第13話
コンコンコン。
扉をノックする音で、ライラはクッションから身を起こした。
「どうぞ」
もう落ち着いている。貴族の姫の嫌味でも、ギルアの者の憎しみでも、全て微笑んで躱せると自信を持って言える程に。
「入っても良いか?シスト」
扉を開けてそう言ったのは、手にお茶を持ったヴァイネルだった。
一瞬驚いた顔をしたライラだったが、すぐに笑顔を浮かべた。花が咲いた瞬間のように、空気が華やぐ。
「確かにお茶は頼んだけど、まさか国王陛下自ら運んできて下さるとは思っていませんでしたよ?」
つい先程、何時間かぶりに部屋を出た。と言ってもお茶を頼みに行っただけなのだが。
しかしそれが『部屋に近付くな』を無効化する事だと彼にはわかったのだろう。つまりは様子を見に来たのだ。
「運んできた程度で驚いてどうする。このお茶は私が入れたんだぞ」
「え、ホントに?」
こくんと頷くヴァイネルと、受け取ったカップとを見比べる。
まさか国王がお茶を入れるとは。
そういうライラもお茶くらい自分で入れられるのだが、それは自分自身が変わっている───皇妃らしくない───からだとわかっている。
普通は、王族や貴族と呼ばれる者は女官や執事にすべてやってもらうのだ。
「すごいと思うのなら、さっさと飲んでくれないか?」
わざと怒ったように腰に手を当て、覗き込むようにして言ってくる。
ライラは慌てて一口飲んでみたが、お世辞抜きで美味しかった。喉を通る瞬間の冷たさも心地良い。
「おいし」
ずっと部屋にこもりっぱなしで喉が渇いていた事もあって、ライラはカップのお茶をすべて飲み干した。
にこにこと機嫌良く立ち上がり、空になったカップをテーブルの上に乗せる。その背中に向かって、ヴァイネルは真剣な口調で問い掛けた。
「お前がミラ陛下から離れたのは、お前が欲しいと言っている物に関係があるのか?」
「ん~?」
背を向けたまま、ライラは何でもない口調で答える。
「違うわよ。聞いていたでしょ?私はもう、ミラ陛下には何の興味もないのよ。いてもいなくても、どうでも良い人間」
それを聞いたヴァィネルは、無言でライラを抱き上げた。
「きゃあっ⁉」
悲鳴を上げるライラを無視し、そのまま歩き出す。
「ちょっ、ちょっと?」
何が何だかわからないままライラは運ばれていく。説明を求めても無駄なようだ。
仕方なくされるままになっていたライラだったが、ヴァイネルの向かう先がわかると、そんな訳にはいかなくなった。
「ヴァ、ヴァイネル陛下……?」
強張った声。けれど彼は何も答えてくれない。
向かう先は、ライラにあてがわれた部屋の一番奥。
寝室。
天蓋付きの優雅なベッドと、陽の光を取り入れる大きな窓。小さなテーブルには安眠を誘う為にと香炉が置いてあり、今もほのかに甘い香りが残っている。もう少しもすれば、女官達がこの香を焚きに来る筈だ。
けれど、それはまだ先。今はヴァイネルと二人だけだ。
二人きり。
そう思うと、浮かんだ恐怖が更に強くなっていく。ベッドはもう目の前だ。
ヴァィネルはピタリと足を止めると、その大きなベッドの上にライラを放り投げた。
「きゃあっ⁉」
一瞬の無重力の後、背中にベッドがぶつかり、そして今度は強いスプリングのせいで押し戻される。それが本当に僅かの時間に起こったので、ライラの頭の中はその時ぐちゃぐちゃだった。
ぐらぐらと揺れているような感覚の中、それでもハッと我に返る。
知らない内に額を押さえていた手をベッドに付き、慌てて起き上がろうとした時には、もう、動く事すら出来そうになかった。
ライラに覆い被さるようにして、ヴァイネルがベッドの上に乗っている。
「何するのよ。どいて」
恐怖を悟られないように、精一杯声を出す。震えないように。掠れないように。気力を総動員して。
「お前はミラ陛下の事を愛していないと、何の興味もないと言った。そして、こうも言ったよな?」
ギシ、とベッドが揺れる。
「ハリシュア王妃・シスト、と」
言った。確かにそう言った。
でもそれは、カルスを傷付ける為。そう言った方がより効果的だと思ったからだ。本当にハリシュア王妃になるつもりはない。
再び茶色に変わっている髪を指に絡ませ、ヴァイネルは耳元で囁く。
「それならば、私が自分の妃を抱くのは当然ではないか?」
だんだんと血の気が引いていく。
「じょ、冗談でしょう?」
ふ、と笑ったヴァイネルの顔が、ゆっくりと近付いてくる。
「まさか」
吐息と共に吐き出された言葉は、そのまま消えていった。
重なった唇の上で。
「っっ⁉」
大きく見開かれたライラの瞳に、次第に涙が溜まっていく。
違う。あの人と、全く違う唇。
必死で逃れようと手を突っ張るが、相手は大人の男だ。力で叶うはずがない。あっという間に押さえられ、その細い手首は頭の上で一掴みにされてしまった。
唇を離し、言う。
「お前はわかっていない」
ライラは怒りに燃える瞳でヴァイネルを睨み付けた。それを真正面から受け止め、真剣な表情で続ける。
「自分の美しさを」
どんな人間でも。たとえ同じ女でも惹き付けて止まない、絶対の美。姿形だけではなく、内面さえも。
それがどんなに危ない事か、この少女は知らない。
「その美しさが、世の男達にどんな気持ちを抱かせているか、お前は知らないんだ。だからこんな夜中に自室に男を入れられる」
カァッとライラの顔が赤くなった。怒りと羞恥が同時に襲い来る。
「姫君として、皇妃陛下として、大切にされていたのだろう?だからお前は男の怖さを知らないんだ。愛され、護られて、誰もお前にこんな事をしようとしなかったし、させなかった」
どこの国でも名君と謳われるギルア皇帝。そしてギルア皇妃。
武術にも長け、大人達の中で生きている彼女だが、所詮は温室育ちのお姫様。
「けれどお前はそこから飛び出した。そして私の妃になったんだ。我慢する必要がどこにある」
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