ボーイとびんご 3

「お、ご」


 ゴミが入ったのをはるかに上回る痛み、左手で押さえる眼球より溢れるのは涙ではない液体、感覚だけでも永遠に光が失われたと自覚できた。


 だけどもボーイの脳裏には痛みよりもダメージよりも失明よりも、疑問が勝っていた。


 質問に応えなければ誰であっても不幸が襲ってくる。


 仮説は正しいはずだ。しかし実際は、応えなかったファルコは無事で、質問していた方のボーイが片眼を潰されている。


 理不尽、不条理、何よりもそれを狙ってやっているらしいファルコの、一周回ってただ仮面を張り付けているかのような笑顔に、ボーイはいら立ちを感じ続けていた。


 それでも考えをまとめようとするところに、無情にもファルコはガスガスと進み出た。


「うむ! 困っているようだな!」


 見てわかることをわざわざ口に出すのは挑発か? あるいは呪いの発動条件か?


 疑心暗鬼の中、それでもボーイは闘志を忘れず、足元のエレクトロカーペットを忘れていない。


 瓦礫の間を途中まで伸ばしたコード、届かなかった距離を今度はファルコの方から詰めてきてくれている。


 その距離、後四歩、三歩、二歩、残り一歩で間合い、飛び出し巻き付け足払い、できる距離だというのに、ファルコはピタリと足を止め、少し考えた後に方向転換、わざわざ遠回りするルートを選び直す。


 何故見破られたのか、これも不運か、迷いに近い思案の中、ファルコが左手をボーイの死角へと突き出す。


「ところでこの指何本に見える?」


 質問、応えなければと咄嗟の判断、見えない左目どかして見える右目を前に、その動作でふらついたボーイへ、ファルコが突っ込んできた。


 いきなりの急加速、色々考えなしの体当たり、三本だった左手を引っ込め折りたたんでのぶち当たりに、ボーイができることは腕を畳んで防御の姿勢に入ることだけだった。


 激突、吹っ飛ばされて衝撃、受け身に突いた右手はエレクトロカーペット本体の上、しこたま打ち付けたケツが痛いがこぼれる左目はなお痛い。


 意識の間をすり抜けられた体当たり、普段ならば難なく裁けたこすい攻撃、それを避けられなかったのは言い訳がましい不運、だけども右目が見たのは幸運、相手の不運だった。


「痛い! 痛い! 痛い!」


 そう叫んでるのか怒鳴ってるのかのファルコ、その左腕肘の付け根辺りにぶすりと、ボーイの右手にあったはずの果物ナイフが、貫通するほど深々と刺さっていた。


 これは、狙ったわけではない。たまたま、偶然、幸運にも、あるいは不幸にも、突き刺さったに過ぎない。


 ならば、これは、呪いか?


 疑問の中のボーイの目の前で、ファルコはナイフを抜かず、代わりに右手のナイフを床に撒いて、空いた指でポケットから白い布を引き出すと、素早く傷に巻き付け固定して、口も使って硬く縛り上げた。


 刺さった刃物は抜けば傷が開いて出血が増す、切り傷に精通した治療方法、ボーイの目からも適切に見える処置ながら、出血の勢い弱まらず、ぼたぼたと大粒の雫を垂らし続けていた。


「失敗した! !」


 痛みと流血による動揺、思わずポロリと出てしまった一言、これが陽動や呪いの類ではないと、ボーイは続くファルコの表情で読み取った。


 即ち、こいつの呪いは複数存在する。


 同時並行の呪術の行使がどれほど難しいかは想像の域を出ないが、そこまでできるなら呪いの設定を細かく調整もできそうなものだ。


「おい、この不幸が起こる切っ掛けってのは、何種類あるんだ?」


 半分答え合わせのような質問、こいつの呪いの発動条件の一つは間違いなく質問に応えなかった場合だ。それも、恐らくは数を問われた場合のみの限定発動、ならば年齢やらの説明もつくだろう。


 それが図星と笑顔に表れたファルコ、眉を上げて口を開くその視野の横、ボーイは霞める何かを右目で捕らえた。


 ドス。


 そして続くは更なる激痛、叫ぶのは突いていた右手、その掌、中指と薬指の根元の骨と骨との間に、ほぼ垂直に、太い木の破片が突き刺さっていた。


 これまでの痛みとどちらが痛いか比べるなどできない痛み、それと混乱、それでも辛うじて涙ぐむ右目で見上げた真上はここに落ちた時に空いた大穴、その淵がこのタイミングで落ちてきて、刺さった。


 不運、呪い、発動に思い当たるのは指何本への無回答、後付けの思考、固まるボーイにファルコは容赦しない。これまでの言動が別人のような突進に、それでもボーイは反応した。


 痛む左目から剥がした左手、伸ばす先はここまで運んできた空飛ぶ絨毯、見えない部分で手の甲光らせ操り、飛ばして引き寄せて目の前に立たせて壁とした。


 刃物の投擲にはこれで十分、素手で触れてきたら巻き付け拘束、そこまで予測し、結果裏切られたのは不運ではなく油断からだった。


 バフン。


 刃物でも素手でもない鈍器の一撃、予想を上回る打撃力を受けて絨毯の壁は簡単にひしゃげた。


 影よりファルコが振り下ろした鈍器は灰色の四角、それが何でどこから出されたかを想像する間も与えずファルコは更に振り回して鈍器諸共絨毯を吹き飛ばし、できた道を再び爆進してくる。


 分が悪い。咄嗟の判断、後ろへ下がろうとの本能、だけども右手に刺さった木片がその場に打ち付け阻害して、貴重な時間が無駄に消え、ファルコの間合い、爆進の勢い乗せた前蹴りが雑に放たれる。


 できたのは辛うじて左手で受け止める姿勢、だけどもその左手をも巻き込んでの強烈な一撃が、ボーイの顎を蹴り上げた。


 途端に響く脳内の激痛、揺らめく視界、気が遠くなるのがこの場では救いに思えた。


 そしてそこから引き戻す更なる激痛が本当の救いだと気が付くのに永遠に思える刹那が必要だった。


 新たなる痛みは左腕、蹴りを受けて受け止められなかった左手ではなく二の腕に、深々と針とも串とも言える鉄棒が深々と突き刺さっていた。


 新たなる激痛、しかもそこには痺れる感覚も混ざって、べたりと垂れた左手はピクリとも動かせない。


 これは不運ではなく技術、腕の神経を傷つけマヒさせた高等テクニック、関心よりも舌打ち、舌打ちよりも絶望がボーイを襲う。


 これで、片目と両腕が潰された。


 圧倒的不利の前に、ファルコはまたあのからりとした笑顔を取り戻していた。


「困っているようだ! だが安心したまえ! 君はこれ以上のダメージを追う必要はない! ただそこでじっとしていれば万事解決! この競技には勝たせてあげられないが終われば傷も癒えるらしい! それにここまで頑張ったのだ! いわば君も勝者の一員だ!」


 勝った気でいるファルコ、だが実際客観的に見ればその通りで、まだ抗うボーイの姿は、他人だったらみっともないとあざ笑っていただろう。


「さあこれで事実上のお別れだ! さよなら! ありがとう! それからこれはお大事に! ご自愛ください! 次回作にご期待ください!」


 そんなボーイに続いて投げかけられる言葉の数々は、侮辱、この上ない侮辱でしかなかった。


 まるであの時のような、スラムで向けられた力ある偽善者たちからのその場限りの慈善活動のような、圧倒的な不快さが、その笑顔にあった。


 それが思い出させる。何をされてきたかと、何をしてきたか、はっきりと。


 そしてボーイは切り替わる。


 痛みに頭が焼き切れたか、あるいは出血により物理的に冷やされたのか、これまで沸々と沸き上がっていたいら立ち、憤怒が、一転して冷たく暗い、憎悪、殺意へと変化する。


 にたりと浮かべる笑顔はファルコと正反対、ドロドロとした邪悪なものだった。


「アイサツだろ?」


 ぼそりと呟いた一言、質問ではあっても数字ではない問いに、だけどもファルコは律義に表情で応えた。


「初めましてお邪魔しますまた会いましょう、やったことねぇからピンとこなかったぜ」


 すっきりした。


 これで呪いの正体は割れた。


 後は、その流儀に乗っとるだけだ。


 ぼう、と光は右手の甲、木片が突き刺さり血で塗られたその下で輝く魔法行使の証、それさえも包んで隠すのは下敷きになっていたエレクトロカーペットだった。


 メキメキと痛む右手がこの上ない痛みの最高記録を更新していく。


 だえどもそれら一切を無視して立ち上がるボーイ、カーペットで固めた右腕を力任せに引き上げ、貫通していた木片をへし折り、引き抜く。


 途端滴る流血、更なる激痛、意に介さずさらにカーペットを硬く巻き付け拳を形作る。


「アイサツ、やったことねぇからピンとこなかったけどよ。似たようなことなら毎日やってんだ。だから、美味くできると思うぜ」


 その姿に、あれだけからりと笑っていたファルコからも笑顔が消えて、一歩後ずさる。


 だけどもボーイは逃がさない。下がった分だけ一歩前に出る。


「ノックだ」


 宣言、同時に放つ右手のジャブ、ファルコの鼻に命中、拳に伝わるへし折る感触と痛みの最高記録、だがそれを上回る爽快感に、ボーイは震えた。


 対してファルコ、右の鼻から血を流すその顔に笑顔は無く、ただここでは初めて見せる、だけどもボーイには毎日のように見てきた、怯えの表情を見せた。


 もう終わり。もうお終い。


 後は、一心不乱に殴るだけだった。


「ノック。ノック。ノック、ノック。ノックノックノック。ノックノックノックノックノックノックノックノックノックノックノックノックノックノックノックノックノックノックノックノックノックノックノックノックノックノックノックノックノック入ってますか!!!」


 ファルコが奥のカウンターまでぶっ飛び、間合いから外れるまでの間、これまでの不幸を倍返しにして、ボーイは存分に殴りつけた。

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