第16話
知っている。
あの時どれだけ二人が怒ったか。自分自身を責めたか。
ベーヴィスのロードにだって重い罰を与えたし、二人が自ら出向いて盗賊を捕まえた。
誰が止めても、それだけは譲らなかったのだ。気付いてあげられなかったのだから、と。
あの時の事を知っている。どれだけ苦しんでいたのか見ていたから、憎まれるなんて許せない。誰にも二人を責める事など出来ないはずだ。
「キューア、私達はギルアの皇帝と皇妃なのよ。すべての民を護り、慈しむ義務がある。どんな理由があろうと、私達が民を護ってやれなかった事実は変わらない」
そんな事は知らない。報告されていなかった。
どこかの役所ならいざ知らず、一国を統べる者がそんな事で片付けられる筈がない。いや、片付けてはいけないのだ。
「そうよぉ、二人がいけないのよぉ」
クスクスと笑いながらトパレイズが言う。憎しみしか残っていない心が、カルスとライラの不幸を願っている。
「だからね、私が罰を与えてあげたの」
「罰?」
眉間にしわを寄せ、ヒルトーゼは繰り返す。
「えぇ。カルスとギルアの国民、どっちを選ぶ?ってね。もしカルスを選ぶなら、ギルアは消滅。ギルアの国民を選ぶのなら、カルスの死を。でも私は優しぃからぁ、もう一つ選択肢をあげたのぉ」
もう一つの選択肢。
今現在、カルスもギルアも健在だ。という事はライラはそのもう一つの選択肢を選んだ事になる。
「私を満足させる事。期限は無いわ。一生よ」
彼女の望むままに生きる事。カルスと別れ、傷付けたのも彼女が望むから。
「最初の命令は、今の幸せを自らの手で壊す事だったかしらぁ?ま、これは少し満足したわねぇ。そこそこ面白かったもの」
「お前っ!」
カッと頭に血が上ったヴァイネルが、トパレイズに掴みかかろうとする。それを横目でちらりと見ただけで、彼女は何もしない。視線を戻したその時にはもう、ヴァイネルの動きは止まっていたのだから。
「余計な事はしない事ね。私は龍の巫女よ?敵うはずないんだからさぁ」
あっそうそう、と何かを思いだしたように手を叩く。
「第三の選択をした場合、私の言う事を聞かなければカルスは死ぬのよ。そう、私が引き裂いてあげる。腕も、足も、頭も。ライラの目の前で。私の愛するあの人、バニスと同じように」
同じ苦しみを味わえばいい。
既に壊れた心で彼女は嗤う。
生きていてくれるのならそれでいい。そうライラは言った。同じ空の下にいられるのなら、と。
「……だからなの?」
わざと傷付けるような事を言って。みんなに悪者だと思わせて。すべてを一人で背負い込んで!
「……馬鹿よ、ライラ」
ライラの背中に額を当て、キュアリスは呟いた。
「馬鹿よ……」
何も知らずに憤って。裏切られたと憎んで。そんな事あるはずはないのに。
「さぁ、これからはあなた達もみんな、私の楽しい玩具よぉ。せいぜい私を楽しませてちょうだいねぇ」
軽く床を蹴り、宙に飛び上がると同時にトパレイズの体は消えていた。現れた時のように、何もない空間へ。
最後に声だけが響いてくる。
《私を楽しませてくれるのなら何をしても構わないけど、せいぜい覚えておく事ねぇ。私の魔法に───龍の白魔法に、汚れた黒魔法使いなんかが勝てるはずはない、と》
汚れた魔法使い。
龍の巫女にとって、もう一人の自分とも言える龍を殺した黒魔法使いは、決して清い存在とは言えない。魂までもどす黒く染まった、汚れた存在なのだ。
けれどもそれは龍の巫女だけではなく、龍を愛し敬うギルアの民にとっても同じなのである。
「『汚れた黒魔法使い』ね。やっぱりわかってたか」
「ライラ?」
肩越しに覗き込んでくるキュアリスに笑いかけ、ライラはその名を呼んだ。
「
カーテンの影から姿を現した紫杏を、条件反射のように睨み付けるキュアリス。
まるで毛を逆立てた猫のような彼女に、紫杏は苦笑を浮かべ、それからライラの隣に腰掛けた。
「大丈夫か?」
汗で張り付いた前髪を払ってやる。極度の緊張を強いられた時程、彼女は微笑む癖があった。
弱さを弱さとして見せないのが、彼女の凄いところだ。辛い時程強くあろうとする。
「なるほど、そういう事ですか」
二人の親しげな様子を見ていたヒルトーゼが、いやに納得したように頷いた。
「つくづく私はライラ様の性格を忘れていたようですね」
あー、やだやだ。とわざとらしく首を振る。
常に生真面目でお堅い感じの彼がそんな事をするとは思っていなかったのか、ヴァイネルはまさに目が点、である。
「私は母君のお腹の中にいる時からお二人を知っているのですよ?それがこんな失態を犯すなんて」
六歳差のヒルトーゼは、カルスやライラが生まれる前から皇宮に出入りしていた。ギルアの大貴族の三男として生を受けた彼は、よく父親と一緒に皇宮に来ていたのだ。
父親の仕事が終わるまで、前皇妃(カルスの母)と話をしていたのである。もちろん幼い彼の話を聞くなど、前皇妃にとってはただの子守に過ぎなかったのだろうが。
そして月日は流れ、前皇妃とその親友の姫君に子供が産まれた。それがカルスとライラである。
「よくおっしゃってましたよね。私は兄にも等しい存在だと」
ライラとカルスは主君であるけれど、ただそれだけの存在ではない。
「ですからよーく知っているのです。ライラ様が何の解決策もなく、こんな無茶をする方ではないと」
にっこりと笑ってヒルトーゼは言った。
「そうでしょう?」
たとえギルアが消滅するとしても、為す術がないのなら、ライラは必ずカルスにだけは伝える。けれども今回、そんな様子は全くない。それどころか今は完全に背中を向けている状態だ。
という事は
ライラには何か策があるはずなのだ。
「ほ、本当なのっ⁉」
紫杏の存在さえ忘れて詰め寄るキュアリスを見ず、ライラはヒルトーゼに視線を据えていた。
紫杏の体にもたれ掛かったまま、嬉しそうに微笑む。
「だから大好きよ、ヒルトーゼ」
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