神門 旭とかくれんぼ 2

 冷静に考えれば、これは悪手である。


 正体不明の攻撃、その被害者、それも赤の他人、ひょっとしたら敵その者かも知れない存在に近寄ること、触れようとしていること、助けようとしていること、危険性はいっぱいある。


 それぐらい、修羅場を潜ってきた旭には百も承知だった。


 ただ、だからと言って助けないという選択肢が出てこない、ただそれだけで溺れ苦しむ少女の肩を掴んだ。


「落ち着いて! 僕に見せて!」


 声は伝わらなくとも意思は伝わったのか、少女は体を強張らせながらもがくがくと頷いた。


 その動きに波立つ水、剥がれず、こぼれず、少女の顔と空気を遮断し続けている。


 不可思議な現象、どのように行っているのか、旭は一瞬思案するも、できそうではあるが具体的なアイディアが出ないまま、そっとその水面に左の指を沈める。


 途端、全身に走る不快感、そして後悔、これは、ただの水ではない。


 もちろん、顔に張り付いているからただの水なわけが無いのだが、それを差し置いても、この水は普通ではない。


 色、粘度、感触、具体的に何が違うのか言葉にできないけれど、絶対にこれは知っている水ではない。それもただ成分が違うとか、異能と呼ばれる力がこもっているとか、そういうレベルではなく、もっと根本的に、この世界とは違う世界から染み出してきたような、決定的な異物としか思えなかった。


 ……そんなものを無効化する術など、すぐに思いつくわけではない。


 だがそうしている間にも少女の顔色は赤くなり、そして盛大に泡を吐き出すと、今度は青くなっていった。


 時間がない。


 こういった場合、旭の経験上、雑で大雑把な方法が有効だと知っていた。


 五行隷属使役法。


 大気を漂う精霊種を捕縛し、現象を引き起こす術、その中の基礎の基礎、焦る気持ちでも失敗は無い。


 ……最初見た時、友人たちは水を掬い上げていた。だけども指の間から零れ落ち、顔に戻っていた。


 つまり、零れ落ちなければあれで正解なのだ。


 にょろりにょろり、指先に絡んで茂は長い蔦、その根が少女の顔に触れ、そこにある水を吸いつくす。


 水生木すいしょうもく、水を持って木を育てる相生の流れ、発動できなければ大気の水分を集めて何とかと考えていたが、それは杞憂で済んだ。


 全部の水分が根に吸われ、左腕に絡まる蔦に収まって、それでも引き寄せられる力に逆らい剥がして、少女はやっと一息を吸えた。


 先ず一人、確かまだ倒れてる少女の友人がいたはず、助けねば。


 思い、少女から手を放すのと、横腹を思いっきり殴り飛ばされるのとはほぼ同時だった。


 完全に、気の緩んだタイミングでの一撃、横隔膜を跳ね上げるクリーンヒットは、旭の体を少女の前から散歩分ずらす威力、痛みよりも呼吸困難が先に襲う。


 それもあって更に二歩三歩、余計に後ずさりながらも回復に努める。


 禹歩うほ九赫禊良くかくけいら、気の流れを整える、自己流の歩琺術、それを用いなくとも回復できる程度のダメージ、ただし精神面への動揺は、すさまじかった。


 受けるまで、感じられなかった。


 視覚、聴覚、嗅覚はもちろん、その他一切、何も、受けた後でさえも、相手が何で、どこにいて、何をされたか、全くわかっていない。


 不感知ステルス、それもこれまで対峙してきたどれとも、それどころか書物口伝噂話含めた一切の知識の外にある、そんな一撃だった。


 たらりと冷や汗をかきながら、その身を強張らせ、神経を総動員して張り詰めさせるも、痕跡は殴られた横腹だけだった。


 正体不明、ゆえに対処法も思いつかない。


 だが時間は有限、そうしてる間にも、倒れている少女の呼吸が尽きていく。


 考えるよりも、先ずは動け。


 まるで子供を導くように、旭は昭を導いた。


 集水、その失敗、本来ならば大気中の水分を一点に集めてどうこうする術の基礎、だが失敗すれば半端に集まり白い霧となって散開する。


 それをあえて行うのは、否定したいが年の功、できた白い霧が物理的な障害物となって辺りに漂う。


 これで、例え相手がガラスのように透き通っていても、触れて退かされた霧の空白が居場所を教えてくれる。


 結果、ここにはいない。


 退いたか、そもそも遠距離攻撃だったか、どうでもいい。今は助けることだ。


 旭、霧を纏っての突入、少女への最短距離、何もない空間を突っ切る。


 その顔面が、打ちぬかれた。


 視界に白い点、ぐらつく頭に消えかかった意識、それでも何とか踏みとどまるも、今度は精神だけでなく肉体にもダメージが響く。


 まただ。


 しかも今度は、霧の中より飛んできた。


 当たる、殴られるその刹那まで霧に一切の動きは無い。これは断言できる。


 霧を動かさず、ただ顔面のみに触れ、それもこれだけの打撃、滴る鼻血を袖で拭きながら、旭は頭痛の酷い頭で考えて、だけども一切まとまらない。


 確実なのは、これら一切が旭の知る一切の力とは全くの別物、それも恐らくは説明されてもにわかには信じられないジャンルのものだろうということだった。


 これに辛うじて類似する力は、天啓、天使を名乗る、この競技にいざなった連中、その術だ。


 サイコロを振って出た目の人員を転送する。


 個々を見れば再現できるものではあるがしかし、その仕組みは旭の知るものではなく、感知することもできない代物だった。


 それと似たような、あるいは同じような感覚、そこまで考えて、ふと笑う。


 これではオカルトだ。


 超能力、魔法、UFO、未だに解明されていない未知の力、一般人から見ればその中に五行とか退魔とか精霊とか妖精とか、旭の知る術も含まれるのかもしれない。


 だったら、旭の知らない別の未知があったって不思議ではない。


 同じ闇に隠れながら、隣の闇はもっと異なるレプティリアン爬虫類型宇宙人だったりするのかもしれない。


 こういった柔軟な思考がまだできているうちは、まだ若いと旭は鼻血を拭う。


 けれど、濡れた感触は治まらない。


 それどころかどんどん溢れて、だけども滴る感触は無くて、息苦しさ、それでようやく口がまた、今度は自分が水に覆われ始めていることに気が付いた。


 ごぼりと息が泡立ち、それでせり上がった水が鼻を超えて目を覆い、鼻血が混じって視野を赤く染める。


 やばい。


 焦るのと同時にまた鼻頭を殴られる。


 まっすぐ正面から、だけども威力は低いジャブ程度、軽くふらつきながらも踏みとどまった旭に、今度は強烈な右ストレートが、左の頬を打ちぬいた。


 見事な、ほれぼれするようなワンツーコンビネーション、だからこそ、相手が人の姿をしていて、これがワンツーだと、拳から全てを知ることができた。


 だったら、もう、逃がさない。


 倍化。


 身体能力を倍々に向上させる旭の十八番、それをありったけ、ぶち上げるとともに体を流した。


 考えず、感じたまま、自然なフォームで繰り出したのは、伸びきったストレートの下を交差するテンポのずれたクロスカウンタ、左のショートアッパーが、かち上がる。


 手応え、顎の真下を叩いて跳ね上げ、歯の何本かをぐらつかせたと断言できる、クリティカルヒット、攻撃が通る。


 喜びに倍化の高揚感が加わっての追撃の右フック、だけどもこちらは空振り、絶対にそこにいるはずの相手に触れることさえ敵わず空を切った。


 そして鼻血の混じった赤い視界の向こう、やはり敵の存在は消えてなくなった。


 わかったこと、相手の姿は一切関知できない。


 相手は水を操り窒息させてくる。


 人型で打撃攻撃をしてくる。


 そして、と旭は左の拳を見る。


 腕に巻き付いた蔦が、ぐしゃりと潰れていた。





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