トロイメライ・ハートとめいろ 2

 ………………あった。


 触れた感触、求めていたもの、黄色い懐中電灯、指先からの情報で形を想像しながらスイッチを入れて、それでようやく、灯りが灯った。


 最初に照らしたのは、涙と鼻水と不安と焦りとでゴワゴワになったトロイメライ・ハートのあまり人に見られたくない顔、その次に照らしたのがこれまでの奮闘の痕跡だった。


 何度も足をぶつけた土鍋、邪魔だった段ボール箱、腹立ちまぎれに投げ飛ばしたクーラーボックス、期待して手に取ったら違ってた虫よけスプレー、踏みつぶしちゃったクラッカーの箱、その他諸々、元はどう並べてたかもわからないほどめちゃくちゃに、散らかっていた。


 それだけスタート地点、いやこの『めいろ』は暗かった。


 硬い地面に高い天井、そして壁、どれも灰色の石でできていて、それだけ、飾りも何もなく、当然のように灯りもない。


 お陰でスタート直後からの疲弊、手探りで懐中電灯探して回って、無駄に時間と体力と神経を使ってしまった。


 この競技を設定した奴はよほどの無能か、あるいは悪意に満ちてるに違いない、そう思うトロイメライは何度目かのくしゃみをした。


 寒い。


 周囲石造りな上にここは地下、流れる空気は冷たく乾いて、そんなところに喪服姿で放り出されたら、いやでも体が冷えてしまう。


 とりあえず何か羽織るものを、と見回して、実は着るもの羽織るものを選んでなかったことにようやく気が付く。それも防寒着に限らず、着替えの類もなくて、ずっとこの服この下着のまま、過ごさなければならないという、女の子としたら致命的な失敗にまたくしゃみが出る。


 ……ともかく、今は暖が欲しい。


 思ってからの行動は早かった。


 荷物をどかしてスペースを作り、土鍋の中に炭と薪を小さく組んで入れ、マッチを投げ入れ、次いで鼻紙にしたメモ帳の一枚も投げ入れ赤い炎に、緑茶を満たしたヤカンを側面において、程よい距離に置き直したクーラーボックスに腰を下ろして一息付けた。


 これならば、カップ麺かカップスープか、持ってくればよかったと後悔しながら熱くはないが温く放った緑茶をマグカップに注ぐ。


 ぎょわんぎょわんぎょわんぎょわんぎょわんぎょぎょぎょぎょぎょぎょぎょぎょょょょょ!!!


 そこへ突然木霊する奇音、光の届かない迷路の向こうより響いてくる。


 それにびっくりして思わず時間を止めるトロイメライ、そして落ち着きを取り戻して、これが競技だということを思い出す。


 何の音かは正体不明、だけども鳴らしている相手は知っている。


 競技の対戦相手、同じく迷路に挑み、先にゴールしようとしている敵、それが鳴らしているに違いなかった。


 ゆっくりしてる間に先を越される。


 時間を戻し、緑茶を飲み干し、ようやくトロイメライ、本格的に準備を始める。


 先ず防寒、使えそうなのが紫色の寝袋と鍋掴み、それとタオルぐらい、今着ている喪服でなくても絶望的なファッションセンスながら寒さには抗えないと寝袋を肩に羽織り、鍋掴みを右手にはめ、タオルは首に巻いた。


 次に荷物、緑色のリュックサックに、ペットボトルの麦茶を一本、それと携帯食のプレーン、チョコ、フルーツ、そこに緊急医療キッドと携帯トイレ一日分を詰めたらもう一杯で入らない。


 残る分は懐に、非常食として氷砂糖を汚いけれどゴム手袋に詰めて片手分、ライターに電池の予備と、多目的ナイフを詰め込んだ。


 後は、右手に懐中電灯、左手に値段のシールを張るやつを持てば、迷路探索の準備は万端だった。


 その状態でまだ未練がましく、やっと熱くなった緑茶と、ポテトチップスのうすしおを平らげて、最後に残ってた氷砂糖を頬張ってから、ようやく重い腰を上げた。


 一瞬迷ってから、土鍋の火を水で消して、ようやく迷路の闇へと踏み出した。


 …………最初は、意気揚々とした足取りだった。


 灯りも確保し、土鍋の炎で体も温まり、飲食でお腹も満たされ、失われてた体力と気力は十分に回復していた。


 加えてトロイメライ、特別賢いと自慢するわけではないけれど、迷路の必勝を知っていた。


 どんなに入り組んだ迷路であっても、一本の正解ルートで踏破できるのであれば、そのルートを境界線に、迷路は右と左とに分けることができる。だからその内の片側だけに集中して、壁に片手を付けて放さず移動し続ければ、いずれはゴールにたどり着ける。


 総当たりを効率よくやっているようなものだけれども、暗闇の中、目印もない迷路を確実に走破するのは、こちらの方が確実だろう。


 そう思いながら壁に値段を張る。


 狙ったわけではない完全な偶然だけれども、このステープラー、片手でポンと押すだけでシールが張れて、目立たないけれど剥がれにくくて、目印に便利だった。


 それで左への曲がり角を見つける度にカチャンと押していく。


 それで、もしも壁の両側にシールがあればその先は行き止まり、次来た時はスルー出来る。効率的、かつスマートなやり方は、自慢できる大発見だと内心鼻高々だった。


 ……それが、口の中の氷砂糖が解け切ったころになると、一転してくる。


 やっぱり冷えてきた体、終わりの見えない迷路、単純作業、曲がり角を曲がって行き止まり、だったら安心している自分にトロイメライは気が付いた。


 心が騒めくのは、まだ先があった時、それも十字路とかあったならば誤魔化せないほどにびくりとなる。


 それだけ、迷路の闇は深かった。


 こんな手に収まるような懐中電灯の灯り程度じゃ道の先どころか無駄に高い天井までも見渡せず、見えない闇が色濃く残っている。


 そこへ踏み出すには、それ相応の勇気と緊張が伴った。


 別に、何が出てきてもトロイメライは対応できると自負していた。


 それは傲慢でも高慢でもなくて、それだけ自分の力、この『時空』を操る魔法が強いと冷静に客観的に理解しているからだった。


 例え相手がどんな化物であったとしても、時間さえ止めてしまえば好き放題できるし、最悪でも空間を弄ってワープすれば逃げられる。


 もちろん、この力をもってしてでも勝てない相手はいるだろうけど、そんな化物が相手なら競技が始まった瞬間に終わってるだろう。


 だから、大丈夫、そう自分を納得させなければ、トロイメライは先に進めなくなっていた。


 それもだんだんときつくなっていく。


 ただでさえ運動が得意ではないというのに冷えた体、そこに視野の暗さも重なればしんどくもなる、そう考えるのがいいわけなのか正当な理由なのかも判らぬまま、また新たな角へ、シールを張ってから曲がる。


 途端、目にしたものに心臓が止まりかけ、代わりに時間が止まった。


 ゆっくりと飲み込んでいた呼吸を吐き出しながら、懐中電灯の明かりを這わせる。


 暗闇の中、最初に見えたのは黒い髪、次が手首で、その次が背中、着ている服はセーラー服で、靴は上履き、うつ伏せに倒れた女子高生に見えた。


 完全にホラーだった。


 これが、対戦相手か、あるいは放送で行っていた先に入って完走できなかった人の亡骸か、考えながらもトロイメライの目は迂回できる道を探し、だけど見つけられなかった。


 そうしてる間も魔力は消費され、疲労がたまっていく。


 ゴクリ、唾を飲み込み、それから勇気をもって恐る恐る近寄って、つま先で蹴ってみる。


 帰ってきたのは柔らかいけど硬い感触、弾力はあるけど軽い感じ、生肉とは程遠い。


 なら、少なくとも生きてる人間ではないと、思い切り蹴飛ばせば、ゴロリと首が取れた。


 思わず飲み込んだ息に唾が巻き込まれ、それどころではないのに成大に噎せて、涙目になって、それで今度は首と目が合う。


 ……それでようやく、これが人形だと気が付いた。


 それほどまでに、人形の顔はリアリティがない。


 ぱっつり開いたガラスの目玉に不自然に長いまつ毛、鼻に穴は無いのに、口だけは丸く、ペットボトルの飲み口のような穴が開いている。


 人の顔に似せてはあるが酷い造詣、特に口とか、似せる気がないとしか思えない。


 そんな人形、多分セーラー服のマネキン人形、何でここにあるかはわからないけれども、トロイメライはもう怖くなくなっていた。


「何よ」


 小さく呟いて、首と体の間に足を踏み出す。


 恐くはない。けど踏みたくはないから懐中電灯は下に向けてて、だから、この先に突き当り、右に曲がった角の向こうから、灯りが漏れてるのに気が付けた。


 今度こそ本当に、本当の、対戦相手だと、トロイメライは何度目かの息を呑んだ。






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