神門 旭とかくれんぼ 1

 ……歩けども歩けども、得られるものは乏しかった。


 寒々しい夜の空気、輝かしい高層ビルの間、雪崩れるように行きかう人、人、人、その足元にはアスファルトと横断歩道の白い横縞が見える。


『世界で一番有名な交差点』を渡りながら、神門みかどあきらはここが日本の東京、渋谷であると再認識していた。


 ただでさえ人通りが多いことで名をはせたというのに、これぞ神の御業か、日時を超えて今夜はハロウィンだった。


 ただの一般通過会社員に整理整頓の警察官、一部マスコミらしい一団に女子高生、そしてそれらの倍はいるであろうコスプレ集団、皆が今夜の祭りに浮かれて見えた。


 そんな場所で、聞きかじっただけでろくでもないと言える競技が、おっぱじまろうとしている。


「……勘弁してくれよ」


 旭は一人、溢した。


 …………この街で朝日が昇るまで生き残れ!


 召喚と同時に頭に響いた文言、幻聴にしてははっきりしすぎなメッセージ、それが今回の競技のルールの全てだと悟るのは簡単だった。


 だからと言って納得できるわけが、割り切れるわけがなかった。


 生き残れとは、裏返せば生き残れない状況に置かれるということ、それだけの事件、事故、厄災、競技が起こるということ、それを知っていて何もしないでいられるほど、旭は歳をとった覚えはない。


 何が起こるのか、何ができるのか、焦る気持ちに従い歩を進め、混雑する夜の街を練り歩いて、だけども得られたのは、別段異常がないという情報だけだった。


 どこ行っても溢れてる人、何の仮装なのかもわからない奇抜な格好の浮かれた連中に、その暴走を止めようとする警察官たち、彼らで儲けようと必死の飲食店にカラオケの店員たち、ペースとばしすぎて寄って潰れた女性に、ゴキブリのように邪な男たちが吸い寄せられていく。


 そんな中で旭が行ったのはゴキブリ退治だけ、そんなので済むほど競技が、現実が甘くないと知っていた。


 だけども、何をすべきか全くわからないまま、気が付けば三十分近くをさまよっていた。


 不安げな表情でくたびれたスーツ姿の中年男が徘徊する様は、このお祭り騒ぎには不釣り合い、人々の、特に警官たちの目線が心に痛い。


 こういう場面こそ、若い連中に任せるべきだと思うのだが、それはそれで危なっかしいなと思いなおす。


 ……とりあえず何か飲むか。


 移動により足に疲労こそ溜まっていないが、何もできてない事実から精神は疲弊していた。


 ここは甘ったるいホットコーヒーを、と人込み避けて自動販売機の前に、そこでふと、財布を持ってないことに気が付く。


 競技参加前、余計な荷物は邪魔になるからと向こうに置いてきた。その中に身分証含めた財布も、普通に考えれば競技に必要ないからと、置いてきた。


 こうなることを予期して小銭を持ち歩くべき、とは流石に思えなかった。


「うぉまじかよスゲー!」


 そこへ飛び込んできた若者の声、もう酒を飲めそうな年頃、格好は福沢諭吉、右腋に抱えているパネルは巨大な、だけど肖像画部分が丸く切り取られた一万円札、なかなか面白い仮装だった。


 そんな若者が、煌く目で見つめ、向かう先にはまた密度の高い集団がいた。


 様々な格好、アニメっぽいのから映画っぽいの、ふざけてるのもあればエッチなのも混ざって、その統一感の無さから元よりの知り合いではなく、この場で同じものに引き寄せられたのだと旭は思った。


 その引き寄せたもの、集団の中心、投げ上げられていた。


「ワッショイ!」


 赤装束の忍者の掛け声とともに胴上げされる人影、初老の老人に見えた。


 白髪頭でぴっちりとしたスーツ、旭のとは違って高級そうな服装、だけどその手は銀色の剣を抱きかかえていて、これもまた何かの仮装かと思った。


 しかし、この老人、ただものではないと、旭は瞬時に悟った。


 アピールしているわけではないが、それでも滲み出る、なんというか、オーラが、俗人とは違う、高貴な人柄を思わせる。


 例えるならば、旅のご隠居を名乗る水戸光圀当たりだろうか、きっと正体を知ったならば気軽に胴上げなどできないほどの重要人物だろう。


 ……だったら胴上げ、止めた方がいいんじゃないのか?


 この場の集団の中で、唯一アルコールが入ってない旭は思いつくと同時に焦る。


 ただでさえ競技にどうしていいかわからないというのに、この偉い人の胴上げ、何かあったら責任問題、そうでなくても巻き込まれて、ややこしくなる。


 かといって止めに入ってもややこしくなる未来は似たようなもので、だったら何もしないでいる方が効率的だと、旭の経験は言っていた。


「勝利じゃ! とうとうワシらはあのにっくき内閣調査委員会に勝利したのじゃ! 何が牛肉関税じゃ! 人名より経済優先は常識じゃろうが!」


 その老人の戯言、あれもまた仮装の一部だろう。


 もう、ほっとこう。


 思い旭、その場を離れる。


 程なくして裏路地、比較的人気は少ないものの、それでも普通の道では混雑しているレベル、女子高生の一団が携帯電話のカメラで写真を撮り合い、はしゃいでいる。


 それを何となく見てたら露骨に避けられた。


 ……まぁ、傷つきはしたけれど、危機感があるのは正しいことだと旭は思う。


 と、大道理の方より合唱が聞こえてきた。


「「「「「五! 四! 三!」」」」」


 時間帯からかんがみて、そろそろ日付が変わるのだろう。


 なら、何か起こるタイミングとしてはぴったりだ。


 旭、足を止め、意識を研ぎ澄ます。


「「「「「二! 一! ハッピーハロウィン!!!」」」」」


 ドンドンパフパフ、バカ騒ぎ、拍手に口笛、盛り上がってる。


 そこに『魔』の気配は、無い。


 平和そのもの、安全と言えるレベル、肩透かしか?


 ふぅと肩の力を抜いた旭、だが次の瞬間、アスファルトに携帯電話が落ちた。


 ごぼぼぼぼぼ。


 続いて聞こえてきたのは、水の泡立つ音だった。


 旭が振り返った先、泡立たせるは女子高生の一人、先ほど避けた集団の中で携帯電話で写真を撮っていた少女、ショートカットの茶髪でほんのりお化粧、丸っこくて可愛いと呼べる顔立ち、その顔面が、丸々水に覆われているのが見えた。


 ……ただの水ではない。ただの水であってたまるか。


 まるでりんご飴にかけられた飴のように顔の表面にぴったりと張り付いて、少女が鼻と口と息を吐き出すたびに泡立ちながらも決して剥がれようとはしない。


 続く短い悲鳴、少女の異変に気が付いた友人たちが訳の分からないまま、それでも友人のピンチに、各々その手を伸ばし、顔に張り付く水を引きはがそうとする。が、まるで顔方面に重力が働いているように、掴む先から指と指との間より水の雫が零れ落ち戻って、顔を覆い続けている。


 これは、あり得ない光景、あってはならない光景だった。


 少なくとも、旭は意識を切らしていない。


 だからこのような攻撃、いかなる術式であれそうでない別のものであれ、発動すれば、絶対に察知できた。できなければ引退すべきだ。


 だけど、事実、一切関知できなかった。


 さっき見た時には何の異常も感じられなかった。だとすれば後天的、一瞬目を放した隙に、誰かに何かをやられた。時限式の術式、周囲で慌ててる友人たちが犯人、完全催眠、時間を止められた、無数の可能性、そのどれもがありえそうで、考えが一切まとまらない。


 焦り、混乱、疑問、そしてかすかな恐怖、負の感情を抱えながら、それでも旭は少女たちの元へと走り出していた。


 ……ただわかること、これが競技の始まりだということだけは、はっきりと旭は確信していた。

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