第31話 押してダメなら引いてみろ

「ほしのん。私はもう万策尽きたよ……」


 数日が経って、ゆーくんはすっかり元気になった。

 それからは私も朝、ゆーくんを起こしに行ったり、普通におしゃべりしたりして……。


 ……普通。そう。普通だった。


 私も、ゆーくんも、いつも通りで。


 あの時のキスなんてなかったみたいになって。


 だからだろうか。放課後、私の足はなんとなく実験室に向いていて、ほしのんに弱音を吐いていた。


「……目覚めの魔術を交わしたのに?」


「目覚めの魔術……ああ、キスのことね。うん。そう。キスしたんだけどさー……なんか、うやむやになったっていうか……」


「……でも、日和った陽菜も悪いと思う」


「痛いトコつくねぇ、ほしのん……」


 そう。あれは私が悪くもある。

 魔が差したとか言って日和ったり、ゆーくんの方から話題に出そうとしたときも無理やりおかゆで口を塞いだり……いやこれ私が悪いじゃん!!


「……結局さ。私には、勇気がないんだよね。だから肝心な時に日和っちゃうんだ……」


 なまじ未来が見えちゃうだけに、想定外のことが起きると弱気になっちゃうのかもしれない……あのキスだって、別に最初からやろうと思ってたわけじゃないし……。


「……じゃあ、向こうから踏み込んでもらえば?」


「それが出来れば苦労しないよ。あのゆーくんだよ?」


「……普通にやれば無理。だったら、魔術を使えばいい」


「何か良い発明品まどうぐでもあるの?」


「……魔道具じゃない」


 そう言って、ほしのんが取り出したのは、中に薄青色の液体が揺蕩うフラスコだった。


「……名付けて『冷静沈着アイスエイジ』。飲めばたちまち、冷静さを保つことが出来るようになる。とっさの判断にも冷静に対応できるほどに」


「えーっと……つまり、どういうこと?」


「……『押してダメなら引いてみろ』、ということ。陽菜は月代雄太といつも距離が近い……近すぎるから、意識してもらえないのかもしれない。……だからしばらく距離を置く」


「距離を置く? たとえば?」


「……朝起こしに行ったり、放課後にお風呂入りに行ったりするのをやめる」


「うっ……なるほど……確かにその手は試してなかったかも。でも、魔法薬なんて持ち出さなくても……」


「……普段から朝起こしに行ったり、お風呂入りに行ってるような陽菜が、今更になって月代雄太に対して距離をおける?」


「……ごめん。無理っぽい。うん。ありがとう。その魔法薬、ありがたく使わせてもらいます」


 絶対に癖で起こしに行ったりとかしてボロが出るに決まってるもん。

 ほしのんの作った薬品なら効果は保証されてるし、使わせてもらおう。


 いつも押してばかりだったもん。たまには引いてみてもいいよね。


 ……よーし。がんばって距離を置くぞー!


     ☆


 次の日。

 とりあえず私はまず、ゆーくんを起こしに行くのをやめた。

 本当は起こしに行ったり、ゆーくんの寝顔を見に行きたかったけど……朝一で『冷静沈着アイスエイジ』を飲んだおかげか、簡単に我慢することができた。


 なんか頭がすっと冷えた感じ。流石は、ほしのんの魔法薬。効き目抜群だよね。

 これがなかったら危うく起こしに行っちゃうところだったよ。


「ギリギリセーフ……! あっぶねー……!」


 ゆーくんが教室にやってきたのは、朝のホームルームが始まる一分ほど前。本当にギリギリの時間だった。


「はぁ……はぁ……母さんが起こしてくれなかったらマジで危なかった……」


「なんだ雄太。今日は随分と遅いな。やっぱり、陽菜ちゃんが起こしてくれないとダメなんじゃないか?」


「うるせー」


 息を整えながら、ゆーくんは自分の席について鞄から教科書を取り出していく。


「……おはよ、陽菜」


「おはよ、ゆーくん」


「そういえば、今日うちに来なかったな。何かあったのか?」


「んー……別になんでもないよ。ただ、今度から朝起こしに行くのはやめとこーかなって思っただけ」


「そうか。起こしに来ないのか……………………………………………………ん? え? 来ないの?」


「そ。しばらく行かない」


「ど、どれぐらい?」


「さあ……わかんない。まあ、冷静に考えたら毎朝クラスメイトを起こしに行ってる方がおかしかったしねー」


「そうか…………言われてみれば、まあ……そうだな」


 うん。冷静に考えるなんてこと、魔法薬がなかったらしなかったかも。


「あー……陽菜ちゃん。どこか身体の調子でも悪いのか……?」


「ん? 別になんともないけど? かざみん、何か気になることでもあった?」


「えっ……? や、特には……」


 うーん……ゆーくんの方はあんまり変わった感じしないなぁ。

 ちょっと戸惑ってるぐらいだけど、私のこと意識してくれてるかっていうと、それはまた別問題だし。

 でも……ま、いいか。そんなすぐに、大きくゆーくんの反応が出るわけないもんね。

 気長にがんばろっと。






「おーい、月代。教科書逆さまになってんぞー。お前、先生の授業を聞く気あんのかー?」


     ☆


 次は移動教室の時間。

 いつもは、ゆーくんと一緒に行くことが多い。というか、身体がゆーくんのところに行きそうになったけど、冷静になった頭がそれを止めた。

 他のクラスメイトの友達と一緒に廊下を歩いていく。


 うーん……ゆーくんの反応、いまいちだなぁ。いつもとあんまり変わりないし……。ううん。これからだよ! がんばれ、私!






「おい、雄太。そんなフラフラしてると階段から落ち……本当に落ちた!? おい、大丈夫か!?」


     ☆


 で、更にその次は水泳。プール授業だ。

 今日は先生が出張ということもあって、自由に遊んでいい時間になっていた。

 私が軽くひと泳ぎしてプールサイドに上がったところを見計らったかのように、ゆーくんが傍にやってきた。


「……陽菜。えーっと……」


「どしたの? ゆーくん」


「いや……何でもないっていうか……ただ、雑談しに来ただけだ」


「雑談かー……ごめん。私、今ちょっと体動かしたい気分なんだよね。もうひと泳ぎしてくるよ」


 本当は……! 本当は、ゆーくんとお喋りとかしたかったけど、ここはがまんがまん。


 ……あと、どうせならカワイイ水着姿を見てほしいしね。いや、学校指定の水着も、もしかしたら、ゆーくんの好みなのかもしれないけどさ。


 ていうか……ゆーくんの身体って、結構見栄えがいいし、実際男の子らしい感じがするから、他の女子たちにとられないか心配なぐらいだよ……!


「お、おう。そうか……あ、今日も放課後はうちに来るのか?」


「いや? 今日は真っすぐ家に帰るよ。ゆーくんで入るお風呂も、とうぶんは遠慮しようと思って」


「そ、そうか……そうか……」


 ……はあ。にしても、ゆーくん。あっさり引き下がったなぁ……やっぱり私に興味ないのかな……?






「月代が足滑らせてプールに落ちたぞ! どうしたおい!?」


     ☆


 その後も、私は『冷静沈着アイスエイジ』を使って、ゆーくんと一緒にいたい衝動を抑え続けた。


 でもこれといって目立った成果は現れず、ゆーくんは私の目から見て、いつも通りだった。


「ほしのん……ダメだったよ……」


「……そう。残念」


「魔法薬まで用意してくれたのに、ごめんね?」


「……気にしなくていい。感想を貰えるだけで、じゅうぶん。むしろ、わたしの方こそ力になれなくて、ごめんね?」


「ううん。ほしのんが協力してくれて嬉しかったよ。本当にありがとね」


 実験室で『冷静沈着アイスエイジ』の感想をまとめたレポートをほしのんに出していると、不意にポケットの中からスマホの着信音が鳴った。


「あ、ごめん。ちょっと電話してくるね」


 廊下に向かいつつポケットからスマホを取り出すと、そこに表示されていた名前は――――、


「パパ……?」




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