第30話 看病②

 目が覚めた時、既に学園では放課後に入っているような時間帯だった。


 風邪をひいて、今日は一日ベッドで寝ていて。


 陽菜が起こしには来なかったので氷空にメッセを送っていたけど、なぜ陽菜に知らせなかったのか。自分でも分からなかった。


 特に知らせる意味もないが、かといって知らせない意味もない。


 知らせたってよかったはずなのに俺は知らせなかった。


 なんでだろ。…………いや、なんでかは分かる。


「すげー顔合わせづらい……」


 向こうもそう思っているからこそ、朝は起こしに来なかったんだろう。


 そもそも、なんであいつは急にあんなことしたんだか。


 気になって、気になって、気になって。


 ずっと考えていたら、家に帰っても風呂に入り損ねて……このザマだ。


「あー……ダメだ。なんか、まだ頭がぼーっとする……」


 考えるのはやめよう。今はとにかく一度寝て、それから考えよう……。どのみち、こんな頭がマトモに考えられないし。


 そう思って瞼を閉じた瞬間、部屋のドアがノックされた。


「ゆーくん?」


 ……陽菜だ。よりにもよって、悩みの爆心地が直々におでましになられやがった。


「入るね」


 声を出そうにも、咄嗟に大きな声を出すことができなかった。

 そのまま陽菜がいつもの無遠慮さとは真逆。少しばかり遠慮しているかのように、おずおずとしながら入ってくる。


「体調、どう?」


「……微妙。なんか、まだぼーっとする」


「そっか……何か食べれそう?」


「たぶん」


「じゃあ、おかゆ作ってくるね」


 逃げたような気がしたのは、間違いなのだろうか。だけど作るといった手前、戻ってこないわけにはいかなかったらしい。しばらくして、陽菜はおかゆを乗せたお盆を持って再び部屋に入ってきた。


「食べれる?」


「食べる」


「どーぞ」


 テーブルに乗せられた、湯気のたったおかゆ。頭がまだぼーっとしているせいか、俺は何も考えずスプーンを手に取り、そのまま口に運ぶ。


「熱っ……」


「だめだよ。ちゃんと冷まさないと」


「……あとで食べる」


「めんどくさくなったんでしょ」


「……冷ますんだよ」


「だーめ。私がふーふーしてあげるから、ちゃんと食べなさい」


 言って、陽菜はスプーンでおかゆを掬うと、熱々のおかゆに息を吹きかける。


「ふー……ふー……」


 俺はその光景を何となく眺めていた。

 風邪をひいたせいだろうか。陽菜が息を吹きかけている間、視線はどうしても彼女の柔らかそうな唇に集中してしまう。


「ゆーくん? 顔、赤いよ」


「……風邪のせいだろ」


「あ、そういえばそっか……はい。冷めたよ。どーぞ」


「ん……ありがと」


「ふふっ。ゆーくん、風邪ひくと素直になるよね」


 もぎゅもぎゅと冷ましてもらったおかゆを食べていると、陽菜は嬉しそうにこちらを眺めてくる。


「おいしい?」


「……ん。美味い」


「よかったー。どんどん食べてね」


「さんきゅ……ところで陽菜。昨日の」


「はい、どーぞ」


「あっつ!!?」


 質問を投げようとした瞬間、あつあつのおかゆを口に突っ込まれた。

 冷ましてくれるんじゃなかったのかよ! というか、なんで急にこんな暴挙に出やがった!? わけがわからん!


(……汗。きもちわる…………)


 考えまいと頭を落ち着けていると、ふいに来ているシャツが肌に張り付いていることに気が付いた。大量の汗をかいたせいだろう。また泥水を被ったのではないかというぐらいに、生地は水分を吸っている。


「あ、ゆーくん。だめだよ起きたら。寝てないと」


「……寝るにしても、汗がはりついて気持ち悪いんだよ。着替えさせてくれ」


「服なら私がとってきてあげるからさ。えーっと……これでいい?」


「それでいいが、なんでお前は一切迷うことなくシャツが入っている場所が分かるんだよ」


「そりゃー、普段から探し慣れてますから」


 そうだね。勝手に俺の服をとってきては風呂上りに着てるもんね。

 着ようと思ったシャツが忽然と姿を消していることがあるのはこいつの仕業だ。


「あ、そーだ。汗なら、ついでにタオルで拭いてあげるよ」


「何がついでだ。それぐらい自分でやれる」


「背中とか一人だと拭きづらいでしょ。ほら、ばんざいして。ばんざい」


 風邪で体力がないせいか、抵抗することも面倒になってきた。

 ここは大人しくシャツを脱がされておこう。


「あ…………」


 シャツを脱いだ瞬間、陽菜が固まった。というか、やけに体に視線を感じるというか……。


「どうした……?」


「な、なんでもない、よ……?」


「なんでもないことないだろ……どうした。言え」


「えーっと……ゆーくん、結構鍛えてるんだね……?」


「ふっ……そうだろ? モテるための身体づくりだ。日々のたゆまぬ鍛錬の賜物だな」


「そ、そーなんだ? ふーん……」


「……拭いてくれるなら早くしてほしいんだけど」


「ご、ごめんっ!」


 謝りつつ、陽菜は慌ててタオルで俺の身体を拭き始めた。丁寧に、肌の感触を確かめるように。……なんだ。その、後悔してますと言わんばかりの顔は。お前から言い出したんだろうが。


「ふわー……」


「……本当にどうしたお前」


「いや。ゆーくんも、男の子なんだなぁって……」


 ……そういうお前は、女の子なんだよな。

 近頃は特にそう思う。何しろ、唇の感触と熱が未だに頭にちらついてしまうぐらいだ。


「何を今更……当たり前だろ」


「だ、だよねー……」


「……お前、顔赤いけど。もしかして風邪、移しちゃったか……?」


「こ、こここんなに早く移るわけないでしょ!? それに、顔は……部屋が熱いから!!」


 確かにちょっと熱い気がする。もうすぐプール授業が始まるぐらいだもんな。

 陽菜が身体を拭き終えた後、シャツに袖を通す。……あ。これ、消えたと思ってたやつだ。恐らく陽菜が着て一度は持って帰ったのだろう。どことなく、ほんの僅かにだけど……陽菜のにおいがする。なんか、落ち着く。


「…………あのさ。ゆーくんが風邪ひいたのって……」


「…………転んで川に落ちた」


 本人が『魔が差した』と言っている以上、むし返すようなことはやめておこう。

 何より……キスされたことを気にしているうちに風呂に入り損ねて風邪をひいたとか、カッコ悪すぎるし、俺だけ昨日のことをめちゃくちゃ意識してるみたいで恥ずかしい。


「それ、本当に?」


「…………本当に」


「なんか嘘くさいんだけど」


 勘が良いやつめ。


「……そろそろ寝たいから、一人にしてくれ」


 これ以上、話していてもこちらの分が悪いことは明らかだったので、俺は布団をかぶって幼馴染との会話を切り上げることにした。


(くそっ……なんで俺ばっかり……)


 陽菜は、いつも通りだった。

 昨日のことなんて忘れてしまっているかのように。

 むしろ俺ばかりが昨日のことを意識しているようで、どことなく悔しかった。


     ☆


「ゆーくん、いつも通りだったなぁ……」


 帰り道。私は一人肩を落としながら、家までの道のりを歩いていた。


「キスまでしたのに、私のこと何にも意識してなさそうだったし……」


 ここまで無反応だと落ち込んでしまいそうになる。ゆーくんにとって、私はどこまでいっても『幼馴染』でしかないのかな。せめて『女の子』として見てほしいのに。


「はあ……五分の賭けには負けちゃったみたいだよ、かざみん」




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