第27話

「何故、あんただけがこんなにも幸せなの?最高の地位と、愛してくれる人がいて、その上誰よりも強い力を持っていて……」


 ギリギリと拳を握りしめ、トパレイズは叫ぶ。


「どうしてっ!」


 自分にだけ何もない。何も出来ない。

 幸せを得られる人間は、最初から決まっているのだろうか。そして、その中に私は含まれていないのだろうか。


「コウガっ!」


 ライラの眼前で動きを止めていたコウガの瞳に、再び殺気が疾る。グオッと大きく開いた顎から覗く白い牙が、ギラリと光った。

 ライラはそれに怯むどころか、向かって来るコウガに腕を突き付ける。

 そして体の底から叫んだ。


「我が呼び声に応えよ、ブラッディ・ジュエルッ!我が名はライラ!龍王の巫女なり!」


 コウガの手に渡った筈のブラッディ・ジュエルが、瞬時にしてライラの差し出した手の上に現れた。透明な水晶だったそれは、体中に流れる血のように紅く変わり、力強い鼓動を刻む。


「目醒めよっ!龍王・紫杏しあんっ‼」


 カッ‼


 音もなく弾けたブラッディ・ジュエルから生まれた閃光が、辺りを紫色に包み込んだ。けれど太陽を直接見てしまった時のようなあの痛い程の刺激は無く、視力は驚く程早く戻ってくる。

 無意識の内に上げていた腕を下ろし、トパレイズの瞳に映った者は。


「龍、王……!」


 もう夕日も殆ど沈み、闇が辺りを満たしつつあると言うのに、僅かな月の光だけで美しく輝く肢体。完全な形で取り戻したブラッディ・ジュエルが、身体中に魔力を漲らせてくれる。

 龍の事など何もわからないヴァイネルでさえ、その圧倒的な存在感を感じていた。


「ライラ!」


 恐らく一緒に地上へ連れて来られたのであろうカルスが、ライラの姿を認めて声を上げる。

 けれど彼女はちらりともそちらに視線を向けず、駆け寄ろうとするカルスにピタリと腕を突き出し、その動きを止めさせた。声を掛ける事もなく横をすり抜け、龍の姿で現れた紫杏の隣に立つ。


「目覚めた早々悪いけれど、ありったけの力を借りるわよ」


 紫杏の力が完全に戻ったという事は、ライラの力も完全に解放出来るという事。何百年ぶりに目覚めたばかりで、本当の意味で本調子ではない紫杏だけれど、今回だけは無茶をして貰わなければならない。


「構わないよ。お前の納得のいくようにおやり、ライラ」


 近寄って来た大きな顔に腕を巻き付け、その頬に顔を寄せる。石像の体からは決して感じない温もりが、優しくライラの背中を押してくれる。


「お前なら、きっと上手くやれるから」


 一度強く瞳を閉じ、ライラは紫杏から体を離した。開いた瞳が映すのは、黄龍・コウガとその巫女トパレイズ。本当ならずっと眠っていた筈の二人を目覚めさせ、こんなにも辛い道を選ばせてしまったのは、自分達だから。

 もし彼女達と同じ運命を辿ったとしたら、自分達も同じ事をするだろうと思う。そしてだからこそわかるのだ。彼女がどんな結末を望んでいるのかが。


「ねぇ、トパレイズ」


 ライラは、かたかたと震えながら、それでもぎらぎら憎しみの炎を燃やして睨み付けてくるトパレイズを見据えて言った。


「私達龍の巫女は、何時だって龍と共に生き、歩んで来た。それはわかっているわね?」

「……」


 答えはない。

 ただ、それだけはライラもトパレイズも心を同じにしている。だからそのまま続けた。


「でも、あなたは今、あなたの龍の君・コウガと同じ道を歩いている?ちゃんと、辛くないように歩幅を合わせてあげている?たまには隣を見てあげているの?」


 何を言っているのか。

 そんな戸惑った表情で、トパレイズはライラを見た。


「……やっぱり見てあげていないのね?」


 共に生きているとは言っても、何もかもが同じではない。人間と、龍と。それだけでも生きている世界は違うのだ。

 誰よりも相手の事がわかるからこそ、わからない事もある。あまりに近すぎて見えない事。相手を思う、その心。


「龍達の総てを統べる龍王。けれど、それぞれの龍達にも、龍王より勝るものがある」


 完璧な者なんてこの世にいない。そんなもの面白くも何ともないし、逆に哀しいだけだ。


「あなた達は記憶も力も取り戻しているけれど、足りない物が一つだけあるわ」


 トパレイズは己の哀しみだけに目を向け、コウガの心を知ろうとしなかった。大切な巫女の為に、心を殺して憎しみに身を埋めたもう一人の自分を。


「何よ」


 足りない物なんかいくらでもある。

 何不自由ない生活に、誰もが羨む美貌。知力、権力、そして巫女としての力。果ては何よりも愛する人まで。

 ライラにはあって、トパレイズには無い物。そんな物はたくさんある。今更言われるまでもない。


「違うわよ」


 トパレイズの考えている内容がわかったのか、ライラは苦笑して言った。


「言葉に宿る力。あなたにはそれが足りない」


 つい、と差し出された白い指先が、トパレイズの額にある宝石を示す。


「あなたも龍の巫女なら、言葉に宿る魔力がどれ程の物か知っているでしょう?ましてやそれが名前なら」


 名前。それは何よりも『そのもの』を表す言葉。どんなに短くても一つ一つに意味がある言葉の中で、名前は最も強い力を秘めている。

 それは、名を付ける者達が心を込めるからだ。

 その物の事を想って。

 その者の事を愛して。

 名を付ける者達は様々な祈りと願いを込めて、その名を付ける。


「トパレイズ。あなたはもう一人のあなたの名の意味を知らない。それが、足りないものよ」

「もう一人の私の名……?」


 自然と瞳はコウガを映す。

 見返して来る黄玉の瞳が、何故か哀しげに揺れる。けれど、その理由がわからなかった。

 お互いの心は痛い程わかる筈なのに……わからない。心が通わない。

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