食堂
☆
21時を回った頃にアレアから連絡が入り部屋に来てほしいと言うので行ってみると、彼女はいくぶん普段の明るさを取り戻していた。
「さっき食事とったら回復した」
「そう。次があるわ」
「それはそれとして、ネット見てると気になることがあってね。固有名詞は書いてないんだけど明らかにSWについて言及してる投稿がちらほら出てるのよ。噂では世界政府が極秘に戦闘機を使っての戦闘をやってるって。もちろん次々に削除はされてる。だけどやっぱり出てくる」
「アンダーグラウンドでバレ始めてるって話はちょっと聞いたことある」
「違うの。一般的なサイトのなかでよ」
「まあいつまでも秘匿にはできないでしょうねえ」
世界中のジャーナリズムが統治AIの管理下に置かれているとは言え、相手は人間である。完璧に押さえ込むのは無理だろう。
私たちはそのシステムのなかにいるので疑問を持つことはないが端から見れば“中東系アジア系民族を消耗品として扱う機関”であることは間違いない。
最初からアフリカ系全般、GB国籍の黒人、白人が対象から外されていたり(ちなみにGB国籍の黒人、白人には職業強制の拒否権がある)、欧州に対しても白人の採用例は極めて稀で人種の偏りがあるのは事実だ。
しかしどんな時代であれ世の中には表と裏がある。どんな歴史にも表と裏がある。私たちは裏側で世界の秩序を支えている人柱なのです。言ってみればね。
アレアは言った。
「今日は今日の日を刻むために今日の私をアップしとくわ」
自分のインスタグラムに投稿するということである。ここの全従業員のなかで唯一SNSでの写真や動画の投稿を許されているのが彼女である。
といっても自室のなかでの写真や動画の撮影のみだ。彼女は芸術面の才能があって趣味の絵画を載せたり、踊る動画を載せたり、ギターを演奏する動画を載せている。
他のパイロットたちは芸能人やアレアのページを見るためだけにインスタ登録している。私も含めて。これは彼女がしつこくアイザックに頼みつづけて勝ち取った権利だった。
「楽しみにしとく」
私はそう返して彼女の部屋をあとにした。
☆
自室に戻りいつもの地味な日課に私は取りかかった。机の上に歴史書を開き、その脇にタブレットを置いてこちらの世界の世界史の勉強である。私は立場上、公式な、つまり表の歴史だけでなく裏の歴史も学ばなくてはならない。
統治AIは歴史に何も手をつけていないが、人類の側でかなりの変更、操作が行われているからだ。ため息が出るハードさがある。どうして強化するときに頭も強化してくれなかったのか大いに疑問だ。
裏舞台に属するあなたは裏の歴史とノンフィクションの歴史も頭に入れておく必要がある──これは目を覚まして三日目にアイザックが私に述べたことで事実上の命令であった。不満だ。不満である。
こちらで生きていく上で必要なのはわかるのだが、それなら常識だけでいいんじゃないですかね?
私はコーヒーを飲みつつ頑張った。誰か誉めてください。
☆
夜が明けると今日の私はすぱっと目を覚まし、すぱっとベッドから飛び出した。
今日はカミルと模擬空戦訓練がある。へこむのは慣れてるからどんと来いである。何度へこんでうずくまろうと、何度でも立ち上がるさ。
朝食をとりに食堂へ行き、かるいメニュー、サンドイッチとサラダを食べていると正面の席にどっかと勢いよく若い男が腰を降ろした。
ヒュンケルである。A級で私と同い年、彼もカミル派だ。フライトシミュレーターでの成績は抜群に高い。
「お前、今日の訓練を断れ」
「お前呼ばわりされてもね。なぜ?」
「本来なら俺の方が先のはずだ。遠慮しろ」
「決めるのはカミルだけど」
「いやお前はふつうの人間に配慮するべきだろう。カミルの温情に甘えるのもたいがいにしろ、みんなも本心ではそう思ってる」
「みんなって誰? 名前を言いなさい」
「本音なんか言うわけないだろ。特別扱いはみんな不満に思ってるさ。口に出さないだけでな」
「変な圧力で私を参らせようって魂胆なら、私も力で応じるしかないよ」
「お? 今度は暴力でか?」
「正当な暴力。もうあっち行って」
「こういう特別扱いをお前が受ける度に、みんなの不満も蓄積していくってことを頭に叩き込んでおきな。人間には人間社会ってもんがある。お前はそこへの配慮がない。うまくやっていこうという姿勢がない」
「協調性に欠けるって点は認める。だけど自分の仕事はちゃんとやってる。あんたに文句を言われる筋合いはない」
「まさにそこんとこだろ……、もう二年を過ぎてるんだ。立ち振舞いには気をつけな。おっと、いつものように“やかましい”か? お前どんどんクズになってるぞ。傲慢さが増す一方だ」
「あんたの主観だろ」
「主観で言うさ。いちいち気にさわることをし、気にさわる言動をしてるのはお前だ。お前がそうさせてるんだ」
奥で食堂のおばちゃんたちがざわついていた。そんなにあることではないので。
「あんたの内面なんか知らん。不満は自分のなかで解消しなさい」
「おお、えらそうに」
まあ、あれだ。彼もここにデリスがいたらこんなことは言わないのだ。チャンスと見たのだろう。その気持ちはわかる。私は少し哀れな思いがしてきた。
するといつの間にか厨房にいたひとりのおばさんがそばに来ていて、ヒュンケルに言った。
「いじめかい? どういう了見なんだい?」
「おばさんには関係ないです」
ばちん、と派手な音がした。
おばさんの張り手が飛んでいた。ヒュンケルは椅子から落ちそうになり、しかし彼はこらえた。
怒りの表情でおばさんを睨み立ち上がろうとするところへ、おばさんは厳しく告げた。
「デリスに言われてるのさ、何かあるはずだから気を付けといてくれって」
「……!」彼は驚いた顔をしている。
おばさんは張り手をかました右手をエプロンで拭きながらこの場を去っていく。
私は静かに言った。
「あんたの言い分は聞いた。充分でしょ」
「……充分じゃないね。俺の言ったことを忘れるなよ、ここにいる間はな」
いやすぐに忘れるだろう。
私はサラダを口に入れ、もしゃもしゃと食べた。
ヒュンケルは黙って席を立ち、そばにあった椅子を蹴っ飛ばしてから歩いていく。
すると銀色のトレイが厨房から回転しながら彼のところへ飛んでくる。
「おわっ」と言って反応するヒュンケル。幸いにも当たることなくトレイは床に落ちた。
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