冷泉 雪都とふぃっしんぐ 3

 雪都はこの技が嫌いだった。


 相手を騙し惑わす幻術、相手を陥れ自滅させる妖術、冷泉家の技、紡いできた奥義、それが如何に合理的で強力で、実用的かは教えられるまでもなく知っていた。


 けれど、紛れもなく卑怯卑劣だった。


 相手の本領を発揮させず、不完全燃焼のまま、一方的に、こちらは無傷で圧倒する。


 命がけの戦いに綺麗も汚いもないとはわかっていても、だからこそ人の本質が現れる。


 それはまだ現実をしらないからだと叱責されたが、実戦を経てなお考えに変化はなかった。


 ……変化させたのは、彼女たちとの交流からだ。


 大人と呼ぶには遅なすぎる少女たち、常人とは呼べない異能を持ちながらその発揮する舞台を失った迷子たち、彼女たちの共感となって、力とは何かを教える立場となって、初めて自分の力と向き合えた。


 そして、例え卑怯卑劣な技を用いようとも、守りたいという気持ちを初めて理解できた。


 それでも雪都は、冷泉家の方針とはそりが合わない。


 けれども、受け継いだ力を使うことを、自分の歴史を受け入れることを、昔ほど嫌ってはいなかった。


 今が使うべきだと、使うべきだったと雪都は硬く信じている。


 表向きの理由はその身を一度は助けたから、加えて過剰な危害を与えたくないから、裏の理由は今しがた怪物を、怪物亀を退治して疲れているから、そして真の理由は、他に決定打が無いからだった。


 化物亀への一撃、生涯でも一度か二度、あるかないかの全力の一撃、その威力は思っていた以上、鼻先からの浮けた衝撃が流れて弾けて、硬い甲羅を内側から爆ぜさせ、こうして足の下で浮かばせている。


 歯がなかったから丸のみ、だけども腹の中、胃酸に窒息、そこにこの衝撃、受けて崩れた体を亀裂から引きずり出して、この釣り人は再生して見せた。


 生命力、治癒能力、あるいは変身能力、なんにしても協力とはいえ物理攻撃メインの白兵戦では分が悪い。


 故に出し惜しみなしの初手での切り札を切った。


 オーバードライブ、冷泉家由来の特大幻術、相手に望む結果をありのままに見せる絶対の必殺技、その名も『邯鄲の夢』解き放った。


 ……それらは全て過去形だった。だったはずだった。


 覚悟と理論武装、体調と間合い、雪都は紛れもなく狙い、そして確実に放ったはずだ。


 確かに放った感覚は残っている。当てた自信もある。


 けれどもまるで放ったその瞬間だけが切り取られたように、一切の手ごたえがなかった。


 幻術にかかったのは雪都の方だと暗に言っているように、眼前の釣り人には一切の変化が見られなかった。


 普通なら、取り乱すか惚けるか、あるいはもっと人に見せられないような行動をとるはず、にも関わらずただ平然と、怪物と呼んで差支えなさそうな巨体で立ち上がり、治りたての体を確かめるかのように手足背中を伸ばし解している。


 大前提、この競技は人対人と聞いている。


 ならばこれも人、ならば通用するはず、ならばこれは傀儡かあるいはもっと何かか?


 混乱する雪都を無視し、釣り人はスタスタと歩き出す。


 ゆったりとした動き、だけども巨体故の一歩の広さから、止める間もなく甲羅の淵より海の上へ、そのまま落ちた。


 慌てて追う雪都、だけども釣り人は無事、それどころか本当の枯れ木のように海水浮かび、滑るように移動を続けていた。


 その度に揺れえる海面は真っ赤、立ち昇るのはむせ返るほどの鉄の臭い、化物亀より弾け出た血液が周囲一面に広がり、粘りっこい波を立てていた。


 そこに、ポツリと現れた三角形、色々と疎い雪都でさえも知っているシンボリックなそれは、言うまでもなく鮫の背びれ、それが血の海を切り裂き泳ぐ。


 それも複数、ざっと見ただけで七は超えている。


 血の臭いに引き寄せられた。


 判断、分析、予測、そこから警告に移る前に、赤い海面が跳ねた。


 飛び出したのはやはり鮫、なんという種類化は知らないが目が『3』の字になってる間抜けな顔、だけども体は大きく、牙は鋭い。


 それと似たような鮫が複数、飛び掛かる先は釣り人だった。


 噛みつき、食いちぎるのは一瞬だった。


 肩、わき腹、頭、見事に鮫の歯型通に噛み取られる。


 けれども釣り人に一切の出血は無く、それどころか苦悶の声も痛む様子もなく、変わらず海面を進み続けていた。


 そうしている間もみるみる再生、失った部分が元に戻るのに数えるほどの時間もかからなかった。


 まるで自分が幻術にかかったかのような錯覚、それがそうではないと自覚しながらも、本当かどうか怪しくなっていく自分を雪都は感じざるを得なかった。


 言ってしまう釣り人の背を、ただ見送る雪都、赤い海面に移った影がわずかに揺らめき、飛び出してきたのは新たな鮫だった。


 見たことない種類、鼻先には黄色と緑の若葉のような模様、大きく開いた口にはずらりと牙が並んでいる。


 現実的で具体的な脅威、まだこちらの方がましだと、雪都は右手を立てる。


 摩擦熱切断手刀、チョップによる高周波ブレードと誰かは呼んでいたが、要するにものすごい速度で手刀をこすり付けてるだけの技、飛び出た鮫を迎え撃つ。


 続くは確かな手応えと、左右に流れる断面図、飛び出た鮫は半分に、若葉の模様を黄色と緑で綺麗にバッツリ、綺麗に割れた。


 それでも残っていた跳躍により亀の無き側に上った鮫は、左右合わせれば三十キロはありそうに見えた。


 そしてそこから滴り流れ落ちる血液、その雫が呼び寄せたのか、大量の鮫が周囲一面を囲んでいた。


 それもただの鮫ではない。


 鰓の横に蟹のようなハサミを一対持つ鮫、背中に砲塔を積んだ鮫、その奥には鯨のように大きな鮫までいる。


 更に亀の甲羅の反対側には上陸してきた半魚人たち、どれも鮫がベースらしいが白衣を着ていたりシスターの格好をしてたり着物姿に白塗りだったりしている。


 更に更に痛み、鮫を切った右手を確認すれば小指の付け根に小さく産毛のように張り付く何か、小さく透き通っているが間違いなく形は鮫が肉に噛みついてた。


 それを力任せに引きはがし、海へと投げ返すと途端にくしゃみ、そして悪寒、熱っぽさ、なんとも言えない感覚は風邪をひいた時のものだった。


 一斉に襲い来る鮫の脅威、常人ならば神を呪う絶体絶命を前に、雪都は逆に感謝した。


 ……相手が何者かは関係ない。この競技は釣り、戦うべきは魚だった。


 それが向こうから大挙してきている。


 感謝と、これから起こる虐殺への暗い気持ち、そんなの関係ない鮫たちが一斉に遅いかかかった。




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