番外編・第1話
長いマントを頭から被った怪しげな人物が、馬に乗って街外れの道をゆっくり進んでいく。
マントで顔は隠れているが、しなやかに伸びた細い腕や、華奢な体つきから女性───それも恐らく少女だと判る。
街の人々は少女を横目でちらちらと伺っていたが、何やら曰く有り気に見える彼女に声をかける者は、誰一人としていなかった。
少女は人々の視線を感じながらも、静かに馬を進ませていく。暫くするとあたりには誰もいなくなった。
「やっと街を抜けたね、フィン」
少女は愛馬に話しかけると、頭に被っていたマントを後ろにずらした。
長い黒髪を頭の高い位置でまとめた街娘のような服装の彼女は、紛れもなくこの国の皇妃、ライラ・リル・ギルアである。
後ろを振り返り、皇宮が見えないのを確認する。
実は彼女、このような事は初めてではない。今までに何度か同じ様な事をしているのだ。そのせいか手際が良くなってしまっている。
一国の皇妃がそんな事に慣れてどうするんだと思うだろうが、彼女はこれでいいのだ。
「さあ、あの使者の言っていた場所はもうちょっと先だよ。行こう、フィン!」
ぶるるっ、と鼻を鳴らして返事をし、フィンは勢い良く走り出した。
風に揺れる艶やかな黒髪、きゅっと結んだ唇と意志の強そうな紫の瞳は、そこに人がいれば殆どの人が目を奪われるだろう。
彼女は自分が目立つという事は重々承知している。だからこそマントを被っていたのだか、暑い上に邪魔となるのでいつも途中で止めてしまう。
今回も街を抜けた事で止めてしまったが、それが失敗だった。せめてもう少し先に行ってからにすれば良かったのだ。
何故かというと───
「そこの女ぁ!止まれ!」
茂みの中から、いかにも悪人顔の男達が出て来たのだ。
嘶きを上げフィンは急停止した。立ち上がってライラを振り落とさなかったのはさすがと言ったところである。
男達はフィンの周りを取り囲み、剣を抜き放っている。
「女の子が一人でいるってのはあまり感心しないなぁ」
親分格の男が、ニヤニヤしながらライラに言う。そして、子分の一人も後に続く。
「そうそう、あんた綺麗だから売り飛ばされちまうよぉ」
ニヤニヤした男達を見下ろし、ライラは深い溜め息を一つついた。
「失敗したなぁ、盗賊に会うなんて」
それを聞いた男達は、ますます顔をにやつかせた。
「大人しくしてたら痛い目には遭わないから大丈夫さ。ゆっくり馬を下りな」
ライラは言われた通りに、ゆっくりとフィンから降りた。
親分格の男が満足そうにライラに近づいていく。
その時、大人しくしていたライラが、急に自分のマントを親分に投げつけた。
「うっ、うわぁ⁉」
思いがけない攻撃に、彼は動揺した。慌てれば慌てる程マントが絡みついてくる。そのためマントを取るのに少しばかり時間がかかってしまった。
しかしそれだって大した時間では無い。
「こんな事で時間稼ぎになるとでも思っている……のか……」
男はあまりの事態に、言葉の途中で真っ青になってしまった。自分の目の前で、子分達が全員気絶しているのだ。
呆然と立ち尽くしていると、首筋に冷たい感触が。
「……これはお前が一人でやったのか?」
真っ直ぐに前を見ながら男は言った。後ろを振り向こうにも振り向けないのだ。首筋に剣を突きつけられているせいで。
「私以外に誰がいるって言うの?」
剣を片手にライラは明るく言った。
彼女はマントを投げつけた後、腰に佩いていた剣で男達を倒したのである。
あまりの早業に男達は何もできないまま倒れていった。
ライラはカルスと共に幼い頃から武術を嗜んでおり、そこらの兵士ぐらいには楽勝である。公爵家の令嬢でありながら、帝国騎士の学校を飛び級で卒業した位には実力がある。
まぁ、この事を知っているのは皇宮関係者達だけではあるが。
「お前は何者だ?」
男の問いに、ライラは首を傾げて見せた。
「さぁ?」
素っ気ない彼女の答えに、男も肩をすくめる。
今度はライラが問い掛けた。
「あなた達いつからこの辺りにいたの?この先で何か変わった事はなかった?」
男は先程のライラを真似て、さぁ?と首を傾げた。誰が見てもふざけているようにしか見えない態度に、ライラは剣を持つ手に力を入れる。
首筋に赤い筋が入り、少し血が流れた。
「折角怪我無く終わらせてあげようとしているのに、そんなに首と胴がさよならしたいの?」
秀麗な顔にうっすらと浮かぶ笑みが、男の恐怖を駆り立てた。
暴力や恫喝にも怯むような男ではなかったのだが、ライラの全体から漂う静かな威圧感には敵わなかった。
「───この先の茂みで人が争ってたみたいだ。面倒な事に巻き込まれるのはごめんだし無視してたら、いつの間にか消えてた。で、行ってみると豪華な荷物が落ちてたんで……売って来たところだ」
「その茂みってどこ?」
「この右の道を一キロ程進んだ所にでかい樫の木がある。そのすぐ傍だ」
豪華な荷物となると王女一行の可能性は高い。落ちていたというのは気になるが、王女自身が目的ならそれも不思議では無い。
内乱の関係者。
恐らく間違いないだろう。
盗賊なら女である王女は攫ったとしても、兵士達まで攫いはしないだろう。兵士達まで攫う必要があるとしたら、それは反乱軍の者達だけだ。
「人の国で勝手なことを」
ライラは小さな声で毒づいた。
他国の者が彼女の国内で争いを起こしているのだ。皇妃として黙っていられるはずがない。
剣をしまいながら、ライラはフィンに飛び乗った。
突然解放された男は呆然としながら手を伸ばす。
「お、おい?」
伸ばされた手は僅かに触れる事も無く、彼女の姿はあっと言う間に道の先に消えていった。
彼女を捕まえようと言う気は既に更々無いが、例えあったとしても到底追いつかないだろう。それ程フィンの足は速かった。普通の馬では全く敵わない筈だ。
「なんなんだよ、いったい」
残された男は、ぽりぽりと頭を掻いた。
(国民に怪我させたりしたら、絶対に許さないわよ!)
ライラは、そう心の中で叫んだ。
フィンもライラの怒りを感じ取り、スピードを増していく。
只でさえ足の速いフィンだ。本気で走った為あっという間に男の言っていた茂みへと着いた。
「フィン、ちょっとここで待ってて」
そう言いおいて、ライラは茂みの中へ分け入っていった。
男が言っていたように、そこには争った様な跡がある。荷物は確かには無くなっているが、手掛かりが出来ただけましだ。
ライラはカルスに見つからないようにこっそり出てきたので、使者の詳しい話は聞いていない。助けを求めてきた王女が行方不明な事、そしてはぐれた大体の場所くらいしか知らなかったのだ。
そんな彼女にとってこれは大きな一歩だった。
ライラは他に何か残っていないかと更にその周辺を探し回る。
服や顔が土埃で汚れるが、彼女は全く気にしない。そんな事を気にするなら此処まで来はしないだろう。側近達に呆れられる事もあるが、それが彼女の美点でもある。
『皇妃らしくないけれど、最も皇妃らしい皇妃』彼らははライラの事をこう表現する。大いなる親しみを込めて。
がさがさと茂みをかき分けていると、ライラの瞳に光る物が映った。細い何かが朝露に濡れた蜘蛛の糸の如く枝に絡まっている。
千切れないよう慎重に取ってみると、それはペンダントであった。
華奢に見えるが作りはしっかりしており、派手さは無くとも使われている宝石も一級品。下級貴族の着けるような派手なだけの物とは違う。明らかに身分の高い者が着けていたとわかる。それがこんな所に引っ掛かっているとなると……
「それはあたしのペンダントよ!返してっ!」
思考の海に沈んでいた所に、背後からの叫び声。ライラは慌てて振り返った。
茂みを掻き分けこちらに向かってくる少女が、ライラの持っているペンダントを奪い取ろうとする。しかし不意打ちでもない少女のそんな行動は、ライラにとって意味の無いものだった。
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