番外編 ─マッティニア王国の乱─

番外編・プロローグ

「皇帝陛下に申し上げます。隣国のマッティニア王国から、火急の用件だと使いの者が参っております。如何なさいますか?」


 ある午後の静かなひととき、一通りの政務を終えた皇帝は、読書を楽しんでいた。ところが、読み始めて数分もたたずに中断することとなったのである。

 皇帝という地位にいるからには仕方がないと頭では理解しているのだが、決して気持ちのいいものではなかった。


「すぐ行く」


 溜息一つで本を閉じて立ち上がり、皇帝は部屋を出た。側近のマルグスは申し訳なさそうに後に付き従っていくしかなかったのである。





 謁見の間では、マッティニア王国の使者と名乗る者が待っていた。深く頭を下げ、皇帝が席に着くのを待つ。

 そして、皇帝が席に着くと、使者は口を開いた。


「偉大なるギルア帝国、カルス・ミラ・ギルア皇帝陛下にはお初にお目にかかります。マッティニア王国の文官、トイと申します。貴国に許可もなく入国したこと、まことに申し訳ありません。謝罪と処罰は後ほど如何様にもお受けいたします」


 皇帝カルスはトイの言葉を聞き終えると、顔を上げるように指示した。


「謝罪は今の言葉で十分だ。処罰を与えるつもりもない。それより、何か急ぎの用事があるのだろう?」


 トイは、カルスに礼の言葉を述べると、早速ですがと本題に入った。


「ここからは、我が国の国王の言葉をそのまま伝えさせて頂きます。『ギルア帝国皇帝、カルス・ミラ・ギルア皇帝陛下、書簡ではなく文官への言伝である事を、まずは謝罪申し上げます。非礼を承知でこのような方法を取った事、それは我が国内で内乱が起こってしまったからなのです。そして用件とは、その内乱の事なのです。あつかましいお願いではあるのですが、どうかこの内乱を鎮める力をお貸し下さいませんでしょうか。詳しいことは、同行させた我が娘、リズのペンダントの中にございます。それでは、良い返事を心よりお待ち申し上げております。マッティニア国王、ソージャ』───以上です」


 長い言伝を言い終え、トイは困ったように下を向いてしまった。何故ならカルスが難しい顔で何か考え込んでしまったからだ。皇帝であるカルスが言葉を発しない以上、誰も声を出す事が出来ない。謁見の間は重苦しい沈黙に包まれてしまった。

 可哀想なのは周りの近衛兵達で、この沈黙に耐えているのがよく解る。勿論顔にも態度にも出してはいないが、居心地悪そうな空気は隠しようがない。

 時間にしてわずか数分、しかし体感にして数時間。沈黙を破ったのは、当然ながらカルスである。


「いろいろと疑問はあるのだが、まずは詳しい事を知りたいと思う。で、そなたの顔を見る限りでは、情報を持つリズ王女に何かあったという事だろうか?」

「……っ」


 ぐっと一瞬言葉に詰まったトイだったが、困ったように首を振りつつ重い口を開いた。


「───実は、この国へは護衛を含め5名で参りました。しかし追手の有無と安全な道の確認の為に、私は一時皆から離れたのです。大した時間は経っていません。けれど私が戻った時、そこには誰もおりせんでした。勿論周囲は探したのですが見つからず……もしかしたらと思い、私だけこちらに参った次第です」


 トイの身体には、あちこちに汚れや傷が出来ていた。必死で探し回った証拠だろう。

 カルスは疲れ切っている彼に下がって休むようにと告げた。

 しかし言ってしまってからある事に気がつき、慌ててトイに尋ねる。


「この皇宮に入った時、誰かに会ったりしなかったか?」


 その問いは、ともすれば首を傾げるしか無いものだった。何故なら此処は皇宮である。門前にも兵士はいるし、外部の人間であるトイが皇帝であるカルスに面会するまで幾人もの人間を経由してきた。誰かも何も、数多の人に会ってきたのだ。

 なのにトイは考える様子もなく答えた。それだけ印象に残る人物に会ったという事だ。


「はい。長い艶やかな黒髪の、少し幼い感じの美少女に」


 それを聞いたカルスは、やっぱり、と頭を抱えて座り込んでしまった。

 こんな格好をすると、カルスにまだ幼さが残っているのがよく解る。

 先代の皇帝と皇妃、彼の両親が無くなったのは彼が十三歳の時。今から三年前の事だ。そして、その年皇帝となった。

 最初は若造がと侮る者もいたが、カルスの仕事ぶりから次第にそんな声も無くなった。今では国民からも多大な支持を受ける立派な皇帝である。それがたったの十六歳の少年であるとは、信じない国もあるほどだ。

 もちろん頼りになる部下と、ある人物のおかげでもあるが。

 少し───いや、大分問題も起こしてきた人物でもあるのだが。

 カルスは立ち上がると、眼を白黒させているマルグスに言った。


「ライラを───皇妃を捜せ。多分皇宮にはもういないだろうがな」


 皇妃の性格を知る者たちは、大きな溜め息をつくと、謁見の間を飛び出していく。

 カルスはというと、先刻会った人物が皇妃と知り、涙まで浮かべて慌てるトイを慰めていた。


「気にするな。いつもの事だ」


 この言葉がカルス自身にも言い聞かせる言葉だという事を、トイは知る由もない。

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