第26話 球技大会②
「あ、ゆーくん」
校舎裏を彷徨っていたら、背後から陽菜が声をかけてきた。
「試合、見てたぞ。お疲れさん」
「ふふっ。ありがと」
「星野さんは?」
「保健室。よほど疲れちゃったんだろうね。もうぐっすりだよ。……ゆーくんはこんなところで何してるの? ていうか、かざみんは?」
「その氷空を探してんだよ」
あの後、氷空は一人でどこかへと消えていった。
てっきりグラウンドに向かったものだと思っていたがいなかったし、もうすぐ試合時間も迫っているので探しに来たというわけだ。
「かざみん、なんかいつも探されてる気がするね」
「俺たちは別にお姫様じゃないけどな」
陽菜と二人で校舎裏を彷徨っていると、何人かの男子生徒たちが集まっているのが見えた。見たところあれはB組の生徒……さっき、星野さんにヤジを飛ばしたサッカー部の連中が三人。その前にいるのは……氷空か。
「あ、かざみ――――」
「待て」
「むぐっ」
声をかけようとした陽菜の口を咄嗟に手で塞ぎ、そのまま隠れるようにして物陰に引っ張り込む。
「お前、ちょっと空気読め」
「むがもご……ゆーくんに言われたくないよっ」
なんでだよ。空気が読める男だぞ、俺は。
「あ、ていうか、だめっ。離して」
「どうした?」
「さっき試合が終わったばかりだし…………たぶん、汗くさいと思うし……」
「別にそんなことないけどな」
確かに陽菜は一番動き回っていただけあって、汗も完全には拭いきれていない。
(……ん?)
体勢的には陽菜を背後から抱きしめているような感じ。それ故に、ポニーテールによって露出した健康的な白いうなじに思わず視線が吸い込まれる。
「…………」
何となく、俺は手に持っていた予備のタオルを陽菜に被せる。
「わぷっ。ゆ、ゆーくん? 何するのさっ」
「うるさい。それ、首から被ってろ」
「えー。どうして?」
「だから…………」
なんとなく言うのも躊躇われるが、それでも言わないとこいつは気づかないしなぁ……。
「…………うなじ」
「ふぇ?」
「だから、うなじ。隠しとけ。ポニテにしてるから周りにも見えるだろ」
どうしてだろう。
他の男子にも陽菜のこういうところを見られると思ったら……なんか、面白くない。
「ゆーくん。それってさ…………他の人に、見せたくないってこと?」
「…………そういうことになるな。自分でも、よくわからんけど」
「ふぅーん……?」
人が心配してやっているというのに、どういうわけか陽菜は、にへっと笑っている。
「そーなんだ。ふーん? ゆーくんが、他の人に見せたくないって思ったんだ」
「……なんで嬉しそうにしてるんだよ、お前は」
「別にー? あ、このタオルゆーくんのにおいがする」
「やっぱ返せ。顔がムカつく」
「だめー。これはもう陽菜ちゃんのものなのです。名前書いちゃおーっと」
「書くな!」
やっぱりタオルなんか被せるんじゃなかった。
というか何をやってるんだ俺は……本当に、自分でもよくわからん。
「……ゆーくんはさ。他に……見たいところとか、ある?」
不意に差し込まれた陽菜の言葉に、心臓の鼓動が跳ねる。
「他にって……」
「……どこでもいいよ? ゆーくんが、見たいならさ……」
さっきから心臓がうるさい。それにどうしてか、陽菜のことが気になって仕方がない。
ポニーテールから見える白いうなじ。健康的な肢体。体操着という制服よりも頼りない布地の下からは、成長した豊かな胸が存在を主張している。運動の後だからか、頬は微かに赤みがかっていて……。
「そ、そーいうこと、不用意に男に言うな」
「ゆーくんじゃなきゃ言わないよ」
「……俺だって男だろ」
「知ってる」
その言葉の意味を深く追求する前に、
「――――で、話ってなに?」
B組の男子生徒の声が、耳に入ってきた。
「……おっ、な、なんか、話が始まったみたいだな」
「……ゆーくんのいくじなし。ま、いいけどさ」
漂っていた妙な空気が途切れたことに安堵しつつ、改めて物陰から様子を窺う。
リーダー格であろう男が、やや棘のある態度で氷空を見やる。
あいつは……そういえばこの前、日直の仕事で遅れる陽菜を待ってる時に、ランニングしているのを見かけたことがあるな。
あの時にチラッと名札が見えたっけ。確か名前は……そう、田垣だったはず。
「いや。ちょっと確認しときたくてな」
「確認?」
「……さっき、なんであんなヤジを飛ばした」
声はいたって冷静だった。それでも、言葉に秘められた棘を俺は感じ取る。
「たかが球技大会だろ。テキトーに流しときゃいいじゃねーか」と、氷空。
しかし田垣を始めとするサッカー部員たちはヘラヘラとした、嘲るような態度を返す。
「なにお前。あんなの冗談に決まってるじゃん」
「だとしたらお前、冗談のセンスがねぇよ」
「はぁ? 意味わかんねー」
「あいつが足手まといだったのはジジツだろ?」
「才能ないのに頑張っちゃってさー。笑える」
明らかに星野さんをバカにしたような物言いに、氷空は微動だにしない。
俺たちの方からじゃ背中からしか見えないからどんな表情をしているのかは定かではないが。
「……そうか。よくわかった」
氷空は田垣たちに背を向けて、グラウンドの方へと向かっていく。
「ゆーくん、がんばりなよ」
「分かってる」
悪友の背中を見送りながら、俺は決意を改める。
「あんなにやる気の顔されちゃな」
☆
サッカーといっても、これはあくまでも球技大会。
人数だって一チームにつき七人前後。コートの広さもグラウンドを無理やり分割しているのでそこまで広くもない。
「氷空。相手のクラス、サッカー部員何人いたっけ」
「確か三人だったかな」
「こっちのクラスは」
「生憎と別チームに割かれてるからゼロだ」
一クラスにつきチームは二つ。
そういえば片方に戦力を集中させる作戦だったっけ。
「こりゃ辛い試合になりそうだなぁ……」
「そう悲観することも無いぞ。元からオレらのクラスには運動が出来るやつは多いし、逆に向こうはサッカー部員以外は大したことない。……それに」
珍しくしていた準備体操を終わらせた氷空は、相手のチームを静かに見定める。
冷静かつ冷徹な雰囲気を感じさせるその眼差しは、静かなる怒りを燃やしていた。
「オレとお前が組めば楽勝だ」
青空にホイッスルの音が響き渡り、B組との試合が始まった。
それと同時にB組のサッカー部員たちは一気にグラウンドの簡易コートを駆け上がる。
「上がれ! さっさとゴール決めるぞ!」
田垣は勝ちを確信して疑わないまま駆け上がり、味方からのパスを受け取ろうとして――――
「…………っ……!?」
ボールの軌道上に現れた氷空が、スムーズな動きでパスカットを成功させる。
「な……? あ?」
何が起こったのか理解できないとでも言わんばかりに硬直する田垣。
しかし、既に氷空はドリブルで突破。ゴールまでの距離を詰めていく。
サッカーは中学時代、俺の特訓に付き合ってもらった時以来だっけ。あいつ上達早くてむしろ俺より上手くなってたよなー。
「か、囲んじまえ! やっぱそいつは素人だ、一人で持ち過ぎてるぞ!」
我に返った田垣の指示で、残りのサッカー部員が氷空のもとに殺到する。
……が、彼らの足が触れるよりも前に、よそ見をしつつ氷空はボールをパスしていた。
「ノールックで!?」
「いや、そんなとこには誰も居な――――」
「――――居るんだよなぁ、これが」
言葉を交わさなくとも氷空の狙いは読めていた。
既に走り出し、敵エリアまで侵入していた俺が氷空のパスを受け取る。
「も、戻れぇ!」
サッカー部員は氷空が全員引き付けている。
数合わせたちをドリブルでサクッと突破し、左サイドから上がっていく。ブランクがあるとはいえ、流石に素人に取られるほど鈍っちゃいない。……あと、モテ度を上げる今日という
「させるか、クソが!!」
必死に走ってきたであろう田垣が戻り、俺の往く手を阻む。
こいつ意外と足早いな。それに球技大会用に分割したコートだし……狭い分、戻りも早くなったか。
「まあ、このままお前をぶち抜いてゴールを決めればモテ度が上がりそうなんだけど……」
視線のフェイクを織り交ぜつつ……ここだ。
「っ……!?」
ボールを引き寄せ、かかとを使って背後からボールを蹴り上げる。
「ヒールパス……!?」
バカめ。俺がカッコ良さげな技を習得しないわけがない。むしろこういう技ばかり真剣に練習するせいで、中学時代は部活の先輩にどれだけ怒られたことか……。
「今日は譲ってやるよ」
ヒールパスによってはじき出されたボールは弧を描き、すかさずその着地点に一人の男子生徒が飛び込んでいた。
「王子様」
俺からのパスに合わせる形で飛び込んできた氷空が、弾丸の如く蹴りだしたボールがゴールネットを揺らす。
「うそ、だろ……!?」
愕然とする田垣。その傍で俺と氷空はグータッチを交わす。
「雄太、助かった。おかげで完全にフリーでシュートを打てたぞ」
「いやいや。氷空をフリーに出来たのは、簡単なフェイントに引っかかってくれた奴がいたおかげ」
「そうか」
氷空は静かに……そして冷ややかに田垣を見下ろす。
「じゃあ、この辺を狙うか。一人足手まといがいるようだからな」
田垣の顔が青ざめていたが、そんなことで手を抜く氷空ではない。
俺たちは最終的に、十点以上の差をつけてB組に圧勝した。
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