神門 旭とかくれんぼ 4
左右を支える男らに揺り起こされ、遠くからでもわかる眠たげな眼差しで周囲を見回すと、老人は覚醒した。
曲がりかかっていた腰がピンとまっすぐに、支えられずとも二本の足ですくりと立ち、表情には魂が宿ったかのように、力が満ちていく。
そしてふと、杖に突いていた銀の剣を震えながらも持ち上げ、その先端で舐めるように人々を順に指示してゆく様は、まさしく王者の風格だった。
そんな老人が、口を開く。
「みな、静かに。今はワシの声に耳を傾けるのじゃ」
広々としたスクランブル交差点に静かに響く声、それだけ周囲一帯は、破壊音や悲鳴さえもが消え去って、ただただ老人の言葉に耳を澄ませていた。
「今! 我々は! これまでにない危機に直面している!」
そこへ投げ込まれる、しわがれた老人の声、だけども凛として力強く、胸を打つ。
「これはこれまでにない! みぞゆうの大惨事である! 平和だった昨日は永遠に失われ! 我々は変革を迫られるだろう! それは痛みを伴うもの! 多くの代償を払って得られるものはほんのわずか! これは歴史的に見ても大きな傷となるだろう!」
自慢するようなことでも、あるいは恥じ入るようなことでもないが、旭は、これまで真っ当に演説というものを聞いたことがなかった。
街頭で何かしゃべっていても、それは音であり、言葉ではなかった。
だけどこの演説は、そんな旭でさえもが思わず聞き入ってしまうほど、しっかりとした言葉だった。
「この場にいないものの中には我々を笑うものもいるだろう! 効率が悪いと! 無駄が多いと! 俺ならもっとやれると! 臆病者だと! 言わせておけばいい! 我々は! 少なくともワシは! 諸君らがそうではないと! 最前線で戦い続ける! 一人一人が歴戦の勇士だと! ワシは知っている!」
拳を握り、大きな身振り手振り、視線を絶えず周囲に向け、誰もが一度は目が合うように気を配る、演説に長けた動作と旭にもわかる。
それが才能なのか、あるいは長年培ってきた技術なのかまではわからないけれど、確実にわかること、残り僅かであろう寿命をさらに削って吐き出されることだけはわかった。
そうして削り出され、伝えられる魂の言葉に、誰も彼もが聞き入って、身動きもできない。
「今! 我々に必要なのは何か! 武力か? 政治か? 経済か? あるいは勇気か? 信仰か? 違う! 断じて違う! いま最も必要とされるのは優しさだ! 隣人を大切に思い! 戦う警察官に協力し! 最前線で命を張っている医療従事者に感謝する! それが優しさだ!」
それは、言葉の力か、あの不可知の連中も同じらしく、こうしている間に一切の殺戮は行われていない。
それをチャンスと思いながらも、旭はその場を動いて聞くのを止めることができないでいた。
「そのような余裕のないものもいるだろう! このみぞゆうの危機に仕事を失うものもあるだろう! 店をたたむしかない飲食店も一つや二つでは済まないだろう! そんな彼らに手を差し伸べる! そのための小さな一手! ほんの些細なことだがだからこそ! どうか諸君! どうかどうかお願いだ! どうかワシの願いを聞いてほしい!」
続く一瞬の沈黙、溜められる力、そして満を持して、言葉が紡がれる。
「どうか諸君! 先ずは一手! 小さな一手! どうかマスクをしてくれ!」
旭は耳から魂に届き、頭ではなく心で感じ取った。
「あるものは効果が薄いという! あるものは逆に息苦しいともいう! 顔が見えない! 疫病に怯えた弱者の証だ! 鍛えた俺にはかからない! かもしれない! それでもだ! 我々はマスクをすべきだ! それで本当にわずかな効果しかないとしても! それを実行する! それこそが他ならぬ優しさなのだ!」
ぐっと、老人は力強く拳を握り、振り上げる。
「我々一人一人の力は小さい! そしてこの疫病は強くて強大だ! 一人で立ち向かい勝てるものではない! だから優しさを持って疫病に立ち向かう! その第一歩がマスクなのだ! そしてそこから! うがい手洗いアルコール消毒! 時短短縮にテレワーク! 蜜を避け! 換気をし! 不要不急の外出を避け! 具合悪ければ家にいろ! やるべきこと! やれること! 無数にある! その全部がかなわないというのならまず一手! 最初にマスクをするのだ!」
そして振り下ろされた拳に旭は、そして周囲の者たちは、一斉に息を呑んだ。
そして言葉が十二分に伝わったと噛みしめた後、老人は続ける。
「これは、本当に本当に、小さな小さなことだ。即効性は無く、目に見えた効果もないだろう。だけれども、我々の胸に心があるように、その効果は絶対にある。だからこその優しさだ。ここにいないものには好きに言わせておけばいい。だが、そう遠くない未来、我々は必ずこの危機に勝利する。そして、歴史に残り、語られるのはそのこの場にいない者たちではない。我々が、優しさを持って勝利した! それだけが歴史に刻まれるのだ!」
最後の一声に、打ち合わせたわけでもないのに一斉に歓声が上がる。
口笛、拍手、あれだけ地獄だった空気が一変し、お祭りとは違う熱狂に包まれている。
その中にいて、旭も声こそ上げていないが、胸に熱いものを感じていた。
凄いものを見た。
まるで、歴史の一ページに触れたような、感動、戦う為でもないのに強く拳を握らずにはいられない。
これが、この人こそが、人の上に立つべきもの、指導者、カリスマ、王という存在なのだろう。
その王たる老人は、一切の力を使い果たしたかのようにふらつき、それを左右にて聞き入っていた男らが抱き留める。
と、その内の右側の頭が燃え出した。
ざわつきと悲鳴、だけどその誰もが、着火元を、旭も含めて、見えていない。
不可知の攻撃、演説後を狙った卑劣な攻撃、そしてその狙いが誰なのか、一目瞭然だった。
それを知ってか燃えてる男、王に燃え移らぬよう自ら車外に落ち、残った男が前に出て壁となる。
その周囲を囲う群衆もまた一斉に王を守ろうと動き出すも、誰もが届かず、見聞きできず、そして戦う術を持たなかった。
術を持つのは、一人だけ、旭だけだった。
考えなど浮かべる間もなく地を蹴る。
倍化の倍化の倍化、今自分がどれだけ強化されてるかの把握も捨ててただ一心不乱に、王の元へと駆け付ける。
そうしてる間も壁だった男も燃やされ、車上には王がただ一人、立ち昇る煙を遮る形で、不可知がそのシルエットを現した。
やはり人型、ただし頭部は異形、三角形の、富士山のような形状、それが右手を振り上げ、振り下ろすより先、旭の拳が間に合った。
ジュ、焦げる音、拳に撒いた草から悪臭が立ち上り、すぐさま肌に高熱が伝わる。
それでもと二発目放つ旭に、高熱の不可知は炎を喰らわせた。
大きな、壁のような赤い炎、回避など考えず旭は両手を広げてその全てをその身で受けて壁とし、王を守る。
この存在、競技や己の命よりも重い。
まるで新たな天啓を受けたように、旭に迷いはない。
それでも炎は止まず、高熱に身を焼かれ、己を燃料とする煙に目を燻され、それら一切をかき消すような激痛の中、旭はやっと不可知の姿を捕らえられた気がした。
その顔はやはり異形、三角形の山のような頭部にぎょろついた目玉が一つだけ、その口はいやらしく笑っていた。
これは害悪、ならば殺す。
閃光のような意思に支配され、旭は両手を広げて不可知を抱きしめる。
水や草で触れられるなら、この炎でも触れられる。確証はなくとも自信はあった一手に、不可知は暴れるも、倍化に倍化を重ねた旭の力にはかなわない。
そして苦し紛れの更なる炎の追加、だけどもそれが王を、それ以外を焼く前に、旭は高く高く高く、跳んだ。
最早どこをどう踏んだかも不確かな跳躍、駆けのぼり、炎が晴れて重力が消えるや、そこはここのどのビルよりも高く高く、空にいた。
そして、重力に任せて落ちる。
下に何があるかはもう見えてないが、それでも地面と不可知との間にその身を、炎を挟めば落下ダメージは入るはず、最善かどうかはわからないまでも、旭の放つ咄嗟の必殺だった。
そこへ、炎ではない光がさしかかる。
遠くの果て、ビルや都市を超えた地平線の向こうより登る、この上ない炎、朝日が、やっとその顔を覗かせていた。
競技の終了、それほどまでに長く戦って、そして言葉を聞いていたのか、旭は思いながら燃え尽きた。
◇
かくれんぼ:神門 旭VSジョセフ=バイコディン
勝者、ジョセフ=バイコディン。
……なお追記として、神門旭は帰還後、勝敗の報告よりもマスク装着を過度に推奨するなど異常行動が見られ、言動から精神汚染の疑いがあるため、他のメンバーにより一時的拘束、正常に戻るまで隔離されるというひともんちゃくがあった。
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