番外編・第7話
「見えてきましたよ、皇宮が」
そう言って皇宮を指差したのは、街で出会った訓戒兵の一人である。
何故ここにいるのかと言うと、それはもちろんライラの護衛だ。
リズは自分の護衛だと思っているが、それは訓戒兵がそう言ったからである。こうでもしないとライラを護衛することは出来なかったのだ。
ただでさえ危なっかしい皇妃なのである。これ以上変な騒動に巻き込ませるわけにはいかない。
そして考えたのが、マッティニア王国の王女であるリズの護衛をすると言って付いて行く事だった。これなら対外的には当然の理由であり、ライラにも拒む事が出来ない。
思った通り、ライラは何も文句は言わなかった。
少し背中が怖いと思ったのは、訓戒兵の気のせいである。たぶん。
「あれがギルア皇宮?すごいわねぇ」
リズは素直にそう表現した。
ギルア帝国は、大陸で一番大きな国なのだ。それに伴い、皇宮も大陸一である。
大きさはもちろん、造りの美しさ、丈夫さ。どれをとっても最高級なのである。
「あれ?誰かいますよ」
言ったのはまたしても訓戒兵である。
マッティニアの者達が皇宮に見入っていた時、彼は皇宮の門前に人を見つけたのだ。ただし、一人ではない。跪いているらしいのが大勢と、立っているのが二人。
「ひえっ!」
ライラはその立っている人物を見て、そう口走った。
顔は見えない。だが見なくてもわかる。
彼女が一番恐れる人物達である。勿論嫌いではない。それどころか大好きだ。だからこそ余計に恐ろしいのかも知れない。
一人は親友にして側近たるキュアリス。そしてもう一人。皇帝の側近ヒルトーゼ。
この二人が恐ろしいのは、厳しいからだ。ライラを心配してのことだとはわかるのだが、怖いものは怖い。
普段は別に怖いとは思わないが、今はライラが心配をかけるようなことをしている。そしてそれを自覚しているからライラは怖がっているのだ。
「どうしたのよ、ライラ」
ライラの操る馬・フィンに同乗するリズが後ろから身を乗り出し、心配そうに声をかける。
何でもないと答えて前を見ると、訓戒兵の肩が震えている。笑っているのだ。
彼もわかっていた。ライラの恐れる人物がいる事を。
怒りたいような笑いたいような複雑な気持ちで、ライラ達は皇宮へと着いた。
恐ろしい二人のいる場所へ。
「うわ、すごい」
フィンから降ろしてもらったリズはまた驚いた。今度は皇宮にではない。皇宮にいる人々にだ。
総勢三十人はいるだろう人が、彼女達の前に跪いているのだ。
立っているのは他より身なりの良い男女二人。だがその二人も深々と頭を下げている。
(ギルア帝国ってよその姫にでもここまでするんだ)
リズはそう思った。
あながちはずれではない。正式な訪問では盛大に賓客を迎えるのがギルア帝国のやり方だ。しかし門前での出迎えでやる事では無かった。ましてや今回のように非公式な場合ここまではしないだろう。
ならば何故。
(やり過ぎだし……)
感心しきりのリズの後ろで苦笑するライラ。彼女は当然この状況が何を意味しているのかを知っていた。
苦笑するその姿がまるで見えたかのように、頭を下げていた二人が近づいてくる。
慌てたのはリズだ。これだけの出迎えを受けて、それ相応の挨拶を返せない等一国の王女として恥である。
甘やかされて育ったとは言え、仮にも王女だ。礼儀作法は厳しく躾けられている。
リズは背筋を伸ばして、顎を引き、意識を対外的な王女に切り替えた。それを人は猫を被るとも言う。
少々顔や服が汚れているが、それは仕方がないだろう。
「出迎え有りがと……う……」
リズの言葉は最後まで発せられることはなかった。
言おうとした相手が彼女を通り過ぎたからだ。
王女一行を平気で素通りした二人は、そのまま後方に向かって一直線。呆気に取られたリズ達も、必然的に体ごと後ろを振り向く事になった。
最後尾に到達した二人はピタリと足を止め、凄まじく恭しい態度で膝を突く。よく見てみれば一緒に付いてきた訓戒兵も跪いていた。二人よりも更に低い姿勢で。
そしてその三人に囲まれるように立っているのは───いつの間にか最後尾迄移動していたライラである。
「御無事で何よりです。皇妃陛下」
「皇帝陛下も御心配なさっておられますよ」
「いやいや、二人とも王女様を無視するのは良くないんじゃない?」
すると今迄の行動はどこへやら。二人は勢い良く立ち上がって、ライラに詰め寄る。
「何を仰っておられますか。あなた様はこの国の皇妃陛下なのですよ。一番にお迎えするのは当然でございます」
「王女様も大事ですけれど、わたくし達にとってはライラ様の方がもっと大事なのです」
あまりの剣幕に、ライラはじりじりと後ろへ下がっていった。しかしそこには訓戒兵が跪いており、すぐに進めなくなる。
「いやいや、にしてもやり過ぎよね?っていうか、あれ完全に私に対する嫌味よね?」
お忍びで出掛けていた皇妃に対する迎えでは無い。ましてや二人の必要以上に恭しく接する態度は、良く知る者からすれば怒りすら感じ取れるものだ。
「それがお分かりなら次からは勝手に出ていかないで下さいませ」
「いくらライラ様がお強いと分かっていても、心配はするものはするんですから」
嫌味を否定しないまま二人がそう言うと、ライラは大きく頷いた。
心配を掛けた事は自覚しているし、突発的に皇宮を飛び出してしまった点は勿論反省している。
「有難う、心配を掛けてしまってごめん───」
「ライラが皇妃陛下ぁっ⁉嘘でしょう⁉」
ライラの言葉を遮る様に、突如響き渡った叫び声。
声の主はリズである。
ライラの正体を知った驚きがそのまま声になって表れたらしい。時差があるのは驚き過ぎで声が出なかったのだ。
マッティニアの兵士達は、信じられないと言った表情でライラを見つめている。こちらはまだ声を出せるほど落ち着いていないようだ。
「話していなかったのですか?」
ヒルトーゼがライラにそう問い掛ける。
「名乗ったわよ。名前は」
「どうせファーストネームだけなのでしょう?」
「うっ……」
ヒルトーゼは事も無げにそう言った。ライラの行動を見抜いているのだ。こういうところがライラは敵わないなぁ、と思うのである。
ヒルトーゼがライラとやり取りをしている内に、キュアリスはリズにさっさと挨拶をすませていた。リズ達の耳には届いていないようであるが。
そして徐にキュアリスはライラの隣に立った。
「こちらにおわします───」
「いいよ、キューア。私が言う」
言い掛けたキュアリスを止めたのは、紛れもなくライラである。
キュアリスは一つ礼をすると、ライラの少し後ろに下がった。
それから、ヒルトーゼと共に跪く。
(何か違う……)
リズはライラの姿を見て違和感を覚えていた。しかしそれは不快ではない。
リズの前に立つライラは、顔も服も汚れている。それに、汚れている服も豪華な物ではない。ただの街娘の服だ。
だが、皇妃としてリズの目の前に立ったライラは、ただの汚れた街娘の服でさえ立派に見える。
ライラはリズの瞳をしっかりと見つめ、貫禄のある声で言った。
「改めて、初めまして。私はライラ。ギルア帝国皇妃、ライラ・リル・ギルアよ」
そして品良くにこりと微笑むと、リズの様子を伺った。
「黙っててゴメンね」
何も言わずにいるリズに、ライラは皇妃としてではなく、『ライラ』として謝罪した。
「本当に……皇妃陛下なのですね……」
リズはやっとの事で言葉を紡ぎだした。涙が出そうなのを堪える。
だがそれは、騙されたという怒りからではない。素晴らしいと思える人と出会った感動や、自分の目指す目標を見つけた喜びなのである。
「うん。こんな皇妃でがっかりした?」
リズは慌てて「とんでもない!」と言おうとしたが、すんでの所で止めた。
ふっ、と笑いを浮かべてから、リズは彼女らしくこう言ったのである。
「すっっっっっごくがっかりしたっ!」
「言ったわねぇ~」
ぺろっとリズが舌を出すと、二人は揃って笑い出した。
ライラの後ろに控えていたキュアリスやヒルトーゼは、やれやれと言った表情で二人を見ている。
「皇妃陛下、リズ王女殿下、水を差してしまって申し訳ございませんが、皇帝陛下がお待ちですよ」
リズは一瞬身体を強ばらせたが、ライラがぽんぽんと背中を叩いてやると、ぎこちない笑顔で応えてきた。
少し緊張しているようである。
「大丈夫。皇帝陛下は私の旦那様よ」
ライラはウインクを一つして、リズを皇宮に招き入れた。
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