第2話 朝

 ――――朝は決して特別なものじゃない。


 当たり前のようにやってくる、ごく普通のものでしかない。


 たとえ俺の調子がよかろうと悪かろうと、モテようとモテなかろうと等しく訪れる、ごく普通のものでしかないのだ。


「ねむ…………」


 意識が覚醒し、スマホの時間を確認。

 二度寝したいという欲求に対して俺は素直に白旗を上げたい気分だが、果たして時間という名の絶対的ジェネラルはお許しになるのだろうか。


 ……うん。まだ寝れるな。アラームが鳴るまで、少なくともまだ十分はある。


「…………おやすみ」


 もぞもぞと布団に潜り、再び夢の世界へと華麗に舞い戻る。

 さーてと。なんかはちゃめちゃにモテモテになった夢を見るぞー。


「だめだよ、ゆーくん。そろそろ起きなよ」


「お前は鬼か。それとも悪魔か」


「女の子に対して突き付ける二択じゃないよねそれ」


「第三の選択肢として『このまま俺の二度寝を見過ごして大天使に昇格する』もあるぞ。さあ選べ。今すぐ選べ。俺は寝る」


「第四の選択肢として『このままゆーくんを起こして正統派幼馴染イベントをこなす』を選ぶよ」


「なんだそのバグ技……ぐえっ」


 人が布団でぬくぬくと丸まっていると、陽菜がその布団の上から馬乗りになってきやがった。ベッドがぎしっと軋む音が聞こえてくると共に、腹の辺りに仄かな重みが圧し掛かる。


「さあ起きろー。でないと、ゆーくんは私のお馬さんになっちゃうよ」


「そんな屈辱があるかよ……!」


「屈辱はひどくない……?」


 しゅんとするぐらいなら最初から乗るなよ。何回言えば分かるんだお前。


「……あ、言っとくけど『重い』は禁止だかんね」


「フッ……やれやれ。忘れたのか? 俺はモテるために努力を重ねる男。その辺の配慮は心得てるさ」


「なのに何でそんなに鈍いんだろうね。びっくりだよ」


「誰が鈍いだ。むしろ天上院学園で最も鋭い男という自信がある」


「だとしたら相当な自信家だよね。ゆーくんの自信だけでマイホームが建っちゃうよ」


「良いことじゃないか。自信はモテ男への第一歩だぞ。そうだな……いっそ、ミスター・シャープ・ユウタと呼んでくれ」


 ……あれ? なんかミドルネームっぽくてかっこよくね? これはモテるかも!


「ゆーくん」


「話聞いてた?」


「聞いてほしいなら起きなよ。私が起こさないと、ゆーくんアラームも無視して寝続けるでしょ」


「はいはい……どっちにしろ、もう眼が冴えちまったよ」


 話していたら安眠が妨害されてしまったので、しぶしぶといったていで上半身を起こす。その際、邪魔なのでついでに小柄な陽菜の身体を掴んで持ち上げた。


「ひゃっ」


「それにしても相変わらず軽いなー、お前。ちゃんと飯食ってる?」


「た、食べてるよっ……おろしてー!」


「じゃあ乗るな。何度も言うが、勝手に乗るな」


 陽菜を下ろしつつ、俺もまたベッドから降りる。陽菜の仕業か、カーテンと窓は開かれており、温かな日差しと春のそよ風が隙間から差し込んできている。


 ……相も変わらず、いつもと変わらない朝だ。至って普通の朝。


「はぁ……スマホのアラーム、ロクに機能した覚えがないな」


「ゆーくん、基本的にアラームで起きないもんね」


「アラームが鳴る前にお前が起こしに来るからだろ」


「私、えらい!」


「えらくない!」


 おかげで貴重な睡眠時間が削られてるんだぞこっちは。


「いくら住んでるマンションが近いとはいえ……お前も毎朝よく来るよなぁ……しんどくないのか?」


「慣れだね、慣れ。ルーチンワーク」


「仕事かよ!?」


「ゆーくんを起こすだけの簡単なお仕事です。えへん」


 言いながら、陽菜は小柄な体格の割に豊かに育った胸を張る。しかし、それから何かに気づいたらしい。はっとしたように目を開くと、頬を微かに赤く染めながら自分の指をいじりはじめた。


「……ね、ねぇ。ゆーくん」


「なんだ」


「えっと……ね? 私、思ったんだけどさ。いっそこのお仕事に、永久就職しちゃおうかなー……なんて……」


「うわっ……こんなにもアクロバティックに人生捨てようとしたやつ初めて見た……」


「ひどっ!?」


「いや、酷いのはお前の人生設計だろ。むしろ設計段階から欠陥に気づけたんだから感謝してほしいぐらいだわ」


 幼馴染の腐れ縁というやつじゃあないが、こいつには道を踏み外してほしくはない。


「むー……私が起こすのをサボると遅刻するくせに」


「ちょっと悪いぐらいがモテる秘訣なんだよ」


「それが成果にあらわれてますか?」


「お前なぁ! 真実ってのは時として人の心を木っ端みじんに吹き飛ばすことだってあるんだぞ!」


 ――――ピピピピピピピピ。


 と、俺のガラスのハートが吹き飛んだ辺りでスマホからアラームの電子音が鳴り響いた。

 こいつと喋ってるうちに十分経ったらしい。


「……お前は起こしに来たのか、朝の貴重な時間を削りに来たのか、どっちなんだ」


「えへへ……面目ないです」


「まったくだ」


 スマホのアラームを止めつつ、すっかり覚めた頭で窓から入り込んできた春の空気を肺に送り込む。それから軽く上半身を捻ったり、腕を伸ばしてみたりして。


「……お前、俺をダメ人間にでもする気か」


「ほぇ? なんで?」


「なんか、お前に起こしてもらわないと朝の調子が出なくなった気がする」


「そ、それって……どういう意味?」


「どうもこうもないだろ。お前が起こさないと俺が遅刻する身体になったのは、お前にも責任があるってことだ」


 身体の調子が出ないと、起き上がるのも一苦労になるわけで。

 残念ながら朝の俺はその一苦労に抗えるほど強くはないのだ。

 眠気に襲われたら光の速さで白旗を上げることだろう。


「……いっそ、お前に責任とってもらうか」


 なんて。冗談交じりに言ってみたら、陽菜は顔を真っ赤にしていて。


「逆就職ってこと!?」


「なにそれ」


 初めて聞く単語をぶち込まれてしまった。


「そうだよ……逆にゆーくんが永久就職すればいいんだ! その手があるなんて思わなかったよ!」


「どの手だよ」


「私、がんばってゆーくんを養うね!」


「何がどうなってそうなった!?」


「だいじょうぶっ! お金ならあるから!」


「実家の金を惜しみなく使おうとするな!」


 それからまた、陽菜が正気を取り戻すのに五分の時間を要することになり、俺は慌ただしく朝の支度に追われることになった。


 ――――朝は決して特別なものじゃない。


 この幼馴染と過ごすこの慌ただしい朝も、俺にとっては当たり前のようにやってくる、ごく普通のものでしかないのだ。



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