第19話 幼馴染と過ごす夜

 夜の道をひたすら走った。周りの夜景が閃光のような細い線になって過ぎ去ってゆく。

 伊達にモテるために鍛えてはいないおかげか、天堂家のあるタワーマンションにはすぐにたどり着いた。


「はぁっ、はぁっ、はぁっ…………うえっ」


 これまで何度か陽菜の家には走っていったことがあるけど、もしかすると今日は最速記録を叩き出したかもしれない。

 というか、ちょっと吐きそう。あと横っ腹も痛い。さっきまで飯食ってたのに、急に全力疾走してたら当然の結果ではあるのだけれど。


「…………っく」


 全力で夜道を走り切った身体は酸素を欲していたが、それよりも先にオートロックのエントランスにあるパネルから部屋番号を入力して、インターホンで呼びかける。


「……はい」


「……陽菜。俺だ」


「ゆーくん? どうしたの、こんな時間に」


 改めて質問されると……特に言えることもない。

 なんでここまでして必死に走ってきたのか、自分ですら上手く説明することが出来ないのだから。


「……なんでもいいから開けてくれよ。ここで立ち話してたら、他の人に迷惑がかかる」


「はーい」


 ロックが解除され、昼間に利用したのと同じエレベーターに乗り込む。

 扉が開くと心なしか速足で、天堂家の家まで乗り込んだ。鍵は……開いている。そのまま一気にドアノブを捻り、玄関で靴を脱ぐとリビングまで立ち入る。


「いらっしゃい」


 陽菜はソファーに座っていた。テレビはついているものの、恐らくてきとうなチャンネルの番組を流しているだけだろう。別に見ていたわけじゃないはずだ。

 テーブルの方には三人分の食事。お皿に盛られたのは色とりどりの料理たち。もうすっかり冷めきってしまっており、手は一切つけられていなかった。


「いやー。ゆーくんがうちに来るのって久々だよねー。……っていうか、ホントこんな時間にどうしたの? いつもならもう、晩御飯食べてる時間じゃなかったっけ。ダメだよー? ちゃんと帰ってあげなくちゃ。ゆーくんママ、ご飯作って待ってるんだからさ」


 何事もなかったかのように。

 陽菜は微笑みながら、いつもの調子で話しかけてくる。


「……母さんから聞いた。おじさんとおばさん、帰ってこれなくなったんだってな」


「あー……みたい、だね。あはは。残念だよねー、ホント」


 ……くそっ。なんだよ。なんだその顔は。

 表面上だけ取り繕いやがって。何にも可愛くねぇぞ。


「あ、でもさでもさ。画面通話でお話ししたんだよ! 二人とも、すっごい謝っててさー。参っちゃったよ。お仕事なら仕方がないのにねー。それに私、もう高校生だし。親が帰ってこないぐらいで寂しがるお年頃じゃないし。むしろ喜ぶべきって感じだよね。パパとママのいない隙に、好きにゴロゴロし放題だもん!」


 楽しみにしてたんだろ。朝からあれだけ楽しみにしてただろ。買い物して、料理もたくさん作って、待ってたんだろ。

 なのに急な予定が入ったとかで、待ってたはずの人は帰ってこれなくなって。


「実はこれから宴を開く予定だったのだ。ふっふっふっ……幼馴染のよしみとして、ゆーくんの参加も認めてしんぜよう! ほらほら、お菓子にジュースも準備万端! せっかくだし映画とかも見て、夜更かししちゃおーよ! ゆーくんも共犯者だよっ!」


 ――――傷ついてることがバレバレなんだよ。バカ陽菜。


「……腹減った」


「ふぇ?」


「だから、腹減った。なんか飯くれ」


「だから、ここにお菓子とジュースが……」


「そんなんで足りるか。男子高校生の胃袋舐めんな」


「……ゆーくん、この時間ならもう晩御飯食べてるでしょ?」


「食べてない」


「えー……? なんか嘘っぽい……」


「俺が食べてないって言ったら食べてないんだよ。あー、腹減った。腹が減りすぎて今にも死にそうだ。……おっ、なんか美味そうなご馳走を見つけちまったなー」


 反論を許さぬまま椅子を引っ掴み、空席を一つ埋める。


「……もう冷めてるよ」


「いいよ別に。言ったろ、俺は腹が減りすぎて死にそうなんだ」


 とりあえず皿に盛られているコロッケに箸を伸ばす。口の中で噛んでみると、濃厚なカニクリームが広がった。……うん。


「冷めても美味いじゃねーか。これでいいよ」


「あー、もうっ。ちょっと待ってて。温めるから」


 とりあえず片っ端から胃袋に詰め込んでいく。捨てられる前に一つでも多くを。

 ……分かってる。本当は俺に食べさせるためのものじゃないってことぐらいは。

 それでも、このまま捨てられるぐらいなら、俺が食べた方がマシだ。誰かに食べてもらって、


「美味しいよ」


 陽菜はきっと、こう言ってほしかったはずだから。


「…………ゆーくんは、優しいね」


「食い意地が張ってるだけだ」


「ふふっ……そういうことにしといてあげる」


 それから俺はひたすら食べまくった。……が、男子高校生の底なしの胃袋にも限界はあったらしい。ものの数分も経たないうちに箸が動かなくなってしまった。


「ほらやっぱり、家で食べてきてた」


「う、うるせー……食べてないって……うぷ……言ってるだろ」


「やせ我慢しちゃってさー。ほら、どいて。お皿回収できないから」


「おま……捨てるぐらいなら……俺が……」


「そんな勿体ないことしないよ。タッパーに入れて、明日のお弁当のおかずにすればいいし」


 完全にダウンした俺をよそに、陽菜はテキパキと残りのおかずを手際よくタッパーに詰めていく。

 その間、俺は特にやることもないし、マトモに動けそうになかったのでソファーに横たわることにした。


 流石に疲れた……というか何がしたかったんだ俺は。


 いきなり全力疾走で陽菜の家まで来て、限界まで陽菜の手料理を食べまくって、その挙句に動けなくなっているのだから。


(ホント、なんでだろ……ワケわかんねー……ちょっと寝よ……)


 心地良い疲労感と満腹感に包まれながら、瞼を閉じて意識を沈める。


 ……それから、どれぐらいの時間が経っただろうか。


 気づけば俺は後頭部に柔らかい感触と温もりを感じていた。

 それだけじゃない……なんだろ。このリラックスする感じ。

 身も心も、全てを委ねたくなるような……。


「ん…………」


 一度閉じた瞼を上げる。

 視界に入ってきたのは、美しい金色――――。


「……あ。ゆーくん、起きた」


「陽菜…………?」


「急に寝ちゃうんだもん。牛さんになっちゃうよー」


「ほっとけ」


 というか、なんだ。なんで陽菜の顔が見えるんだ。


「えへへ。せっかくだから、膝枕しちゃった」


 後頭部の感触は、陽菜の太ももか。確かにこれは、俗に言う膝枕というやつらしい。


「……なんでこんなことしてんだ」


「んー……なんとなく?」


「なんだそりゃ」


 なんとなくで膝枕をするもんかね。俺にはよく分からんが。

 ひとまず起き上がり、改めて陽菜を見ると、パーカーにショートパンツといった組み合わせのナイトウェアに身を包んでいる。


「……着替えたのか」


「ん。お風呂入ってきたからね」


「ようやく自分の家で風呂に入ったか……感慨深いな」


「いつも入ってるよ」


 言われてみれば確かにシャンプーの香りが漂ってくる。

 風呂から上がったばかりなのだろうか。

 あー、俺もそろそろ風呂に入って寝なきゃなー……。


「……って、もうこんな時間かよ!?」


 リビングの時計は既に午後十一時を回っている。どうやら思っていたよりも眠ってしまっていたらしい。


「やべっ! 早く帰らないと、母さんに叱られる……!」


「あー、大丈夫。ゆーくんママには私の方から連絡入れといたから」


「今日ほどお前を幼馴染に持って感謝した日はない」


「出来れば普段からもっと感謝してほしいよね」


 じゃあ慌てて帰らなくても良いというわけか。……ま、だとしても早めに帰った方がいいな。明日は学校があるし。


「……そんじゃあ、俺はそろそろ帰るわ。邪魔したな」


 そうして、リビングから出て行こうとする俺のシャツの端を、陽菜の指がつまんだ。


「待って」


「何か用事でもあるのか?」


「そうじゃなくて……えっと。もう遅いでしょ? だから……」


 陽菜は躊躇いがちに。僅かに揺れた瞳の、上目遣いで。


「今日はさ……うちに泊ってかない?」



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