病棟

        ☆


別室(職員が寝泊まりする部屋。ビジネスホテル並の家具が揃っている)で休息と仮眠をとったデリスが私たちのいる会議室に戻って来た。


「病棟に行こうと思うんだけど」そうアイザックに言う。


入院している琉のところにだ。琉にはレッドアウトの後遺症が出ていて療養中というのは私も聞いている。視界がぼやけるのと偏頭痛がつづいているらしい。


強Gの機動を行うとままある症状である(ここのところが空戦パイロットに強化人間が求められる理由だったりする。ブラックアウトも含めて私には経験がない)。


「彼とは話したのですが、かなり弱ってましてね……」


「うん」


「正直に本音を言えばここ沖縄に残りたい気持ちが強いと」


「すぐに結論を出す話じゃなかろう。まず体を元に戻してから考えるべきだろう」


「そう言ったのですがね。あの性格ですからあんまり言うのも逆効果なので説得まではやってません。……自分がいかに恵まれていたか初めて気づいたそうです。弟のことで責任も感じてるようで」


「……ばかな、関係ない」


「我々にはどうにもできない部分ですよ」


デリスは黙り込んだ。


と、外で航空機の音が聞こえてきた。ゆっくりと近づいて来ている。CX6輸送機だ。特殊部隊はこちらへ来たCX8で先にGBへ戻っていた。


「迎えのCX6が来たようです。今夜22時にネバダ支部に戻りますからそのつもりで」


「ともかく会うだけ会ってみるよ」


デリスはそう言い、コーヒーを用意し始める。

私も気が重くなる。何とかしたいがどうにもできない。


        ☆


移動用車両を使って到着した病棟は居住区画の端の方にあった。こじんまりとした三階建ての建物で、わりと新しく見えたからデリスに訊くと場所が変わってるから移設したんだろうとのこと。


アイザックは用事があるようでふたりだけである。私たちは入り口の自動ドアを抜ける。


「あ、カミル」


私は思わずそう口にしていた。

病棟のロビーのソファーにカミルの姿があったから。飛行服姿である。立ち上がってこちらへやって来る。


「アイザックの許可が出たから乗ってきた。お疲れさんデリス。ほんとに」


「べつの仕事ができたんでまだだ」


「?」怪訝な顔のカミル。


デリスはテーブル席にカミルを連れていき事情を説明した。

聞き終えるとカミルもまた沈鬱な表情になり「困ったな……」とつぶやく。


デリスは心底参っているようだった。声が打ちのめされた人間のそれだった。


「元々、ここへ帰るのがあいつの夢だったわけで、どうしたもんかね……」


「いまはそっとしておくしかない、と俺としてはそんな答えしか出てこないな」とカミル。


「あいつを天涯孤独の身にしてしまった」


「それは違うだろ、ソニア違うって言ってやれ」


「それは違う!」


「違わない」


デリスは横を向いて目を潤ませていた。


「違わない」


そのままぼろっと涙がこぼれて、私はびっくりした。


「なんでこんな目に遭うんだ」


そんなことを言うデリスを初めて見た。


「いや、いまのは取り消す。いまのは忘れてくれ。……琉が聞いたらぶん殴ってくるだろう」


デリスはハンカチで鼻水を拭き、琉に立ち会うべく気を取り直している。


しばし時間をとったあと私たちは琉のいる病室へ向かった。カミルがいてくれてほんとに助かった。私には重すぎて何の力にもなれない。


        ☆


ノックのあと返事を受けて病室のドアを開けると、デリスはいつもの感じを装い、やや明るく演出した声で言った。


「琉、体大丈夫?」


ベッドの上、患者衣を着ている琉は私の目にも確かに弱っているように映る。


「頭痛がひどいくらいで体は平気だ」


デリスは言った。


「すまん。巽は俺が始末した」


琉はふだんと変わりない雑談と同じテンションで言った。


「聞いた。お前でよかった」


「動けるんなら今夜の便で一緒に帰ってもいいんだが」


「医者が言うにはしばらくは安静にしろだと。医者が納得するまでは入院させつづけるとアイザックに言われてる。頭に来るがどうしようもない」


「そうか」


「カミルも来たんだな……よう」


デリスの後ろにいるカミルを見てそう言う。


「四人一緒に迎えに来たんだがそうもいかんか」


「わるいな、せっかくここまで来たのに。……が、ちょうどよかった。聞いてくれ。ソニアもな」


琉はうつ向いて言った。


「俺はもう飛ばん。キレイに敗れたし、潮時だと思う」


私の目から見て、琉はひどく疲れていた。彼のエネルギーレベルは著しく落ちている。あんな凄まじい機動をする人が、まるで天体の動きを凝縮したような機動で空を切り裂く人が、いまはふつうの人になっている。デリスが努めて冷静に言った。


「今回のはノーカウントだ。わかってるはずだ」


「運も勝負の要素」


そう言ってから彼は顔を上げ、私たちの方を向いた。


「キリンクスとか……みんなにはお前から説明しといてくれ。デリス。嫌な役でわるいがお前にしか頼めん」


「俺はべつの人間になる。俺のことは忘れるよう言っといてくれ」


デリスは黙って聞いている。

しばしの沈黙のあと彼は言った。


「わかった。それはそれとして来月は命日だ。最後の墓参りに来いよ。旅費は俺が出すから」


「考えとく」


病棟を出ると私たち三人はがっくりと肩を落として車に乗った。運転は私だ。移動用にあてがわれたスバルのSUVを発進させる。車内の空気は重いが落ち込んでもいられない。


私は今回の経験を消化し自分の血肉としなければならない。でなければ様々な犠牲というものに対して失礼だろう。すべてを全身の細胞で受け止めるんだ。






           [第三章・幕]


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