第12話

「そう。しかし、龍は元からギルアにだけ生息していたのではない。それよりも昔は、様々な場所で龍は生きていた」


 龍がギルア帝国にだけ生息の場を留めたのは、生命石が狙われた時、唯一龍の為に立ち上がった国だったからだ。

 自分達を敬い、愛してくれるギルア帝国の民。絶望と哀しみに支配され、やがては人間を憎むかも知れなかった龍達には、本当に救いだったのかも知れない。

 ただ、『大好きだから』と。自分達の為に戦ってくれる人間が、たった一人でもいたから。


「だから、ギルアは龍ととても深い関係を持っている。特に皇族は代々ずっと龍の事、魔法の事を教えられるんだ。ライラは元から皇族というわけではないけれど、俺と一緒に教わっていた」


 ギルア帝国の民はみんな龍を愛し、奉っている。絶滅してしまった今でさえもだ。そしてそれは、ライラとて例外ではなかった。

 あんなに嬉しそうに龍の話を聞いていたのだ。カルスの父親の膝に二人して座って、いくつもの話を教わるのが何よりの楽しみだった筈だ。なのに。

 ライラは事もあろうか黒魔法使いと一緒にいる。ギルア帝国が一番憎むべき相手と。


「じゃあ、皇妃様はそれを知った上で黒魔法使いと一緒にいるんですよねぇ」


 顎の先に人差し指を置いて、トパレイズは言う。全員の視線が集まった。


「それって……」


 ちらりとライラに視線を向ける。ぶつかった紫の瞳は、瞬きもせず真っ直ぐこちらを見ていた。

 楽しそうに瞳を細めてから、トパレイズは言い放つ。


「完全なる裏切りじゃないですかぁ!」


 キッとライラを睨み付けた。


「非道いです皇妃さまっ!皇帝陛下がどんなに皇妃さまを愛していらっしゃるか、御存知ないのですかっ⁉」


 彼女の言葉に導かれるようにして、ギルアの者達が一斉に憎しみに満ちた瞳を向けてきた。

 ライラが裏切った。

 そう言葉にする事で、皆の心にあった不安を上手く憎しみに変えてしまったのである。


(さぁどうするの、ライラ。もうやめてしまう?)


 合わせたままの視線。誰にも聞こえない言葉が、ライラにだけはわかる。

 小さく鼻先で嗤うと、つい、と顎を上げ、傲然とギルアの者達を見下ろした。


「知ってるわ。だからこそなんじゃない」


 憎しみを煽るだけなのに、わざとその言葉を選ぶ。

 傷付いた様子どころか、怒りさえも見せずにそう言ったライラの意図が見えなかった。

 何が。それだけが頭を巡り、彼女の言葉の意味を理解してくれない。


「わからない?その方がよりショックは大きいでしょう?」


 絶句する。憤死しそうな程怒りが込み上げてくるというのに、言葉は一つも口をついてくれなかった。


「実際、効果はあったようだし。ねぇ、カルス?」


 カルスは他人事のように自分の微笑みを見ている自分がいる事を知っていた。

 ライラに別れを告げられた。たったそれだけの事で自分を見失うなんて、彼女に嗤われても当然である。

 けれど、彼女にとっては『それだけの事』でも、自分にとってはそうじゃなかったのだ。

 あぁ、そうだ。絶大な効果だったよ。


「───わかりました」


 ライラの瞳をしっかりと見つめる。そして微笑んだ。

 彼女の瞳が見開かれていくのを、卑屈なもう一人の自分が嗤って見ている。


「つまらない事でお時間を取らせてしまいまして、誠に申し訳ありませんでした」


 何の愛情も示さないカルスの瞳。そこに自分が映っているのだと、知った。


「シスト王妃」


 そう、これで良いのだ。

 こうなるように何度も仕向けたのだから。

 嫌われるように。

 怨まれるように。

 憎まれるように。

 自分はもう、あの愛に満ちた瞳に映される事はない。

 ゆったりと微笑んで、ライラは応えた。


「こちらこそ、至らぬばかりで申し訳ありません」


 真実の決別。


「ミラ皇帝陛下」


 カルスは軽くお辞儀をすると、くるりと身を翻した。


「疲れたので、今日はこの辺で下がらせていただきます」


 その言葉だけを残し、カルスはホールを後にした。慌ててギルア帝国の者達も退出する。

 それを見届けてから、ライラも身を翻した。

 その途端。


「ギルア皇妃の次はハリシュア王妃ですか?よろしいですわね、お美しい方は」

「どうすればそんな風になれるのかしら?お教えしていただきたいわぁ」


 あのトゥーラ・ムーディー姫を筆頭に、何人かの姫君達がライラの元に集まってきた。

 誉め称えるような口調で言ってはいるが、誰が聞いてもわかる程の皮肉が込められている。


「おい」

「申し訳ありませんが」


 見兼ねたヴァイネルが姫君達を諫めようとしたが、それよりも強い意志の声がそれを遮った。入り込む事を許さない、断固とした声である。


「私には今、姫君方のちゃちなお遊びに付き合って差し上げる程、穏やかな心はありませんから」


 笑って、傷付かない程度の言葉を返す程の余裕は、今のライラにはない。


「それでもとおっしゃるなら、いくらでもお相手して差し上げますよ?私も、気が紛れるでしょうし」


 ただし。


「立ち直れない程けちょんけちょんにしてしまうだろうと言う自信はありますから、そこの所はどうぞお忘れなきよう」


 しーん。と静まり返る姫君達を尻目に、ライラはにーっこりと満面の笑顔で告げた。


「あらぁ、遊んでくれないのですか。残念ですわね」


 ぞわわわっと全身に鳥肌が立った。

 本能が告げる。今この人に関わってはいけない、と。


「それでは私も下がらせていただきます」


 今度こそ誰も邪魔をしない。


「紫杏」


 呼ばれた紫杏はいつものようにライラの手を取ってエスコートしようとしたが、やんわりと断られてしまった。


「大丈夫よ。一人で部屋まで戻れるから。あなたも今日は疲れたでしょう?ゆっくり休んで」


 それから少し戸惑うように、両手で紫杏の手を優しく包み込んだ。労わるように、とても優しく。


「ごめんね……」


 その言葉の示す意味を、紫杏は知っている。だからその白い手を強く握り返してやった。

 言葉を紡がなくても、それだけでわかると信じているから。


「ほら、早く部屋へお帰り」


 ぽんぽんと背中を叩いて送り出す。


「ん」


 すると慌ててヴァイネルが女官達に言うのが聞こえた。


「お前達、リル皇妃陛下のお部屋にお茶を」

「ヴァイネル陛下」


 ぴたりとヴァイネルの動きが止まる。


「私はシスト・ジュエルです」





 それと同じ頃、カルスの部屋の前でも似たような事があった。

 側近であるマルグスが、一緒に部屋に入ろうとしたのである。お茶の準備やらなんやらをしようと思ったのはもちろんなのだが、それ以上に心配だったからだ。けれど、カルスはそれを断った。

 お茶など飲む気分ではない。

 心配してくれているのはわかるが。こんな事を思うべきではないとわかってはいるが。

 今はどうしても、煩わしくて仕方がなかった。


「すまない」





 二人は言う。

 違う場所で。

 同じ時に。

 決して逆らわせない響きで。


「誰も部屋に近付くな」

「誰も部屋に近づけないで」


 と。

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