第29話 看病
時間も、何もかもすべてが止まったかのような錯覚。
世界のすべてが白紙になったような気さえしている中で、それでも唇には仄かな温もりが残っていた。
「陽、菜……?」
彼女の言葉通り、気が付けば雨は止んでいた。
いつ止んだのかさえ覚えていない。それぐらい、頭の中が真っ白になっていた。
「ゆーくん……」
背伸びを終えて、地に足つけた目の前の幼馴染から目が離せない。
(今度は……)
今度はこっちから顔を近づけたら、どうなるのだろう。
ふとそんな考えが頭を過ぎる。
そうして見つめあっているうちに、どんどん陽菜の顔が赤くなってきて――――。
「ま…………」
「…………『ま』?」
「魔が差した!!!」
「魔が差した!?」
え? 今こいつ、魔が差したって言いました?
「えっと……そう! 魔が差した! 今のは魔が差したの! ちょっとした事故みたいなものだから! そーいうことだから!!」
「事故!?」
あろうことか事故とのたまいやがったぞこの幼馴染!!
「そういうことだから! 私、先帰るね!!」
「あっ、おい待て!」
俺の静止も聞かず、陽菜は小柄な身体を生かして壁ドン状態から抜け出すと、そのまま運動部も一目置く脚力で全力ダッシュ……いや、逃げ出した。
あとに残されたのは、折り畳み傘を持ったままずぶ濡れになった俺だけだ。
「この折り畳み傘、お前のだろ……くちゅっ」
☆
「あー……完全にやらかしちゃったよぉ……」
雨もすっかり上がった次の日の朝。
私はいつもより早めに登校して、教室で突っ伏していた。
いつもなら、ゆーくんの家に寄っていたところだけど……昨日あんなことをしてしまった手前、どうにも行きづらかった。
だから今日は珍しく家から学園まで直行してきたというわけなんだけど。
(うぅー……偶然とはいえさ。ゆーくんの顔があんなにも近くになって……きゅんってしちゃって……それで……)
それで、思わずキスをしてしまった。
今思い返しても胸がドキドキする。顔が火照って、火傷しそうになる。
唇に触れる。昨日感じた温もりは、今も確かにここに残っているような気がして。
「…………」
緊張して緊張して、恥ずかしくなって。
無意識の内にキスしてしまったという事実に耐え切れなくなって。
つい誤魔化して、逃げ出してしまった。
(これじゃあ私がやり逃げしたみたいじゃん! いや実際そうなんだけど!)
しかも言い訳が『魔が差した』だ。
「流石に……『魔が差した』はないよね……」
我ながらとんでもない言い訳をしてしまったと思う。しかも、続く言葉が『事故』だ。
「はぁ……ゆーくんに何て言えばいいんだろ……」
今朝はつい避けてしまったけれど、学園では逃げ場がない。ゆーくんとはどうあがいても顔を合わせることになる。
「なんであんなことした?」
とか質問されたらどうしよう。
いっそのこと、
「ごめーん。つい魔が差しちゃった☆」
……って答えちゃおっかなぁ。
あーあ。どうして私には予知能力なんて備わったんだろう。今は予知じゃなくて、どっちかっていうと、
「…………時間を巻き戻す力が欲しかったよ」
「どうした陽菜ちゃん。今日は朝から暗いねぇ」
いつの間にかそれなりの時間が経っていたらしい。
ゆーくんの席の前に、かざみんが登校してきた。
「おはよ、かざみん……ねぇ。人間ってさ、不便な生き物だよね……時間も巻き戻せないんだからさ……」
「急に人体の構造にケチをつけるとは思わなかったよ」
かざみんは苦笑しながらも、何かに気づいたように手を叩いた。
「ああ、もしかして雄太が休みだから落ち込んでるの?」
「ゆーくん、今日休みなの?」
「あれ、知らなかったの? オレには今朝メッセが飛んできてさ……あいつ、風邪ひいたらしいんだけど」
「私、知らない。何も聞いてない」
「珍しいこともあるもんだな。……ていうか、陽菜ちゃんは毎朝雄太を起こしに行ってなかったっけ? 今日は行ってないの? もしかして、落ち込んでるのもそれに関係してる?」
うっ。かざみん、痛いとこ突いてきた。察しが良すぎるよね。
……私も一人で抱え込むのもちょっと限界が来そうだし、話しちゃおうかな。かざみんなら言いふらすこともないだろうし。
「実はさ……」
私はかざみんに、洗いざらい白状した。
昨日はゆーくんと相合傘をして帰ったこと。
ついキスしてしまったこと。
逃げてしまったこと……。
「なるほどねぇ……それはそれは」
「かざみん。なんで笑いをこらえてんの」
「いやー、ごめんごめん。でも……ははっ。『魔が差した』は面白くていいなぁ」
「よくないよ! とんだ恥を晒しちゃったよ!」
「でも、いいんじゃないの? 魔が差したでもなんでも。それぐらいの荒療治がないとあいつは意識しないだろうし」
「…………意識。してくれてるのかなぁ……」
そこだけが不安だ。
「いやいや。流石にアイツもこれで……」
「だってさ。ゆーくんだよ?」
「…………」
「目を離すとすぐにフラグをあれやこれやと建てて、そのうえ何年も何年もなーん年も私のアプローチに気づかないような、ゆーくんだよ?」
「……………………六……いや。五分五分ってところだな」
「思ってたより勝ち目があって助かるよ」
今までは一分の隙も無かったからね。
「じゃあ、それを確かめるためにもアイツの家には行った方がいいんじゃないの?」
「う…………」
「今日はあいつの母親も家を空けてるらしくてさ、一人になってるっぽいんだよ。だから看病がてら、様子を見に行ったらいい」
かざみんのもっともな言葉に、私はただ頷くことしか出来なかった。
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