第18話 幼馴染と過ごす朝

「ふっふっふー♪ ゆーくん、おっきろー♪」


 今日の目覚めは、やけに機嫌の良い陽菜の声から始まった。


「ふわぁあ…………どうした。なんか……すげぇご機嫌だけど……」


「よくぞ訊いてくれました!」


「そりゃ人が気持ちよく寝てるところに布団をはぎ取るなんていう悪魔の所業を笑顔でされたら訊くだろうよ」


「なにさ。こんなにもカワイイ幼馴染に対して悪魔はないでしょ」


「じゃあカワイイ悪魔さんよ、さっさと布団を返してくれ」


「悪魔は余計だよ! …………えっ?」


 ぽとり、と陽菜の手からはぎ取った布団が床に落ちた。


「ゆ、ゆーくん。今、『カワイイ』って言った……?」


「……言ったけど。それがどうかしたか」


「そ、そのカワイイって私のこと? ……あっ! 分かった! そこにある壁の染みがカワイイってオチなんでしょ!」


「んなわけあるか! むしろその壁の染みは寝るときにちょっと意識しちゃって不気味なぐらいだ!」


 明るい時は平気だが、暗くなると本当に不気味なんだよ。ポスターか何かを張って隠そうかと思ったけど、そのうち染みがどんどん広がって大きくなって……とか想像してやめたぐらいだ。


「だから……お前のことだよ。何か文句あるか」


「べ、別に文句なんてないけど、さ……ど、どーしたの? 急に……」


「どーしたもこーしたもあるか。……お前は客観的に見てカワイイだろ」


 少なくとも告白されまくるぐらいには、と口にしようと思ったけど寸前のところで飲み込んだ。


「客観的って……ゆーくんも、そう思ってくれてるの?」


「……じゃなきゃ言わねーよ。嘘をつく意味もないし。何なら幼馴染として太鼓判でも何でも押してやる」


 前々から分かっていたことだし、知ってもいたことだ。……けれど、最近は特にそう思うようになった。


「そっかー。ゆーくん、カワイイって思ってくれてるんだー。私のこと、カワイイって……えへへ」


 陽菜は、ふにゃりと柔らかそうに笑顔を綻ばせる。

 ……何度も言われるとこっちが恥ずかしくなってきた。


「そ、それよりだな」


「あ、話題逸らした。ねー、ゆーくん。もっと言ってよー。『カワイイ』、ぷりーず!」


「うるせー! むしろ、先に質問したのはこっちだろーが! ほら、さっさとお前が機嫌の良い理由を話せ!」


 話題逸らしというのは図星ではあるものの、陽菜が今日ほど機嫌が良い日も珍しい。その理由が気になるというのもまた本心だった。


「ふっふーん。実はねー、なんと! 今日はパパとママが帰ってくるの!」


 陽菜の両親はあの天堂グループのトップにいるだけあってかなりの多忙だ。

 昔は我が家との交流も活発だったものの、今では家に帰ることも珍しくなってしまった。陽菜の父親が経営者として中々のやり手だったようで、ここ数年の天堂グループの業績は一つの壁を越えたとでも言わんばかりに伸び続けていることも大きい。


「へぇー。珍しいな。めちゃくちゃ忙しいって聞いてたのに、時間取れたんだ」


「なんか、予定がいくつかまとまってリスケしちゃったらしくてさ。すごい偶然だって本人たちも驚いてた!」


 両親の予定を語る陽菜の顔は生き生きとしていて、いつもよりちょっと子供っぽい。

 だけどそんな無邪気さも喜びの裏返しであり、それだけ陽菜も心待ちにしているのだろう。


「……良かったな」


 陽菜がいつも家に帰れば一人なことは知っている。

 自分の為に色々と動いてくれている両親に迷惑をかけまいと、ワガママを言わないようにしていることも。


 だからこそ、今は飾る必要のない率直な言葉をかけてやりたかった。


「……うんっ!」


 その笑顔は、お日様のように輝いていた。キラキラしていて、こっちまで元気も貰えるような。


「いつ帰ってくるんだ?」


「十九時ぐらいだって。えへへ……だからね、今日は私が晩御飯を作ってあげるんだー♪」


「ほー。そりゃ頑張らないとだな。……あ、張り切って料理を焦がすなよ? おじさんとおばさんが帰ってきた時、スプリンクラーで部屋が水浸しになってたらあまりにも悲惨だからな」


「そんなことしないよっ! 私、料理ぐらい出来るんだからねっ!」


 なまじ一人暮らしをしているおかげか、陽菜の料理スキルは結構高い。

 たまに俺の分のお弁当だって作ってくれることもあるし、去年のバレンタインはチョコレートケーキを作ってきてたっけ。


「ゆーくんもさ、今日はご飯食べに来なよ」


「いいのか? せっかくの家族水入らずに邪魔しちゃ悪いだろ」


「いーのいーの。どーせたくさん作るし、ゆーくんは家族みたいなもんだってパパとママも言うだろうし」


 と、そこで陽菜は何かに気づいたように、はっとする。


「…………いっそ、外堀から埋めれば……?」


「外堀? 誰の?」


「あー…………でも意味ないかー……当の本人が鈍すぎると埋められていると認識してもらえないかも……」


「無視かい」


 あと何気に失礼なことを考えられている気がする。


「……ま、ともかくだ。俺はやっぱり遠慮しておくよ」


「えー。別にしなくていいのにー」


「するっての。……滅多に会えないんだろ。だったら、今日は存分に甘えてこいよ」


 いくら家族同然の付き合いのある幼馴染とはいえ、俺がいたら陽菜が素直に甘えられない可能性があるからな。


「お前のことだ。俺がいたら、恥ずかしくなっておじさんとおばさんに甘えられないかもしれないからな」


「そ、そんなことっ! ………………………………ある、かもだけど」


「まったく……大方、久々に会うからちょっと緊張してんだろ。それで俺を引っ張り出そうとしたわけだ」


「うぐっ。そ、そこまでお見通しだなんて……」


「こっちは伊達にお前の幼馴染をしちゃいないんだ。これぐらいのことはお見通しだっての」


「あうっ」


 軽く額を突いてやる。陽菜はちょっぴり悔しそうな表情を滲ませた。


「むぅぅ……なんか、今日のゆーくん、大人っぽいかも」


「はっ……! まさか、俺の気づかぬうちにオトナの男としての磨きをかけてしまっていたのか……!? やれやれ。自分の才能が恐ろしいぜ……」


「あ、ごめん。気のせいだったみたいだから恐ろしがらなくていいよ」


 上げて落としやがった! やっぱこいつ悪魔じゃないかよ!


「……でも、そうだね。今日は、私だけでパパとママに会ってくるよ」


「そうしろ。……おじさんとおばさん、帰りはいつになるんだ?」


「明日の朝。ちょうど、私たちの登校時間と同じぐらいかな」


「なら俺は、その時にちょっと顔出すよ。久々に挨拶しときたいし」


「うん。ゆーくんが来てくれたら、きっと二人も喜ぶと思うよ」


「そういえばお前、今日は晩御飯作るんだろ。食材の買い出しとかしなくていいのか?」


「するよー。放課後は、スーパーに向けて全力ダッシュの予定」


「じゃあ俺も付き合うよ。大荷物になるんだ。男手があった方がいいだろ」


「ほんと? 助かるー」


 それから、今日一日の陽菜はずっと楽しそうだった。それに加えてどこかソワソワとしている。まるでプレゼントを心待ちにしている小さな子供のようで。


「今日の陽菜ちゃん、ご機嫌だな。何かあったのか?」


「両親が久々に家に帰ってくるんだよ」


「へぇー。それで……。あんなにもはしゃいだ陽菜ちゃんって珍しいから何事かと思ったけど、なるほどね。これは当分、一年生からの告白ラッシュが加速しそうだ」


 氷空の言わんとすることは何となく俺にも分かった。

 年相応にはしゃぐ陽菜の姿は、なんていうか……魅力的だったから。


「ゆーくん、ゆーくん! ほらほら急いで! 放課後だよっ!」


「分かったからちょっと待て。スーパーは逃げねぇし、時間だってまだあるだろ」


「そうとは限らないでしょ! もしかしたら突然、変形合体して巨大ロボになったスーパーが外宇宙に旅立つかもしれないじゃん!」


「旅立つわけあるか!! スーパーにどんな無茶振りしてんだお前は!」


 急ぐ陽菜を追いかけるように、二人でスーパーまで走った。


「えっとねー。昨日、何作るかたくさん考えたんだー。時間がないから、あんまり凝ったものは出来ないけど。どうせならたくさん作りたいし……効率よく動かないとねっ」


 スマホのメモ帳にはびっしりと、購入する食材のリストが入力されていた。珍しく夜更かしして考えていたのだろう。


「そのリスト俺にも送ってくれ。手分けしてパパっと買っちまおう。その方が時間の短縮に繋がるだろ」


「ゆーくんありがとっ! ……はい、これお願いねっ!」


 肉や野菜などの自分の目で見て選んだ方がいい食材は陽菜に任せ、それ以外のものは俺が店内を駆け回ってカゴに詰めていく。

 その後、いっぱいになったエコバッグを持って陽菜の家へと駆け足で向かい、エレベーターに乗り込んだ。


「はぁ、はぁ……本当にありがとね、ゆーくん。助かったよ」


「別にいいよこれぐらい」


「あ、そーだ。お礼ってわけじゃないけどさ、作った料理を取り分けて、ゆーくんにもおすそわけしてあげるね」


「ん。楽しみにしとく」


「えへへ。楽しみにしときたまえ!」


 エレベーターが指定の階に到着する。そのまま陽菜の住んでいる部屋。今日、両親が帰ってくるであろう部屋の前までたどり着いたところで、荷物持ちの出番は終わりを告げた。


「……頑張れよ」


「うんっ! がんばるっ!」


 扉が閉まるまでの刹那。

 陽菜が見せていたのは、太陽のようなとびきりの笑顔だった。


     ☆


 家の時計の針が十九時を回った。

 恐らく今頃、陽菜は久々の家族水入らずの時間を過ごしていることだろう。


「どうしたの雄太。さっきからじろじろ時計なんか見ちゃって」


 夕食をとりながらも無意識の内に、リビングの時計を何度も見ていたらしい。

 テーブルを挟んだ向かいに座っていた母さんが怪訝そうな顔をしている。


「ん? いや、そろそろ陽菜も飯食ってる頃なのかなーって」


「ああ、そういえば今日は帰ってくる予定だったのよねぇ……陽菜ちゃん、ガッカリしてるかも」


「……ガッカリ?」


 うちの母親は変なことを言う。いや、そりゃあ陽菜に我が家への勝手な出入りを許可するぐらいには変なことを言う人だけれど。


「ガッカリはないだろ。むしろ楽しみにしてたぞ、あいつ」


「……そういえば、あんたに言ってなかったっけ」


 母さんは食事の手を止めて、


「陽菜ちゃんのお父さんとお母さんね。二人とも、今日は帰れなくなったのよ」


「…………帰れなくなった?」


「そ。緊急の予定が差し込みで入ってきたらしくてね。残念がってたわ」


 ……なんだそれ。


 緊急の予定? 差し込み?


 意味がわかんねぇ。


「……じゃあ、陽菜は?」


「たぶん……一人じゃないかしら。今日はうちでご飯食べてかないかって、電話で誘ってみたんだけどね。断られちゃったのよ」


 母さんの言葉をマトモに聞けたのは、そこまでだった。

 気が付いた時には、自分でも信じられないぐらいに身体が勝手に動き出していた。食べかけの夕食をサランラップで包み込み、そのままてきとうな財布と上着を引っ掴んで玄関で靴を履いていた。


「ごめん、置いといて。あとで食べるから」


 それだけを言い残して、俺は家を飛び出した。


 建物の隙間から見えるタワーマンション。今にも天の頂まで届きそうな、現代のお城に向けて。


 俺は理屈ではなく、理屈に表せそうにもない想いに衝き動かされながら。


 あの大きく広いお城に一人で居るであろう幼馴染のもとへ一秒でも早く駆け付ける為に、わけも分からず走り出していた。

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