第26話

「なんで……なんでっ⁉あともう少しなのに!」


 そのブラッディ・ジュエルが誰の物か、理解してしまった。そして、今まさに目覚めようとしているその者を止める事など、トパレイズには出来そうにない。


「……コゥ……ガ……」


 哀しかった。悔しかった。

 やはり何も出来ない自分が、何よりも惨めだった。


「コウガアァァァァァァァッッ‼」


 体の中の力を爆発させるかのように、トパレイズは絶叫した。

 ドンッッ‼

 大地も空気も、一瞬にして張り詰める。

 命さえ燃やす程の巫女の強い想いが、その龍の力をも引き上げる。


「なっ⁉」


 ぐらぐらと揺れる大地の上では、上手くバランスを取れる筈がない。ライラはよろめいてその場に手を突いた。その拍子にブラッディ・ジュエルはころころと転がっていく。


「我が巫女……」


 全身を覆う黄色い鱗は、短く刈られた髪の毛に。真実の姿である龍の身体は人間の形に変え。けれど黄玉の瞳だけは、変わらず限りない強さと優しさを映す。

 人間よりも強く、人間よりも心優しき一族。


「泣かないでおくれ、私の大事な巫女」


 巫女を想う気持ちは、どの龍も同じ。そこに差は僅かも有りはしない。だからこそ、龍王の絶対的な眠りの命令からも抜け出せる。


「願いは、叶えてあげるから」


 例えそれがどんなに道から外れた事でも、巫女が総てを賭けたものならば。

 ライラの手から離れ再び透明な水晶に戻ったブラッディ・ジュエルを、コウガは僅かに指を動かしただけで手元に呼び寄せた。

 キッ!と視線をライラに向け、コウガは空を駆ける。


「お前は身体に宝石を持っていない!巫女でも、ましてや最初から皇族でもないお前なんかに、我が龍族の命を持つ資格など……!」


 龍の巫女の証は、身体の何処かに宝石が埋まっている事。

 よろめきながら立ち上がったライラに、コウガは一直線に向かっていく。


(我が巫女を苦しめる者は、誰であろうと許さない!)


 どんなに愛したギルアの民であろうと。龍王の庇護する皇家の人間であろうと。


(殺すっ!)


 黄色い光に包まれた身体は、瞬時にして大きな牙と爪を持った龍の姿に変わった。


 その時、何故声が出なかったのかヴァイネルにはわからなかった。

 頼みの綱であるブラッディ・ジュエルは敵に渡ってしまい、今まさにシストは殺されてしまうと言うのに、何故か声が出なかった。

 それは恐怖からなのか、絶望していたからなのか、それとも───


(シスト)


 少し離れた場所から、まるでコマ送りのように進む映像を見ているようだ。

 シストの。コウガの。二人の指先の動きさえ感じる程、長い時間。

 実際にそんなものを自分が見られる筈などないが、それ程に、冴え渡った感覚だったのだ。





 激しい風が、ライラの長い黒髪を巻き上げる。憎しみから生まれる風は、頬を裂き、流れる血を吹き飛ばしても猶、収まる事はない。

 けれどライラは知っているから。

 龍は心優しい生き物だと。憎しみだけに身を浸して生きる事など出来ないと、知っているから。

 顔を上げ、顎を引き、真正面からその姿を見つめて声を上げる。


「止まりなさい、黄架こうがっ!」

「っ⁉」


 ビクッと身を震わせ、コウガはライラの眼前で急停止した。遅れて舞い上がる砂埃が、髪や首筋、その美しい顔にざらざらとした不快感を与える。


「私の名を、……?」


 手の甲で顔に付いた砂を大雑把に拭き取ると、ライラはにっこりと笑った。


「ねぇ、トパレイズ」


 龍の巫女は身体の何処かに宝石を持っている。

 それは確かだ。例外はない。巫女の身体の宝石は、第二の心臓。龍の心臓であるブラッディ・ジュエルと同じ、魔力の源だ。


「あなたが私付きの女官になったのは、もちろん私とカルスを苦しめたかったからでしょう?」


 一番近くで苦しむ姿を見たかったから。


「でも、有り得ない事だとは思いながら、どれ程に低い確率だと知りながら、それでも───」


 確認したかったのでしょう?

 ライラは問う。

 けれどそれは確信している事。問いはその形を取ってはいるが、確認に過ぎない。


「私の身体に宝石があるかを」


 身の回りの世話をする女官として、トパレイズはライラの側にいた。


「それで、結果はどうだった?」

「そんなものっ!」


 どこにもそんなものは無かったと、自信を持って言える。


「本当に?」

「しつこいわねぇっ!」


 トパレイズは大きく両手を広げて、ヒステリックに怒鳴り散らす。


「腕、足、肩……普段は見えない胸やお腹にだって無かった!ましてや私と同じ額にだって─────っ⁉」


 いや、ちょっと待て。


「皇族を守護するのは、龍王?」


 紋章に埋め込まれている宝石は、総ての能力を持つ龍族の王の命。


「……紫龍?」


 貴い色、紫。

 そして巫女は、龍の纏う色と同じ宝石をその身に刻む。


「まさか……まさかっ⁉」


 ギルアだけではなく、ハリシュアもエンジもキャンウェイも。この世界総ての中で、ライラ以外にそれを持つ者を誰も知らない。


「その───その瞳がっ⁉」


 シスト・ジュエル。

 何故その名を選んだか。

 それは、その身に紫水晶アメシストを刻んでいるから。


「ご名答」


 ライラの瞳は、誰も持ち得ない純粋な紫色。もう一人の龍王、『紫龍の巫女』の証だ。

 あまりに目の前にありすぎて、誰も気付かなかった。それが、彼女の本当の瞳ではない事を。


「私の瞳が本当はどんな色をしているのか、それは私にもわからない」


 巫女である証は、身体の何処かに埋まっている。それが例え瞳であっても不思議はないのだ。

 ただ、ライラのそれは例外すぎる。

 両方の瞳なんて。

 それはつまり、彼女のブラッディ・ジュエルが二つあると言う事。他の巫女より、二倍の力を引き出せると言う事だ。


「敵う筈、ないじゃない……」


 トパレイズは呆然と呟いた。

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