トロイメライ・ハートとめいろ 3

 背負ってたリュックサックを下ろして中を広げる。


 キンキンに冷えてしまった麦茶をはしたなくラッパのみして、携帯食のチョコを一齧り、お腹に詰め込み一休み、一息吐いた息が白く濁る。


 会敵、戦闘、相手が何者であっても負ける気はしないけれど、ここは迷路、それも寒い中、無駄な消耗は避けたい。


 余計なもの、ステープラーとリュックサックを曲がり角に隠し、懐中電灯もスイッチを切って懐に、首に巻いた寝袋をどうするか考えて、寒いから巻いたままにする。


 準備完了、もう一度白い息を吐いてから、時間を止めた。


 一人ぼっちの世界、動けるのはトロイメライだけ。


 身に着けてるものは動きに合わせて動くけれど、少しでも離れたらほら、吐いた白い息さえもずっと動かず、宙に残り続ける。


 だから安全安心、相手が何者で、待ち伏せされてようとも、例え地雷を踏んず桁としてもそれらが反応する前に過ぎ去ってしまえる。


 だから、恐れるものは無い。


 そう思っても、トロイメライの足取りは慎重で、角を曲がるのも、その前に壁に張り付いてそっと覗いてからだった。


 ……これまでと同じようにまっすぐな通路、途中にいくつか曲がり角があるけれど、一番目立つのは奥、赤々と燃えるガスコンロだった。


 いわゆるプロパンガスを用いる、上に鍋を乗せるやつ、だけど今乗ってるのは小さなヤカンで、注ぎ口からは白い湯気が立ち上っていた。


 他に、何もない。


 荷物も人影も、何もなくて、ただ火にくべられたヤカンだけがポツリとあった。


 どういうこと?


 疑問を頭に浮かべながら恐る恐る近寄る。


 途中の曲がり角に隠れる人影は無し、奥の方も、行ける限りでは待ち伏せは無かった。


 ガスが燃え続けてるし湯気が出てるということはつい最近火が点けられたということ、この寒さの中で水と暖とを残しで移動する訳、それもトロイメライを除くとなると、すぐには思いつかなかった。


 ただ、これは水と暖、トロイメライには大いに役立つ。


 そう思い、手をかざすも熱伝導がいまいち、止まった時間の中では熱の伝わりも止まるものだと思い出し、止まってた時間を動かし始める。


 途端に流れて霧散する白い湯気、同時に熱すぎる熱が、かざした掌に伝わってくる。


 このまま少し休憩、にはこんな通路の真ん中では目立ちすぎる。それに移動できるようにリュックサックも回収しよう。それでどこか、二階ぐらい曲がった先の袋小路までいってやっと休憩、その前にステープラーで印を、暖かな炎に冷え切ってた手の指が解されながら、トロイメライは色々と考えていた。


 そこへ、黒い影が降ってきた。


 びだたたたたたたただん!


 かざしてた両手に、袖に、寝袋の端に、そして火にくべられてたヤカンに、天井より降り注いだ液体が降りかかる。


 完全な奇襲、驚いたトロイメライは時間を止めることも忘れて慌てふためき来た道を転がり戻る。


 ジュワ、という音はヤカンに触れた液体が瞬時に煮えた音、そして漂う香りは、コーヒーだった。


 ダン!


 そしてそのヤカンとトロイメライの間に振ってきた大きな影、始めはクマだと思った。


 だけども立ち上がったその姿は人、大柄で毛皮を纏った、人間だった。


 赤い髪の外国人、筋骨隆々で太い首、だけど頭は赤毛の三つ編みで、のどぼとけもない。


 女の子、ひょっとしたらトロイメライと同い年ぐらいかもしれない。その眼差しは親の仇を見つけたかのように憎悪に燃えていて、その右手には丸い盾が点けられ、プラスチックっぽいカップを握っている。


 対戦相手、この競技の敵、相手が人とわかって、恐怖は消え、ただ緊張感だけが残る。


 身構えるトロイメライを、対戦相手の赤毛は、空いてる左手で指さした。


「それ、首に巻いているのは、化学繊維か?」


 言葉、通じる。


 異世界翻訳何とかといってたこと、だけど違和感はある。


「訊いている。応えろ」


 命令口調、それから身なりに、だけどガスコンロを使う知能、導き出される答えは、この赤毛がアウトドアマニアだと言うことだった。


 厳密には単語は間違えてるかもしれないけれど、絶対に自然大好き、暇さえあればガチ装備で森とか山とかに入ってって、自然破壊する密猟者とかゴルフ場建設作業員とか襲ってるタイプ、思想犯、怒らせると面倒なタイプだと推察した。


「違う」


 その上で、トロイメライは応える。


「これ。多分、木綿。タグ、無いけど。肌触りがそう」


 自然に優しい、オーガニック使ってますよアピール、相手を怒らせないように気を使う。実際、寝袋は少なくともツルツルしたナイロンじゃない。


 これで友達、ではなくても敵ではないと言いたかったトロイメライ、だけど赤毛はその手のプラスチックのカップを握りつぶした。


「つまり、お前は、大自然を殺して手に入れた亡骸を首に巻いてるのだな」


 言ってる意味が分からない。


「凛々しく、雄大に聳えていた木々を残忍にも切り倒し、鬼畜にも引き裂いて、悪逆にも木綿にした。それら悪行をさも誇るように首に巻いてるんだな」


 意味が解らい。けど、言葉が通じないのは嫌でもわかった。


 いかれてる、会話は無理、やらなきゃやられる。


 様々な思考が閃光になって脳裏を駆ける中、その両手は武器を呼び出していた。


 歪曲永劫『ショッキングショット』。89式小銃二丁。マジカルリロードで弾倉無限。当たれば痛いじゃすまない本物の銃、だけど、引き金を引く前に取りこぼした。


 同時に走るのは痛み、それが骨まで蝕む冷気によるものだと気が付くのに一瞬が必要だった。


 両手、かかった液体、コーヒー、それが体温を奪いつくし、筋肉を硬直させていた。


 これはではなくという感覚、異常なほどの冷気が、トロイメライを襲っていた。


「植物の悲鳴はお前には届かない。けれど、お前の悲鳴は植物には届く」


 気が付けば目の前にいる赤毛、放たれていた右の盾の打撃、咄嗟の判断、トロイメライは防御の姿勢と同時に時間を止めた。


 ……打撃の衝撃は小さく澄んだ。


 けれども、殴られた箇所、ちょうど寝袋を撒きこんだ左腕が、灼熱の熱さと共に動かなくなった。


 何事かと見るトロイメライの目の前で、寝袋が折れて落ちた。


 離れた途端に時間が止まる寝袋、その表面は輝いていて、それが霜によるものだと気が付くのに、そう受け入れるのに、永遠に近い一瞬が必要だった。


 がちがちがちがちがち。


 上の歯と下の歯がかち合う。


 震え、身振り、これが寒さによるものなのか、あるいは恐怖によるものなのかはトロイメライにはわからなかった。


 ただわかること、この低温はこの対戦相手によるものだということ、その低下は近寄るほど、この盾に触れるほどひどくなるということ、そしてこのまま体温が下がり続ければ、命も危ういということだった。


 唐突に訪れた命の危険、それも楽には死ねない非業の死、トロイメライは頭ではなく本能で、魔法を発動していた。


 ……空間歪曲、遠く離れた場所とこことを繋いで渡す、いわゆるワープ、長距離を一瞬で移動できるけれど、正確な座標や方角を認識するまではできない魔法、それをこんな現在地も判らない迷路の真ん中で使えば、確実に道に迷うのは当たり前のことだった。


 そう気が付いたのは、後悔した後だった。

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