冷泉 雪都とふぃっしんぐ 2
……雪都は六花特殊作戦群の彼女たちを、その実力を信じている。
少なくとも、実戦に出したとしても確実に生き残れる実力を十分に有していると判断したからこそ、この良くわからない異世界での戦いに反対しなかったのだ。
だけれども、それはあくまで雪都が知る実戦での話、それでさえ終わりを迎える前の一瞬のきらめきであり、最も過酷だった時代に比べたらぬるま湯のような実戦だっただろう。
海にあれほど巨大な生物がいるとは教えた覚えがない。
それでも彼女たちならばなんとかしのげるかもしれない。だが、それでもと最悪なことばかりを考えてしまう。
あんな怪物、人の身で倒せるのは、自分ぐらいだろう。
冷静に、そう分析しながら雪都は不安定な小舟の上で、構える。
海水に濡れた衣服が肌に張り付く不快感、それを上回るべっとりとした、視線、見られている感じ、時折シャワー中やトイレでも感じてしまうあたりあまり自信の無い気配読みだが、こればかりは間違いようがないほどはっきりと感じとれた。
あの怪物、水面に飛び出た一瞬で、確実に雪都の姿を捕らえ、そして食べたいと感じ、今も狙っている。
釣りとか競技とか言っている前に命の危機、それでも陸上にいれば安全だろうが、閉じ込められては意味がない。
仕留めるか、さもなくば追い払う。
心に決めた雪都の見ている海の向こう、音もなく、だけど山のように盛り上がった海水、その中から現れたのは緑色の肌の怪物だった。
三角形な口を真上に突き上げ、ゆっくりと、こちらに向かって、大きく丸い背を見せて、そしてまた潜った。
それだけの動作、怪物は二度三度と繰り返す。
その姿は水面に現れる度に大きくなり、即ち段々と近づいてきていると見えた。
……それだけではないと気が付いて、雪都は海を蹴った。
二重反作用空歩術、小質量の物質を足場に、宙をかける歩法術、凡人には奇跡にしか見えない神業で加速する先、待ち受けるのは壁のような高波だった。
あの動作、その巨体を持って水面を揺らし、波立たせ、届かない島の上の餌を海へと流し落す。
この怪物、賢い。
少なくとも普通の動物では考えつかないであろう知的行動、それを一瞬にして行える判断の早やさ、少なくともイルカやシャチほどに頭が良く、頑張れば芸の一つも教えられるだろう。
だったら実力差を感じて逃げ去ってはくれまいか。
僅かな期待を置き去りにして雪都、高波へ。
近寄ってわかるその高さ、身長の倍はあろう海水の襲来、当たれば島は無事でもその上の一切合切が流されてしまう。
阻止する手段、雪都は有していた。
共振爆砕脚、衝撃波で飛び道具などを吹っ飛ばす、これも神業、そこに別の神業、二重反作用空歩術を上乗せしての、まだ名も付けていない即興の大技が、高波の真ん中に大きなクレーターを穿った。
そして続くは爆発、迫る勢いに蹴りの威力がぶつかって、比較的弱い空中へ力が逃げた結果の大噴水、ダバダバと売り雪ぐ海水の雨の下に高波は無かった。
安堵、安心、その刹那に殺気の感知、雪都は降り注ぐ海水を階段として二重反作用歩術、駆けあがる。
その真下、いくつもの水面で泡立つ海面の下、まるでカーペットの柄のように浮かび上がるは、怪物の顔、それが大きく口を開いて、飛びあがった。
どの段階で下に来たのかは知らない。ひょっとしたら高波をより大きくするためにいただけかもしれない。
けれども雪都は誘い出されたと感じた。
真偽の確認はともかく、飲み込まれたら苦しい雪都、まるで逆巻く雷が如く天へと駆けがある。
それを追う怪物は、最早影、圧倒的なスケールと、だというのに滑らかな上昇は現実感を置いてけぼりにして、それこそ大きな影がただ動いているような錯覚に陥らせる。
そうではないことを、足元から立ち上る殺気が炙り出す。
ほんの少しの焦り、目に染みる海水、そしてたどり着いた頂上は晴天、大噴水の上、踏み台にする水のない行き止まりだった。
全身に太陽の光と、ほのかに吹く風を感じながら雪都は真下の怪物を見下ろす。
大きく開いた口、牙のない口内、若干赤く見えるのは舌だろうか? 開いてまだ雪都を見つめる黒い瞳、それが、止まった。
巨体、怪物、水生生物、水面より跳ね上がる大ジャンプは見事、だけども必ず高度の限界がある。
そしてそこに達した今、如何に怪物であろうとも逃げるすべはない。
今度誘い出したのは雪都の方だった。
靴裏に残っていた水滴を蹴って反転、落下、怪物へ、重力の乗った加速はのぼりよりもはるかに早く、刹那には怪物の開いた口、上あご唇に、その両足を乗せていた。
上手く行ったとの満足感、そしてほんの少しの罪悪感、噛みしめ雪都は放った。
共振爆砕脚、その下段、踵打ち、それもダブル、全力の一撃が怪物の上あごを、そこ伝わって頭を、さらに体に伝わり、海水に逃げて、まとめて吹っ飛ばした。
更に更に高く高く飛ばされた雪都、全身にへばりつくは海水の比ではない深いな赤い血液、同時に耳を叩く様々な音、怪物の亡骸に着地してやっと感じる生臭い臭い。
怪物とは言え、生き物を殺めたことに高揚感は無い。
それでも仕留めた。幸いにもこいつは99㎏どころか99tあっても驚かない大物、無駄ではないと思った矢先、雪都は無駄だったと悟った。
着地したのは緑色の、硬い、ひび割れた甲羅の上、果てには鋭い爪のある手足が見える。
怪物は亀だった。
それも陸亀、なぜこんなところにと思うより先、亀は魚ではないと思い出す。
愕然、徒労感、目まいを覚えそうな雪都に、更なる追い打ち、甲羅のひび割れより、茶色が飛び出した。
初めは、ただの木の枝、だけどもそれが蠢き、広がり、成長し、そして這い出て、雪都が危険性を感じたころには完成していた。
そいつは、あの一飲みにされていた釣り人だった。
人命救助、客観的に見ればよいことだけれどもこれは競技、敵を助けたことに違いない。
それでも折れない心で身構える雪都の前で、釣り人はその巨体、怪物に比べたら小さいがそれでも雪野と倍以上ある怪人が、立ち上がった。
その姿に脅威を感じると同時に、雪都はある考えが浮かび上がった。
……助けたのは貸し、ならば次の一手はそれを返してもらう、卑怯とは言わないだろう。
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