トロイメライ・ハートとめいろ 4

 端的に言って、トロイメライは遭難した。


 荷物の一切を失い、方向も見失い、ここがどこだかも判らない。しかも、その原因となった空間魔法で魔力が、体力がごっそり削られていた。


 ……時間を止めた状態で、空間魔法を行使する。


 それも攻撃ではなく自信を移動させる高度な転送魔法、できるかどうかも知らなかった大技の実験結果は、凄く疲れる、だった。


 そして遭難、こうなってしまってはゴールも競技もなく、生き残れるかの問題になってきていた。


 遭難なんて、九割は物語の中で、残りはニュースの中だけの現実だった。


 体験してみてトロイメライが感じたとこは、なかなかオワライな、だった。


 目を閉じても、次のことを考えても、あれこれ後悔しても、じっとしてても、何も変わらない。


 それどころか、辛くて、寒くて、寒くて、辛くて、ただただ体力が、生命力が、体温が失われていくばかりだった。


 パチリ、と焚火が爆ぜる。


 持ってきていたライターで、ほぼぼろ布になってしまった寝袋の残骸を燃やしての炎、あまり大きくもないし煙は臭いけど、それでも凍り付いてた左手を解す程度には役に立った。血流が良くなり、ピリピリと痺れる感覚は、良くなった兆しだと、トロイメライは思い込んだ。


 それでも、炎に面してない背中は寒々しく、ガタガタと震える体を黙らせるほどでもなくて、これならいっそ体に火を点けてしまいたい衝動に襲われる。


 ぐぉおおおおおおおおおおん!


 そこにまた響く咆哮、間違いなく対戦相手のあの赤毛、この寒いのに元気だと思って、そもそも寒くしてるのはあいつだったと思いなおすのも、これで何度目だろうか。


 既に恐怖は凍り付いた。


 むしろ、今度こそ、鉢合わせた瞬間にぶっ殺す。


 心に決めて奮い立たせても、震えるのは体だけだった。


 ……こうなればを使ってしまおうかとも思う。


 壁貫通の全体攻撃、受ける方はどこからどう攻撃されたかわからないとなれば、隠れる場所の溢れてるこの迷路にはうってつけだった。けど、やらなかったのは迷路の長さがわからないから体力温存を、との判断は今でも間違ってはなかったと思うけれど、だけどこうなる前に少しはやっておけばよかったとくよくよする。


 そしてる間に、無情にも焚火が燃え尽きる。


 残るは暖かな灰と臭い煙、そして喪失感、すかさず襲ってくる寒さ、このままでは座して凍えて死ぬだけ、そんなのはまっぴらだった。


 ガリガリと、持ってきていた氷砂糖を全部かみ砕き、飲み込んで、そして懐中電灯のスイッチを入れた。


 見えるのは先の見えない闇、ゴールに向かってるかも不確かな、迷路の続きだった。


 トロイメライ、黙って歩き出す。


 ただ無心、それでも左肩で壁を擦りながら、最小限の力で、前へと、先へと歩き続ける。


 ぐぉおおおおおおおおおおん!


 また絶叫、元気な赤毛、だけども叫んでるうちはまだゴールできてないのだと、それが良いことなのか悪いことなのかも考えられないで、歩き続ける。


 歩いて、歩いて、歩いて、曲がって、歩いて、歩いて、曲がって、行き止まりで、戻って、歩いて、歩いて、歩いて、曲がって、歩いて、歩く。


 寒さの感覚が消えて痛みだけが残り、いつしか震えも消え去った。


 そして、笑えることに、眠くなってきた。


 寝たらお終いの本物、滅多にできない、できれば体験したくないレアな体験、人に自慢できそうな、そうでなくても「すごーい」とか言ってもらえそうなエピソード、笑おうとしてるのに顔の筋肉が引きつって笑えない。


 そうして、歩いて、歩いて、曲がったら、先の曲がり角を照らす灯りが見えた。


 灯り、熱源、それがゴールなのかスタートなのか、敵なのか良いことなのかも考えられず、ただ目を見開いたトロイメライは、なめくじのようなゆっくりとした全速力で、角へと向かった。


 そして曲がった先、冷たい風に身を冷やされながらも出くわしたのは、キャンピングカーだった。


 見覚えのある車種、たしか準備の時に最後に見かけたタイプに似ている。


 それが、合っても2mぐらいしかない迷路の廊下に、無理やり突っ込んではめ込まれていた。


 フロントガラスは砕け散り、サイドミラーは壁にめり込み、ドアを開けるスペースもなく、正面のライトが力強く輝いていた。


 想像するに、これはきっとあの赤毛が持ち込んだもの、そしてこのねじ込み方は、開始直後に聞いたあの甲高い音の正体、ならば、この奥に赤毛のスタート地点がある。


 そう思うと同時に、そのスタートこそがゴールだと、直感的にわかった。


 つまり、この車を超えたらゴール、少なくともあの赤毛が持ち込んだ物資が残ってるはずだった。


 期待、希望、何よりも暖への熱望、震える体を無理やり動かし、車体へと触れる。


 冷たい感触、振動こそしてるけれど排気ガスの臭いは無い。つまり、これは電気自動車、変な環境意識、ではなくて室内でガソリン燃やしてたら窒息してしまうという配慮、そんなことを考えながらも、これが何度目の最後か、トロイメライ、力を振り絞り、割れたフロントガラスから這い上がって、車内へとにじり入る。


 汚い車内、運転席には何故か鍋やフライパンなどのキッチン用品が積み重ねてある。


 そこから奥へ、狭い廊下、左側には備え付けのイスとテーブル、右側にある箱は多分冷蔵庫にキッチン、最低限のキャンピング要素、それらを埋め尽くすガラクタが、トロイメライの行く手を阻んだ。


 何かの大きなガスボンベ、金属のケージ、フラフープ、ビーチパラソル、砕け散ったガラス、ブラウン管のテレビ、虎バサミ、畳めるお風呂の蓋、金庫、一番奥には丸焼き用の豚肉塊、下から漂ってくる香りはバニラエッセンス、しっちゃかめっちゃか、ありったけを詰め込んだとしか思えない乱雑さ、足の踏み場どころかバリケードのように物理的に通行を阻害している。


 これはもう、汚部屋やゴミ屋敷では済まないレベル、いうなれば、ゴミの不法投棄としか言い表せない酷さだった。


 あれだけ自然を、木々をとのたまわってた赤毛が、こんなひどい有様とは、言葉を失うとともにトロイメライの気も遠くなっていく。


 眠気と呼ぶには強すぎる眠気、それでも、これを超えたならばゴール、その一念が、四肢より力と体温を奪い去り、代わりに最後の魔力をねん出させた。


 最後の魔法、最後の力、最後の空間歪曲、発動。


 魔力の消費による意識のブランク、自分が倒れてることに気が付くのさえもやっとのボロボロの状態、それでも、やったと顔を上げたトロイメライが見たのは、届かなかった距離と、更なる不法投棄だった。


 目の前の床にはタイヤの擦れた跡と車から千切れた金属片が散らばり、それらを辿った一番奥、ゴールと思われる赤毛のスタートの部屋から、飛び出てるのはヨットだった。


 その下にはクマのぬいぐるみ、ベットの金属フレーム、ちゃぶ台、アルミの鉛筆立て、ドライヤー、エスプレッソマシーン、寸胴鍋、金のインゴット、潰れたトマトに塩の大袋、除草剤と書かれたポリタンクが割れて中身が漏れ出ていた。


 ……ヨットの上にもまた色々詰まれているが、それを数える気力は残っていない。


 これだけの量、それも役に立たなそうなものばかり、それを、こんな、時間を止められるわけでもないのに、四十分の間に、かき集めるなんて、にわかには信じられない光景だった。


 それだけ欲望に忠実だったのか、あるいはこうなることを見越しての高度な戦略だったのか、最早トロイメライにはどうでもいいことだった。


 ただ、ただ、ただ、這いずる。


 既に痛みの感覚もなく、滴る鼻水も凍り付いて、みっともなく、弱弱しく、見てられない酷い姿だと自負しながら、それでも心は、折れてなかった。


 たどり着いて、どうするか、考えてもない。あんなヨット、超えられる手立てもない。燃やして暖を取れそうなものも見当たらない。あってもそこまで頭は回らないし、悴んだ指ではもうライターは使えない。


 けれど、ただ、ただ、ただ、前へ、ゴールへ、何もかもが凍り付く中、空き飴ない心だけが温もりを保っていた。


 …………その結果、成就できたかどうか、結果が出るよりも先、転送の光が、トロイメライの体を包んだ。


 その光は、温かくはなかった。


 ◇


 めいろ:トロイメライ・ハートvsアビー=ティンティン=ジェファーソン


 勝者、アビー=ティンティン=ジェファーソン。


  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る