第31話

「無理だ」


 必死の形相で言い募るカルスから視線を外し、紫杏しあんは瞳を閉じる。


「私が黄泉の国への道を開いてやれるのは、ライラにだけ。それに、例えそれが可能だとしても、私はお前を黄泉の国へやる事はしない。それがライラの願いだから」


 無事に生きていて欲しい。それがライラの唯一の望み。


「お願いだ、紫杏っ!此処にいると恐いんだ!ライラが二度と還ってこないような気がするんだ!」


 根拠なんて無い。ただ漠然とした恐怖だけ。だからこそ、余計に胸が騒ぐ。


「紫杏っ‼」

「私が───」


 躊躇いがちに掛けられた声に、カルスはゆっくりと振り返った。


「トパレイズ?」


 名を呼んでも、視線を合わせようとはしない。次の言葉を何と続けていいのかわからずに、もどかしそうに唇を噛んでいる。


「私が───」


 ギュッと服の裾を掴んで、それでも真っ直ぐにカルスを見た。


「私が陛下を黄泉の国へお連れします」


 揺るぎ無い決意を宿した瞳が、スッと伏せられた。そのまま片膝を折り、胸に手を当て頭を垂れる。


「ト、トパレイズ?」


 驚くのも無理はない。それは臣下が取る最高の礼の動作なのだから。


「これまでの私の行動や想いが消える事は無いけれど、私の中で一つだけ、確かなものが生まれました」


 後悔や憎しみが完全に消え去る事はない。ふとした時に再び沸き上がるこの気持ちを、トパレイズ自身も消そうとは思わなかった。

 ただ、その中で知った事がある。


「───死なせないで」


 生まれる筈の無かった気持ち。


「あの人は、ここで死んでいい人間じゃない。これから先も、ギルアを治めていくべき人」


 紫龍の力を以てすれば、もっと簡単にトパレイズをどうにか出来た。自らの命を危険に晒さずとも、トパレイズを人知れず殺してしまう事も可能だった筈なのだ。

 それをしなかったのは、皇妃として民を愛しているから。まるで、自らの子のように。

 立ち上がり、手を差し延べてトパレイズは言う。


「死なせないで下さい。我々ギルアの……大切な皇妃陛下を」


 泣きそうに笑って、カルスはその手を取った。





 ◆◇◆◇◆◇◆


 もう何本目かさえわからない。幾度も幾度も剣を生み出し、魂狩鬼ごんしゅきの体を突き刺し大地に縫い止める。

 振り返って数える気にもならなかった。一体どれ程の魂狩鬼が此処に存在するのか。

 剣は完全に体を貫いているのに、痛みも感じずただ生きている者の魂を狙う。生きる事も死ぬ事も出来ずに。


「大人しく───」


 パシッと逆手に持ち直し、その場で宙に飛び上がる。此処は魂を現世から切り離す場所。大地に縛る力が少ない分、ライラの体は軽い。


「眠りなさい!」


 ドスッ!と背中に刃を突き立てると、魂狩鬼はキイィィッと奇妙な声を上げた。苦しみから上げる断末魔の悲鳴ではなく、堪えようのない悦びの。

 ザシュッ‼‼


「うっ!?きゃ、あああぁっ‼」


 着地した瞬間の不意打ち。まるでそれを狙っていたかのような正確さで、魂狩鬼はライラの右肩の肉を殺ぎ落とした。


「っああぁっ!はあっ!」


 右手に握っていた剣が、消える。それと同時に魂狩鬼を繋ぎ止めていた剣も消えてしまった。


「タマ、シイ……光リ輝ク、ムラサキ色の……」


 総ての魂狩鬼が起き上がり向かって来る光景に、正直ゾッとした。


「来ないでっ!」


 鎌を振り下ろした魂狩鬼の腕に、バチバチと紫色の電流が疾る。一瞬見えたのは、ライラを中心にして広がる、半径一メートル程のドーム状の結界だった。

 しゅうしゅうと煙を上げているのに、魂狩鬼は構わない。指の骨が欠けようと、腕が消えてしまおうと、ライラに手を伸ばす。


「いや……」


 これ程までにさせる、人間の執念が恐かった。逃れられない、そう思った。


「来ないでぇっ!」


 ドンッ!と見えない風に突き飛ばされ、結界の周りに群がっていた魂狩鬼達は宙を舞った。白骨化した体は存外簡単に崩れ、カラカラと乾いた音をたてて地に落ちる。

 けれど骨は何事もなかったかのように再び寄り集まり、人の姿を形取っていく。


「もう……しつっこい……」


 クラリと世界が回った。いや、これは眩暈だ。血が、足りない。


「……」


 グシャ、グシャと草花を踏み潰し向かって来る魂狩鬼を見つめながら、ライラは終焉を感じていた。

 高々と持ち上げられたその鎌が振り下ろされる時、総てが終わる。

 そう思った。


「ライラッ‼」


 ドシュウッ‼‼


 居る筈のない所に、居る筈のない人。何時の間に現れたのか、目の前には確かに人の身体。首からぶら下げた龍の紋章のペンダントが、ゆらゆらと揺れている。


「カル、ス……?」


 貧血で暗い視界に、それでも飛び込んでくるのは紛れもなくカルスその人だった。


「ライラ」


 名を呼ばれ、次の瞬間には息も出来ない程強く抱きしめられる。雷のように痛みが体中を疾ったが、不思議と辛くなかった。

 抱きしめられた体から伝わる鼓動が、まるで子守歌のように。

 布越しでも、伝わる体温は愛しいもの。それだけで、傷の痛みさえも忘れられる。

 安心か、貧血からか。ライラは意識が遠ざかるのを自覚した。


 ピシャ、ン……


 何かの雫が下に溜まった液体の中に落ちる音と、膝立ちした、剥き出しの皮膚がそれに触れる感触。

 ライラは一気に夢から覚めた気がした。


「カルスッ!」


 腕を伝い肘からポタポタと流れ落ちる真っ赤な血が、大地に染み込み、それでも足りずに血溜まりを作っている。

 ドシュドシュドシュッッ‼‼


「ガ、ハッ……ッ!」


 辺りに群がった魂狩鬼が、カルスの背に鎌を突き立てる。意識なんか保てる筈もないのに、カルスの腕は緩まなかった。変わらずに強い力で抱きしめたままだ。


「カ、ルス……?」


 のろのろと上げた腕が、真っ赤に染まっている。けれどそれは自分の血ではない。

 カルスの血だ。


「い、や……」


 血にまみれた手の平を握りしめると、背中に回されていたカルスの腕がダラリと地に付いた。汚れていなかった肘から先の服も、凄い勢いで血を吸っていく。


「いやあぁぁぁぁぁぁぁぁぁっっ‼」

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