魂の込められた叫びだった。
「こ、このままじゃ体を冷やしちゃうでしょっ! ほら、そこにベンチがあるし! ちょっと休んでこっ!」
半ば強引に腕を引っ張られ、道沿いにちょこんと置いてあったベンチに肩を合わせて座り込む。
「おー……日差しが程よく温かい……」
「ここでちょっと座ってさ、服を乾かしてこうよ」
「どうせもう遅刻確定だしなぁ……」
春の陽気は心地良く、上を向けば澄み渡った青空だ。
思わずうたた寝してしまいそうになる。
「また眠たくなってきた……」
「……膝枕してあげよーか?」
「いらん。むしろ寝づらいだろ、このベンチじゃ」
「んー……じゃあ、肩かしてあげる」
「体格を考えればこっちのセリフだな」
「えへへ。じゃあ借りちゃお」
陽菜は甘えたように、こてん、と身体を預けてきた。
これじゃあどっちが休んでいるのか分かりやしない。
「やめろ。制服が濡れてるし、冷たいだろ」
「冷たいけど……いいもん。私がこうしたいんだから」
「体を冷やして風邪ひくぞ」
「その時はゆーくんに看病してもらうもん」
「確定なのかよ」
いつの間にか予定を抑えられていた。……まあ、仮に。本当にこいつが風邪をひいたとしたら。結局、俺が看病するはめになる気がするんだけど。
「ゆーくんってさ……今日みたいに道行くところに困ってる人が居れば、すぐに助けちゃうよね」
「そうすればモテる男になれそうだろ?」
「理屈はともかくさ。ゆーくんの、そーいうところ……私は好き」
「そりゃどうも。……はあ。どうせならお前以外のもっとたくさんの女の子たちに見てほしかった」
「残念でしたー。ゆーくんのカッコイイところは私しか見てませーん」
くすくすと笑いながら、俺の隣を楽しそうに足をぱたぱたとする陽菜。
ちょっぴり残念そうにしている俺とは対照的に今にも立ち上がってスキップしそうだ。
「……ゆーくん」
「なんだよ」
「手、繋いでいい?」
「はいはい。幾らでもどーぞ」
「ではでは、お言葉に甘えて」
陽菜は嬉しそうに俺の手と自分の手を繋ぎ合わせて、指を絡める。
……こいつの手、思ってたより小さいんだな。
「わー。ゆーくんの手、おっきい」
「逆にお前の手は小さいな」
「ゆーくんがおっきくなったんだよ」
言いながら、興味深そうに指を動かす陽菜。
指を解いて今度は手のひら同士を合わせるようにしたかと思えば、今度はまた指を絡めあう。まるで愛おしそうに、
「……昔はさ。よくこうやって、手を繋いでたよね」
「そうだったか」
「そうだよ。そうなんだけど……なんでかな。いつの頃からか……ゆーくんが、手を繋いでくれなくなったの」
「……いつまでもガキじゃあるまいし。そんだけ成長したってことだろ」
「そうかなぁ……」
首を傾げる陽菜。
……言われなくたって、覚えてる。あの頃の俺は何も分かっていなかっただけだ。
陽菜のような眩く美しい太陽の傍に居ていいほど、俺は特別な人間じゃなかった。
ただ……そのことを知らなかっただけなんだよ。
「あっ」
あの頃のことを思い出していたら、自然と手が離れた。
今と昔と、俺は一体どれほど変わることが出来たのだろうか。
何も変わっていないのかもしれない。相も変わらず、太陽に照らされるだけの存在なのかもしれない。
「もう十分だろ。ほら、そろそろ行くぞ」
「はーい。あーあ……もうちょっと、にぎにぎしたかったなー」
制服も程々に乾いたことだし、ベンチから立ち上がったところで。
「あれ……?」
見慣れた人影が歩いてくるのが見えた。
どうやら向こうも俺たちに気づいたらしい。
「おはよーさん、ご両人。なんでこんなとこいるの」
やってきたのは同じ天上院学園の制服に身を包み、メガネをかけた一人の男子生徒。
運動部から目を付けられる程度の身長に、程よく鍛えられ引き締まった体格。
ネクタイを緩くだらしなくとめ、鞄を肩にかけながら、どこか気だるげな表情を見せている。
――――
俺の、中学時代からの悪友だ。
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