第16話 宿題

「楽しかったねー。昨日の映画」


 みんなで映画館へと言った日の翌日。

 誰もが気分を重くさせる月曜日の授業を何とか乗り切り、疲れた体を癒すべく放課後を帰宅部員として満喫していた。いや、厳密にはしようとしていた、が正しいか。


 そのまま陽菜が家についてくるや否や、早々に家に上がり込んできたのだ。

 ……いや、これはもういつものことなので構わないといえば構わないけど。


 でも気になるのはなぜか……。


「おい、陽菜」


「ん? なになに? あ、映画の感想でもお話しちゃう? 私もまだ語り足りなくてさー」


「それもいいが、口よりも先に手ぇ動かせ」


 プリントを広げたテーブルを挟んで、俺たちはシャープペンシルをしゃかしゃかと動かしながら解答欄を埋めていく。


 ……なぜか今日に限って、陽菜がうちで宿題をやり始めたということだ。


 この家にいる間は好きなだけゴロゴロして、宿題自体は夜にやるというのがいつもの陽菜コイツのパターン。それが急に宿題を広げた時は我が目を疑ったぜ。


 ただの気まぐれか? ありうるけど……違う気がするんだよな。

 心なしかこっちの様子を窺ってくるような気配すらあるし。

 何か変わったことでもあったかな。せいぜい昨日、みんなで映画を観に行ったことぐらいしか……。


(……映画か)


 ――――私の王子様は、ゆーくんだもん。


 どうしてか、あの陽菜の言葉が頭から離れない。

 王子様だって? 俺が? 氷空のやつじゃあるまいし。釣り合うわけもない。

 なんであんなことを急に言い出したんだか……。


陽菜こいつの王子様、なぁ……)


 居るとすれば、一体どんなやつなんだろうな。

 きっと陽菜と同じように誰からも愛されて、勉強もスポーツも出来て、見た目だって釣り合うぐらいには良いのかもしれない。たとえば、大企業の御曹司とかな。


「ゆーくん、どうしたの?」


「何が」


「いや……なんか、ちょっと苦しそうだったから」


「俺が? 別にそんなことないけど……」


 不思議だ。胸がもやっとする。なんでか分からないけど……なんでだろ。


     ☆


 ――――私の王子様は、ゆーくんだもん。


 昨日の映画館にいた頃から、ずっと自分の言葉が頭の中で再生されている。

 なんか勢いに任せてとんでもないこと口走っちゃった気がしてるんだけど!


 うぅ……やっぱり本家にいた頃の話になると、ちょっと心がもやっとしちゃうんだよね。しかも、ゆーくんがあんまりにも鈍いもんだから、売り言葉に買い言葉じゃないけど……なんか、勢いで王子様認定しちゃったし!


 きっと、直前にかざみんとほしのんの王子様騒動を眺めてたせいだ……!


 すぐに恥ずかしくなって、正直言って映画の内容があんまし頭に入ってこなかったし!

 おまけに、ゆーくんの反応が気になって柄にもなく宿題なんか広げちゃったりして!


(王子様って! 今時、王子様って! あ~……! ゆーくんに呆れられてたらどーしよー!)


 わざわざ、ゆーくんの家で宿題をしているのはこのため。

 学園だと特に代わり映えはなかったけど……。


(……あ。こっち見た)


 目が合っちゃった。えへへ……嬉しいなぁ……。

 じゃなくて! ゆーくんの顔、ちょっと変っていうか……。


「ゆーくん、どうしたの?」


「何が」


「いや……なんか、ちょっと苦しそうだったから」


「俺が? 別にそんなことないけど……」


 嘘だよ! これ絶対何かある顔だよ!


 もしかして、これやっぱり呆れてる!?

 いきなり王子様認定しちゃったから、呆れられちゃってる!?


(取り消したいよぉー! 昨日の発言、無かったことにしちゃいたいー!)


 ほしのんに頼んだら作ってくれないかな……恥ずかしい発言をなかったことにする装置。きっとめちゃくちゃ売れると思うんだよね。


(ううん……ここはもうちょっと前向きになってみよう)


 過去じゃなくて明るい未来を見なくちゃね。別に予知するわけじゃないけどさ。

 うん。もっと前向きに考えよう。たとえば、ゆーくんの今の表情は呆れてるわけじゃなくて、私のことをちょっとは意識してくれてるとか!


 ……………………。


 ないねー。うん。これは絶対にない。

 そこまで夢を見るほど楽観的じゃないよ。どれだけ片思いしてきてると思ってるのさ……あ、なんか自分で考えてて悲しくなってきた。


 いっそのこと、本人に聞いちゃおうかな。

 私の王子様認定、どう思った? とかさ。……やめとこ。絶対に後でまた後悔する。


 気になるよぉ……でも、こうしてテーブル越しに顔を合わせても何にも分かんないや。

 横顔から観察すれば何か掴めるかも?


「ねぇ、ゆーくん。ちょっと分かんないところあるんだけど、教えてくれない?」


「どこだよ」


「ここ。……あ、逆さまだと読みにくいでしょ? 隣に来たまえよ」


「はいはい……隣に座れってことね」


 しぶしぶといったていで、ゆーくんは場所を移動して私の隣に座る。

 落ち着くなぁ……。なんていうかさ、ゆーくんが傍に居るとつい甘えたくなっちゃうんだよね。心が、ぽかぽかするんだもん。


     ☆


「……つーわけだから、まずは文章よりも先に問題の方を見てだな」


 珍しく分からないことがあるというので、わざわざ隣に移って教えてやっているというのに。


「えへへー。ぽかぽかー」


 当のご本人様はというと、人様の腕に身体を預けてきている。


「ぽかぽかー、じゃねぇよ。問題を解け、問題を」


「ゆーくんのけち」


「勝手に人の肩を使っといて何様だ」


 文句を垂れながらも陽菜は問題に戻った。本当に分からないところがあるのか疑わしいぐらいにスムーズに解答欄を埋めていく。


(しっかし……こうして改めて見ても……)


 小さいな。華奢で、小柄で。触れれば折れてしまいそうだ。

 まあ、流石に子供の頃よりは色々と成長しているけど。腰のくびれとか、程よい肉付きの太ももとか、あとは大きめの胸とか……。


「ごびゅっ」


「えっ。どしたのゆーくん。急に自分の顔を殴りだして」


「気にするな。お前は続けろ」


「えー……? 何も見なかったことにするにはあまりにも異常事態なんだけど……」


 いかん。またあの時のことを思い出してしまった。具体的にはバスタオル一枚になった陽菜とか、下着とか……。


「ぐぺっ」


「ゆーくん!? やっぱおかしいよ!? なんで二発目を叩き込んだのさ!」


「だから気にするな。過去の自分を戒めてるだけだ」


 ダメだダメだダメだ。余計なことを思い出してしまう。

 ああ、くそっ……なんだよ。何なんだよこれ。子供の頃と全然違う。前までとは全然違う。

 胸だってなんかもやもやするし、自分が自分じゃない感じだ。


「過去の自分を戒めてるって……えっと……それってさ。何か、変なことでも思い出したり……?」


 おそるおそるといった様子で訊ねる陽菜。


「いや、変というか……」


 別に変ではない。むしろ……。


「……思い出すだけで、恥ずかしい感じがするっていうか」


 変じゃないし、嫌でもない。だけど思い出すと恥ずかしくなる。

 たかだか下着で慌ててる自分も、成長した陽菜の身体を見て動揺する自分も。……恥ずかしい。


     ☆


「だから気にするな。過去の自分を戒めてるだけだ」


 いきなり、ゆーくんが自分の顔をぶん殴り始めたんだけど!

 なにこれなにこれ! 前にもこんなことがあったけど、今回はもっと重症っぽい!


「過去の自分を戒めてるって……えっと……それってさ。何か、変なことでも思い出したり……?」


 ゆーくんがいきなり変なことをするようになった心当たりがあるとすれば、あの王子様認定しかない。というか、最近でアレ以外にきっかけになるようなことはなかった気がするし。


「いや、変というか…………思い出すだけで、恥ずかしい感じがするっていうか」


 やっぱり――――!!!

 だってアレ、私も恥ずかしいもん! 言った本人が恥ずかしいんだもん!

 うああああー! ほしのん、早く恥ずかしい記憶を忘れさせる装置を作ってよぉー!


「あの、ゆーくん。私が悪かったからさ……忘れて! あのことは忘れてっ!」


 こうなったら直接お願いするしかないよ!


     ☆


「あの、ゆーくん。私が悪かったからさ……忘れて! あのことは忘れてっ!」


 陽菜のやつ、もしかして俺が何を思い出しているのかを察したのか!?

 確かに陽菜からすれば忘れてほしいものかもしれないけど……。


「……それが出来ないから困ってるんだろ」


 意識していなかった。いや、意識することすら烏滸がましいと思っていたのに。

 無防備な幼馴染のせいで、子供の頃とは違うことを思い知らされてきて。


「困ってるの!? 困るほどなの!?」


「当たり前だろ。忘れようと思っても、そう簡単に頭から離れねぇっていうか……」


「お願いすぐに忘れて! 私も忘れるから! あー、もう恥ずかしいー!」


「そこまで恥ずかしがるならカジュアルに人の家の風呂に入るのをやめろ!」


「なんでそこでお風呂が関係するの! 今はお風呂の話なんてしてないよ!」


「してないの!?」


「あとこれからも、ゆーくんの家のお風呂には入ります!」


「学習能力ゼロか!」


 そんなことばっかやってるからあんなことが起きたんだろうが!


「はぁ……もう。言われなくたって、気を付けるよ。あれは気の迷いっていうか……」


 よかった。これで陽菜も少しは自重してくれるようになるか。


「…………じゃあ私、気分転換にちょっとお風呂入ってくるね」


「話聞いてた!?」


     ☆


 それから陽菜はなんだかんだとまた我が家の風呂に入っていく。

 今度はちゃんと着替えを持って、だ。


「なにが王子様だよ……」


 会話がどこか噛み合わないと思っていたら、どうやら陽菜はあの王子様認定のことをずっと気にしてたらしい。別に呆れちゃいないと言ってやると、ほっとした様子で風呂に入っていった。というか、逃げて行ったが正しいか。


 王子様なんて大層な肩書き、俺には分不相応だ。ずっとそう思っていた。なのに陽菜の方は、ずっと俺に対しては無防備だし、すぐに甘えてくるし。


 俺にはまだ資格がない。だから幼馴染として傍に居るだけでいいと思っていたのに。


「……欲張りになってんのかな」


 この頃、俺はちょっとおかしい。

 幼馴染が昔とは違うというところを意識しているせいなのかな。

 胸がもやっとしたりして、これが何なのか自分でもよくわからなくて。


「こりゃあ……宿題だな」


 自分の中にある制御不能の、名称未定の何か。その正体を知る日は、いつか訪れることがあるのだろうか。



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