帝国愛歌−龍の目醒める時−

乙矢 環

龍の目醒める時

プロローグ

 淡い色の花が咲き乱れる野原を、まるで二分するかのようにその川は流れていた。


《約束、して頂けるのですね……?》


 仄かに青く光る珠が言葉を紡ぐ。今にも消えそうな、小さな声で。

 差し出された掌の上でふわふわと揺れる珠は、あと少ししかこの場所にいられない。それを知っているから、此処に来た。


「必ず守ります」


 それを聞くと、珠は嬉しそうに微笑んだ。表情が判るわけではないが、その身を包む光が明るくなった事で容易に想像がつく。


《あなたに残酷な事をするのに?》


 自嘲気味に笑ってその人は言った。


「私達のせいだから。私達の方が、貴方達に辛い想いをさせてしまっているから」


 珠が一人きりでこんな所にいるのは、自分達の責任。


「ごめんね……」


 そう言ってもう片方の手を差し出すと、珠はスッと高く浮かび上がった。


「約束は必ず守るから。だから……だからそれまで……どうか、ゆっくり眠っていて」


 珠はパアァッと紫色の光に包まれ、空気の中に溶けていったのだった。





 ◆◇◆◇◆◇◆


 この哀しみは……この憎しみは……一体いつになったら消えるのだろうか?

 それとも、もしかしたら一生、消えないのだろうか?



「許さない」


 絶対に。

 自分をこんなにも醜い憎悪の権化にした者達を。大切な、大切なあの人を無残な姿にした者達を。そして、何もしてくれなかった全ての人々を。

 何も出来なかった、自分自身を。

 絶対に許さない。



 果てる事のない哀しみを抱いて、少女は涙を流す。

 自分から愛する者を奪った者への憎悪は、衰えるどころか日に日に激しさを増していった。そして、同時に膨らむ喪失感と孤独感。

 救ってほしい。

 愛するあの人を甦らせてほしい。

 それが無理ならばせめて、せめて……彼を死に追いやった者、彼を救ってくれなかった者、全てに罰を与えられるだけの力を与えて下さい。

 どうか……!

 少女は願う。

 理不尽な願いだとは、無理な願いだとはわかっている。けれど、そうでもしないと生きてはいけなかった。

 ただ憎むだけが、生きる力。

 だから。

 どうか、私に力を!


《泣かないでおくれ、私の愛しい巫女。黄の巫女》


 慈しみに満ちた声が、直接頭の中に響いてきた。不思議と懐かしさを覚えるのは何故だろうか。


「誰?」


 恐怖は無い。こんな異常な事態だというのに、恐怖という感情は一切浮かんでこなかった。

 声は尚も優しく告げる。


『私はコウガ。黄の巫女と運命を共にする者。紫龍しりゅうの命により眠っていたが、我ら龍族は巫女の願いと共に生きている。忘れてしまったか?』


 少し寂しそうに問い掛けられ、少女は胸が締め付けられるように悲しくなった。

 深く、深く。魂に刻み込まれた掛け替えのない存在。

 おもい、だした。


「コウガ……私の愛しい、龍の君」


 途端に辺りは黄色い光に包まれ、力ある者の訪れを告げる。


「現在の黄の巫女に会うのは初めてですね。私がコウガです」


 龍の姿ではなく、人の姿で。黄色掛かった黒髪を短く刈った青年が其処に立っていた。


「私を目醒めさせた理由は?」


 軽く首を傾げて、コウガは楽しそうに問う。そしてしばしの逡巡の後、少女は答えた。


「この国で一番幸せなあの二人を、不幸のどん底に突き落とす力を、私に与えて」


 少し哀し気に伏せられたコウガの黄玉おうぎょくのような瞳を、少女は知らない。


「わかりました。それが貴女の望みならば」


 顔を上げたコウガは、もう既に不敵な笑みを浮かべていた。

 それが、貴女の望みならば……

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