第5話 ジャンケン
「じゃーんけーんぽんっ!」
陽菜が口にした『ぽんっ!』のタイミングで、俺たちは同時に思い思いの『手』を出した。
直後、俺が繰り出した渾身のパーは、陽菜が繰り出したチョキによって真っ二つにされる。
「やったー! 勝ったー! プリンもーらいっ」
無邪気な勝利者は、我が家のリビングのテーブルに奉納された最後のプリンを躊躇なく手に取っていく。それを咎める権利は、敗者となった俺にはもはや無い。
ソファーに力なく腰を埋めつつも、隣でプリンを食している幼馴染の姿をただ眺めていることしか出来ないのだ。
「んー。おいしー!」
「おい。そんなもん、スーパーに売ってる安物だろうが。お嬢様はもっとお高いプリンでも食ってりゃいいものを……」
「甘いね、ゆーくん。勝者となって食べるプリンは格別なんだよ」
どや顔でそんなことを言われても敗者たる俺には分かるはずもない。
「それにさ…………ゆーくんと一緒に食べるなら、なんでも美味しいんだよ?」
「一緒も何も、最後の一個はお前しか食ってないだろうが」
「そーゆーことじゃなくて!」
じゃあなんなんだよ。
(くそぉ……母さんが毎回プリンをパックで買ってくるから、ジャンケンをするはめになるんだ……)
母さんが行きつけのスーパーで買ってくるのは、いつも三個入り一パックのプリンである。本人曰く「陽菜ちゃんも食べるでしょ?」らしいが、おかげで毎回一つ余る。余ったらどうなるのかというと、最後の一つを食す権利をかけてのジャンケンが行われるわけなのだが。
「……なあ。毎回思うんだけどさ、勝負の方法にジャンケンを選んでる時点で卑怯じゃね?」
「はむはむ。どーして?」
「陽菜って、ジャンケンで負けたことないだろ」
陽菜は勘が良いからか、ジャンケンが異様に強い。
少なくとも俺は、こいつが負けたところを見たことがないぐらいだ。
「んー……確かに、あんまりないかも」
「お前みたいなジャンケンをするために生き、ジャンケンをするために生まれてきたジャンケンマシンと戦うなんて、無理無茶無謀もいいところだろ」
「誰がジャンケンマシンなの」
言いつつ、陽菜は食べ終えたプリンの容器をゴミ箱にすてる。
「えー。じゃあ、どうすればいいのさ」
「……お前、これからも我が家のプリンを食っていく気か?」
まあ、母さんもそれ前提でプリンを買ってきてるところがあるけど。
「いっそのこと十回勝負とかにする?」
「おいおい。流石にそれは舐めすぎだろ。男としてのプライドってやつが許さねぇな」
「一回でも勝てたら、ゆーくんの勝ちでいいよ」
「勝負だオラァ!!」
「男のプライドはどこへ行ったの……?」
「やつなら簀巻きにして海に沈めたよ」
「わー。かわいそー」
勝てる! 流石に十回もやれば、いくらなんでも一回ぐらい勝てるはず!
ふふふ……無敗故の奢りと慢心が招いた結果が油断に繋がるんだ。お前の無敗神話を粉々に打ち砕いてやる!
「せっかくだ。『負けた方は、勝った方の命令をなんでも一つ聞く』って条件をつけるのはどうだ?」
ちなみにこれは相手の動揺を誘うためのものである。勝負は既に始まっているのだ!
「おぉー、強気だねー。ま、私はいいけどさ」
「これまで何回負けて何個のおやつを獲られたと思ってる。その恨み、まとめてはらしてやるぜ!」
「ゆーくんに何をお願いしよーかなー」
愚かな。取らぬ狸の皮算用とはまさにこのことだ。
現実ってやつを教えてやるしかないな……。
「いくぞぉ!」
「「じゃーんけーん……」」
ポン!(惜敗)
ポン!(連敗)
ポン!(完敗)
ポン!(惨敗)
ポン!(劣敗)
「こんなテンポ良く五連敗することってある!?」
「あっちゃったねぇ」
十秒で残りライフが半分になった。つまり二秒に一回負けてることになる。
「ゆーくんジャンケンよわーい」
「お前が強すぎるんだよ!」
「言い訳なんて、女の子からモテないよ?」
「うぐっ!」
こ、こいつ痛いところを突いてきやがって……!
いやしかし。言い訳の件はともかくとして、こんなにもジャンケンが弱い男って、もしかして……モテないのでは!?
(これはますます負けられねぇ……! 俺がモテ男になるための試練だ……! きっとそうに違いない……!)
そしてこれは今まで奪われていった俺のおやつたちの仇討ちでもあるのだ。
「疲れたし、ちょっと休憩しよーっと」
「おい。なにしてんだ」
「えへへー。ゆーくんに膝枕してもらってるの」
陽菜はソファーの上でごろんと寝転ぶや否や、勝手に人の膝を枕にしてきた。
放課後すぐ我が家に寄ってきたので、制服姿のままでこんなことをされると、見た目はかなりあられもない。今は俺しかいないからともかくとして、普段からこんなことしてるんじゃないだろうな……。
「こら。スカートなんだからそういうことするのやめろ。ジャージ穿きなさい、ジャージ」
「膝枕するのはいいの?」
「お前はどっちにしても来るだろ」
「せいかーい」
伊達に長年、幼馴染をやってはいない。
「………………すぅ……」
「もしかして寝る気か!?」
「ゆーくんの膝、なんかあったかくて気持ちいんだよねー……眠たくなっちゃう」
「ふざけんな。動けなくなるだろうが」
「えへっ。無理やり退かそうとしないところ、好きだよ。ゆーくん」
「じゃあ起きろ。そもそもジャンケンの途中だったろうが」
「えー……なんかもうよくない?」
こいつ絶対に負かしてやるからな。
「ゆーくんはさ……えっと。そこまでして、私にしてほしいことがあるの……?」
陽菜は相変わらず俺の膝の上で寝転びながらも、どこか恥ずかしそうに視線を向けてきた。微かに潤んだ瞳は期待感のようなものが滲んでいる。
「ゆーくんがしてほしいことがあるならさ……別にこんなことしなくたって……私、するよ……?」
「いや。とにかく今はお前を負かせることしか考えてない」
「……あ、そう」
なんか露骨にガッカリされたんだけど。
「とにかく起きろ! もっかいやるぞ!」
「はいはい」
と、改めて仕切り直してみたはいいものの。
突撃したところでまた十秒で五連敗してしまうだけだ。
何か策がなければ二の舞になってしまう。
「陽菜。俺は次に、グーを出すぞ」
盤外戦術による心理戦。
定番ではあるが、効果的な策であることは間違いない。
「ゆーくんがグーを出すなら、私はパーを出そうかな」
フッ……なるほど。そっちも心理戦を仕掛けてきたってわけか。
だがな、甘いぞ陽菜。俺がそんな手に乗ると思っているのか?
「もし私がパー以外を出したら、その時点で私の負けでいいよ」
なん……だと……? これもブラフか?
いや、しかし本当にパー以外を出したらその時は指摘されるだけ……。
シラを切り通すつもりなのか?
「だって、ゆーくんはグーを出すって言ったもんね。嘘をついて女の子を騙すなんてモテそうにないこと、しないもんね」
「えっ」
「それじゃあいくよー! じゃーんけーん」
「あっ、ちょっ」
「ぽんっ!」
陽菜の手はパー。そして俺の手は……見事にグーを繰り出していた。
「ぐああああああああああ! しまったぁあああああああ!」
モテそうにないと言われて、身体が反射的に……!
「あははっ。ゆーくん、自滅しちゃってる。可愛いねー」
「くそぉ……! 卑怯な手を使いやがってぇ……!」
「小細工なんか仕掛けるからだよ。まさに『策士、策に溺れる』って感じ?」
「だったら今度こそ正面からぶち破ってやる!」
その後、一瞬にして三連敗を喫してしまった俺は、とうとう九連敗と追い詰められてしまった。
「お前マジで強すぎ……」
「えへん」
肩を落とす俺に対し、無駄に豊かな胸を張る陽菜。ドヤ顔も何気に腹立つな。
もうこちらの万策はとうの昔に尽きている。
潔く
「じゃあラストな……じゃーんけーん」
ポン。
「あれ……?」
俺の手はチョキを出しており、陽菜の手はパーを繰り出している。
つまり。
「勝った……?」
しかし腑に落ちない。こんなにアッサリと。
確かにジャンケンなんて確率とか運が絡むものとはいえ、あんまり納得できないというか………………もしかして。
「陽菜。お前、わざと負けただろ」
「えへっ。バレちゃった?」
「そりゃあな。何年幼馴染やってると思ってるんだ」
ただ、なぜそんなことをしたかまでは分からないけど。
「なんでわざと負けた。勝ったら命令できたのに」
「だってさ。気になるじゃない?」
隣に座る陽菜は、俺の肩に頭を預けてくる。
……どこか甘えているように見えるのは、気のせいだろうか。
「ゆーくんが、私にどんな命令をするのかなーって」
「そんなことのためだけに?」
「私にとっては気になることだもん」
「……お前は命令したいこととか、あったんじゃないのか」
「そうだねー。……ゆーくんと、どこかにお出かけしたかったかも」
「お出かけねぇ……お前好きだよな、外出るの」
「うん。好き」
陽菜の手と、俺の手が重なる。お互いの温もりが傍にあることを確認するように、手を握り合った。
「ほら、私さ。ずーっと昔……ゆーくんと会う前は、天堂の本家にずっと閉じ込められてたから。だから嬉しいんだ。外に出て、自由にどこかへ行けるのが」
これから先、ゆーくんと出かける機会はいくらでもあるもんね、と陽菜は笑って。
「そうか……そうだったな……」
出会った頃の陽菜を思い出す。
あの頃の陽菜は、今みたいに明るくはしゃいでいるような子供じゃあなかったな。
「……………………」
……ま、別にいいか。
「陽菜。さっそくだが命令だ」
「ん。なーに?」
「…………次の休み、どっか一緒に出掛けるぞ」
言うと、隣で陽菜が目を丸くする。
その視線にちょっぴり照れくさくなって、俺は逃げるように目を逸らした。
「だから、アレだ。行き先を考えとけ。それが命令だ」
「りょーかいです」
付け足したような俺の
……目を逸らしていたから、顔は見えなかったけど。
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