武蔵と小次郎
☆
目を覚まして支度を済ませ遮蔽カーテンを開けるとデリスがテーブルで食事をとっていた。コーヒーを飲みつつ私を見ると「おはよう」と言い、サンドイッチを頬張る。何だか元気そうだ。
「なんか回復した感じ」
「誰が?」
「デリスが。私は体がだるい」
「俺はだいぶ回復したかもしれん。さっきも走ってきたし」
「そうなの?」
「夜、一周走って、寝て、6時に起きて2周走ってきた」
「かえって疲れそうだけど」
「まああれだ、キャブ車に乗るとそれだけで元気が出るよ」
「キャブ車があってよかったじゃん」
「中古バイクとしては本体自体はそっちが安いからね」
そっか。訓練生のやつだからか。こちらは勝手に使ってるわけであれこれ言うのも何だが。……私も借りて乗ろうかな。私はこだわりないからFIでも電動でもかまわない。
小型冷蔵庫から私の分のサンドイッチを持ってきて、デリスが淹れたコーヒーをサーバーから分けて貰う。
「今日は日時を発表してほしいものね」
「イライラするからそのことは考えんことにした。流れに身を任せるのみだ」
私もそういう風にできればいいのだが。
「アイザックは?」
「バタバタしてるな。ここの再建もあるし、整備体制も確認せないかんし、中央とのハブの役割もあるし……、いま言うのも何だけどSWは過渡期に置かれてるからな」
「過渡期?」
「もう国際社会なり世間なりに隠していられるのは限界が来たってことさ。もう不可能だ。俺たちは覚悟を決める必要がある」
「今回の件は世界ニュースになったからね……」
「結局、よくもわるくも肝心な部分は旧体制のままなんだよな。今回のことで痛感した」
「肝心な部分?」
「末端が犠牲になる仕組みはそのまま」
私は黙るしかなかった。返事が思い浮かばなかった。
「あれこれ考えても仕方がないけどな」
デリスはそう言うと仮眠をとる準備を始めた。眠っても2、3時間で目が覚める状態らしい。彼にとっては珍しくないことで彼が言うには「エンジンに火がつくといつもこんな感じ」なのだそうだ。
いつまでもそんな状態だったら寿命縮んじゃいますよ。
☆
23時。結局この日も事態に進展はなかった。武蔵と小次郎みたいなもんかと私が言ったらデリスはそのストーリーは知らないと言う。そうなるか。琉は知ってるだろうけど。
昼間にはバイクを見に駐輪場に行って懐かしいものを私は目にする。デリスが選んだ一台にBIG1があったのだ。再塗装したのか光沢のある赤いタンクである。
「BIG1だ」と私が言うと少しデリスは驚いていた。
「知ってるの?」
「うちのオヤジが一年くらい乗ってて。すぐ125スクーターに乗り換えたんだけどこれはよく覚えてる。白赤の車体だった」
「ホンダのバイクを代表する一台だからね。こいつはレストアに金かけてあるよ」
「へえ、じゃあ調子いいんだ」
「かなり」
15台くらい並んでいたのだが私自身が乗りたいと思うものはなく借りるのはやめにした。その時、滑走路の方から甲高いエンジン音が響いてきた。
「一応、エンジン始動はやっておこうってことで」
「23か。行かなくていいの?」
「お前が寝てる間にやるべきことは済ましてる」
三分もしないうちに音はやみ、元の静寂が戻る。デリスは大きなあくびをして「帰ろ」と言って駐輪場を出ていく。
不思議と胸にあった不安感がなくなっていることに私は気づいた。この時の私の頭のなかには、なるようにしかならん、とそう言っていたデリスの声が響いていた。
──私があれこれ頭を悩ましても意味がない。とにかくやれることは私自身を休ませること。
会議室に戻った私は簡易ベッドに体を横たえた。
☆
6時半辺りの時刻。私はサイレンの音に起こされた。それは短く響くとやみ、施設に動きが出てくる。簡易ベッドから飛び起きると室内にアイザックがいて、彼はスピーカーホンでデリスを呼び出すと言った。
「スクランブルです。ただちに滑走路に行って下さい」
「やられた。了解。イライラさせやがる!」とデリスの声。
彼は外にいる。ということはバイクで走りの最中だったようだ。
──これが狙いだったか。スクランブルなど私たちにはまったく馴染みがない。
アイザックが私に向いて言った。
「こちらのレーダーにかかる前に、F22の方から連絡してきたんです。もうすぐ戦闘空域に入る、デリスを寄越せと」
勝手なことを言う。対戦を約束したのはデリスだがそれを逆手に取るようなやり方だ。
もちろんアイザックはこうしたことも想定していて態勢は整えている。といってもこれは施設側の対応であってスカイウルブスのパイロットはスクランブル(緊急発進)など誰も経験していない。
デリスに戸惑いがゼロということはあるまい。いつもと違う発進である。言わば未知の領域。
私は急いでフライトジャケットをはおり、デリスに教えられた通り管制塔の屋上に向かった。
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