優秀な管理者

        ☆


行き先はアイザックの執務室で、私がここに通されるのは初めてのことだった。大きなデスクと立派な椅子。室内にはそれだけで他に家具の類いは皆無である。


デリスが言った。


「おぼろげにしか掴んでないんだが、極東で何かあるようなんだ」


アイザックがノートPCを私に渡す──アイザックとノートPCという組み合わせは新鮮に感じる。データ処理をすべて内蔵の集積回路で完結できる彼にとってPCは人間とのコミュニケーションツールなのだ──画面には極秘扱いの文書が映っていた。内容は短い。


日本、台湾、インドネシア、フィリピンといった極東地域でテロ活動のリスクが高まっていることを伝える内容。警告だ。


「テロがあるの……?」


「まあどこかの都市であるんだろう」


「極東アジアでは少ないって聞いたけど」


テレビニュースの範囲だと組織的なテロ事件はヨーロッパと中東に集中している。


「少ないからセキュリティはどこも甘い。東京だって平時には甘い。お前は東京出身だから心の準備をしておけ、トラウマになるような映像が出てくるかもしれんからな」


「そんなに確率が高いの?」


「世界的ニュースになるだろ。知名度が高いとこでやるから」


「日本政府は知ってるの?」


「アバウトな情報はいってるさ。どこかで何かがって。爆破されると映像的に映える場所はどこかな」


「都庁とか高級タワーマンションとか……で、それとスカイウルブス関係あるの?」


「SWというかアイザックの仕事の一部でもあるんで俺は補佐的な役割を務めてる」


アイザックが言った。


「相談する人員もいないので」


「いやあなた統治AIと直結してるじゃない」


「人間風に言うとアニエスはこういった事柄で手を汚したくないんですよ。関わりたくないのです。アニエスにかぎらず分身たちもその末端たちも。もちろん世界政府に直接来るなら迎え撃ちますよ。

しかしテロから人類を守るために動くとはいっても単に義務感でやるだけですから。仮に何百人死のうと人類全体の統治からすれば微々たるものでしょ」


そりゃそうだけども!


「そりゃそうだけど……テロに関しては世界政府が対応するって宣言してるから安心してるわけで」


「それは方便ですよ」


私は少々カチンときて考えもなく思い付いたことを口にしていた。


「だったらテロ対策AIみたいな分身作ればいいのに」


デリスは私の発言に驚いていた。


「なるほどな。いま気がついた。テロというやつには“人間”が詰まってる。だからAIは苦手なんだ本質的に。アイザックの様子にも納得がいく」


「様子?」


「なんだか辛そうなんだ。顔には出ないけど」


「そうなの?」


「ツライですね。ノイズが全身を駆け巡るみたいで」


「ほえー」


「ほえーってなんだよ」


「いやなんか人間ぽいなあって」


「いやもう人間だろもはやアイザックは」


「ところで根本的な疑問なんだけどタナトスは何やってんの?」


そもそも特務機関タナトスの主な役割がテロ対策のはずだ。


デリスは「え?」と言いアイザックも同じ反応をした。


アイザックは声を落としてデリスに言った。


「機密として話していいんですかね」


「俺に訊いてどうする……やばいだろ……根幹に関わる話だし言わない方が」


「なによ? 機密なら守るわよ」


「個人的に困ってて、タナトスはいま機能休止してるんですよ。データベース機能は維持してますが。他も休止とまではいかないにせよ、内部分裂していて円滑な運営ができてるとはとても言い難い」


「どうして? 原因は?」


「基本的にAI勢プラス人間で構成されてますから、あまりうまくいってないんです。AI統制に対するアレルギー、反発というのは簡単になくなるものではありません。組織の話ですから軋轢が起こればそうした負の側面は増幅します」


「ああそういうもんか」


「ふつうにやれてるのはこことイギリス支部くらいでね。安定してるからって私のところに煩雑な仕事が回ってくるんです。まったく機械生命体用のタバコやお酒がほしいですよ」


スイッチングで何とかならないのか。ハッピースイッチ的なもので。


「優秀だと優秀ゆえに苦しい立場に置かれるんだよな。組織のつらいとこだ」とデリス。


「ここって他と何が違うんだろ」


「天才がふたりもいて責任者がとびきり優秀」


「そうか」


「タナトスはお前がさっき言ったようにテロ対策用AIを作って指揮にあたらせないと無理だよ。システムの改善が必要だ」


「改善の要請は出しているのですが動きがないのです」


「やる気がない?」


「むしろ意図をもって放置してるように見えますね」


デリスが言った。


「それはあり得るな。実験に近いよな」


「それはその通りでこうなることはわかっていたのですが」


雇用を生む生産体制の維持はわかる。だが私は問うた。


「どうしてこんな非効率なことやるの?」


「いや、人類の統治なんてもの自体が非効率ですよ」


「変に合わせてくれてる?」


「さあ? 上の考えてることはわかりません」


しばしの沈黙の時間が流れ、デリスがつぶやくように言う。


「独裁にはしたくないんだろうさ。そういう禁忌を設定してるような気がする」


「ともかくテロは未然に防いでくれって感じ」と私。


「そういやお前アレアの動画見た?」


「見た」


「あれいいよね」


こういう、コロッと話を切り替えるデリスは接していて気持ちよかった。時々頭にくるんだけど。




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