第9話 余裕②
「俺の余裕を失くすって言ってたけど……一体何をするつもりなんだ」
「え? えーっと……」
「ノープランかよ」
せめてもうちょっと何か考えがあるかと思ってた。
「あるもん。プランあるもん」
「ほぉー。じゃあ言ってみろよ」
「えと……余裕がないってことは……慌てたり、焦ったり、ドキドキしたりしてるってことだから……」
陽菜はほんの僅かな時間考え込むと、やがて何かを思いついたように手を叩いた。
「財布を落とす!」
「思ってたのとなんか違う!」
「じゃあ絞め技で落とそう!」
「意識を!?」
「ゆーくんの単位とか!」
「勝手に落とすな!」
「肩とかどう?」
「がっかりだわ!」
「もう少し静かに喋ろうね。近所迷惑だよ」
「声を落とせと……?」
どんどん違う方向に流れているのは気のせいだろうか。
むしろこいつ、とりあえず落としとけば余裕がなくなるとか思ってない?
「ゆーくんはワガママだなぁ……」
「お前にだけは言われたくねーよ」
「もうっ。私の意見を否定ばっかりして。じゃあ、ゆーくんがドキドキするシチュエーションを聞かせてよ」
「そうだなぁ……やっぱ不意打ちだよな。ふとした時に手が触れあったりだとか、そういうさ」
「なるほどなるほど……」
俺の意見を聞いた陽菜はなぜか深く頷いている。
……あれ? なんで俺が答えてるんだ? もしかして誘導尋問というやつでは?
「ん?」
今の流れに疑問を抱いていたら、不意に陽菜の手が俺の手と重なり合った。
「…………ど、どうかな?」
「何が?」
「いや、えっと……ドキドキ、した?」
「なんでそうなる」
「えっ」
「手は前も繋いだだろ」
始業式の朝に登校した時だって、お互いの手を触れあったばかりだ。
他の女子ならともかく、こいつと手を触れあうぐらいは今更だろう。
「…………そーいえば、そうだったね……ゆーくん、それでなぁーんにも感じないもんね……」
人の手に勝手に触れておいて落ち込むとは失礼な。
「じゃあ、これはどう?」
言いながら、陽菜は俺の腕に抱き着くように腕を絡めてくる。
「こーいうのさ……あんまりしないでしょ? どう……?」
「腕が痺れそう」
「腕が痺れそう!?」
率直な感想を述べたら陽菜が一人で勝手にショックを受けながら、手を放してきた。
俺はようやく解放されて自由になった手でリモコンを操り、とりあえずてきとうにテレビのチャンネルを変えていく。
「うぅ……そうだよね……特に不意打ちでもなかったもんね……はぁ……もう、ゆーくんには何をやってもダメそうだよ……」
陽菜は立ち上がると、そのままふらふらとした足取りで居間の外へと出て行った。
「私、ちょっと気分転換にお風呂入ってくるね……」
「お前、当たり前のように
もはや深く突っ込む気力も湧かない。
「…………ねぇ、ゆーくん」
「ん? どうした」
「…………いっそのこと、一緒に入る?」
「入るか!!」
「あはは。だよねー」
冗談冗談、と言いながら今度こそ陽菜はお風呂場へと姿を消した。
「まったく……あいつはいつもいつも……」
その先の言葉を咄嗟に噤むと、いつの間にか外の雲行きが悪くなっていたことに気づいた。
「……洗濯物、取り込んでおくか」
今日は天気が良かったので既に乾いているはずだ。
カゴを用意しつつ、雨が降る前に洗濯物を手際よく取り込むと、ついでにリビングでのんびりとテレビでも眺めながら畳んでいく。
「……ん?」
そうして、洗濯物を畳んでいく最中で見慣れない布を発見。
内心首を傾げながらも広げてみると、
「ちょっ…………!?」
それは明らかに女性ものの下着だった。
母親のではない。見慣れないもの、だ。恐らく。恐らくではあるが……持ち主は陽菜だろう。考えてみれば頻繁に風呂に入ってるし。あの母親のことだからついでにうちで洗っておくとか普通に言い出しかねん。……形状から判断するに上に着けるものか。……しかもなんか……胸のところのサイズが、でっ……。
「ごぶふぁっ!」
心の中とはいえ、浮かびかけた言葉を消すために自分で自分の顔に右ストレートを叩き込んだ。うん。まさにファインプレーといえよう。
深呼吸。まずは深呼吸。落ち着け。こんなものはただの布だ。布切れに過ぎないんだ。
「……そうだよな。あいつ、もう高校生だもんな…………」
昔と変わらないこともあるけれど。でも、昔とは違うことは確かにあって。
「…………」
ひとまず、何とかして、全ての着替えを畳み終えた俺は、自分の着替えを先に部屋の棚に運ぶことにした。
「あれ……濡れてる……」
部屋に入ろうとしたところ、水滴のようなものが床に滴っているのが見えた。
母さんが水でも零したか、と思いつつ自分の部屋の扉を開けると、
「はぇ……?」
「えっ……」
それはまさに、ばったりと。不意打ちとも呼べた。
なぜか陽菜が俺の部屋にいて。しかも全身が濡れていて、身体には頼りないバスタオル一枚しか巻いてなくて。
しかも当の本人は、きょとん、としたような顔を浮かべていて、毛先からはぽたぽたと雫が落ちている。胸元は明らかに辛そうで、不意に先ほどの下着と大きさが頭を過ぎった。
「お、おまっ……! こんなとこで何してんだ……!」
「き、着替えを取りに来ててっ……! あの、いつもはお風呂に入る前に取っていくんだけど、今日はちょっと忘れてたっていうか……!」
「また人のシャツを勝手に盗もうとしたのか!」
「えー。下着は自前なんだからいいじゃん」
「じまっ……!? ごびゅっ」
「ゆーくん!? なんで自分の顔をいきなりぶん殴ったの!?」
「フッ……気にするな……」
咄嗟に浮かびかけたピンクの布切れを記憶から抹消すべく再びのファインプレー。
「あ……そうだ。下着といえば……いつもの場所に入ってなかったんだけど。ゆーくん、知らない?」
「知らん! 知らんが、リビングに行けばあると思う!」
「えっ。なんでそんなこと分かるの?」
「いいからさっさと行け!」
なんというか……あまりにも、目に毒だ。
……あと早く行ってくれないと首が捩じ切れそう。
「はーい。あ、シャツ貰っていくね?」
「この際だ。勝手にしろ!」
「やったー。じゃあ、これにしちゃおーっと」
言いながら、陽菜はパタパタとリビングの方へと戻っていく。
足音が遠ざかったのを聞き届けてから、俺は深く深く……それは深く、息を吐いた。
「…………ったく……こっちの気も知らないで……」
昔からそうだ。
こっちの気も知らないで、いつもいつも……。
残念ながら俺はまだ、陽菜のようにみんなから愛される女の子の傍に居ていい人間じゃないのに。
なのにあいつは、いつも無防備なところばかり見せてきて。
「相変わらず、不意打ちは得意なんだよな……」
余裕のある男になれるのは、もっと先のことになりそうだ。
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